<百日戦役>


 これはなんだ。
 頭の中を掠めていく疑問。銃撃の下で誰かが泣いている。銃撃の音より泣き声が耳につく。これはなんだ、これはなんだ。
「逃げ遅れたものがいる! 手を貸せシード!」
「……!」
 雨霰の銃撃の向こう側で部下が何かを言っていた。こちらに来ることはできないのか、目の前の敵とその背後に親子連れをみてカシウスは頭を振る。帝国製導力銃は一旦連射が途切れるとしばらく間が開く。焼け残った街路樹に背を預けるうちにその感覚がなんとなくわかった。そしてまだ泣いている。
 意を決して駆け出す。泣き声の出所は死角になってはっきりわからなかったが、声のトーンから確実に子どもだ。駆け出しながら音源を辿り、見つけ、抱きかかえた。腕の中でなお一層大声で泣き暴れる。瓦礫の上を転がりながらカシウスは兆弾の心配が無い場所へ。破れた軍服から見える肌に石のかけらが刺さる。
「……大丈夫か?」
 つとめて優しく声をかけ頭を撫でた。エステルと同じくらいの幼子。そういえば大丈夫だろうか。レナが守っているだろうか。一瞬だけ遠くにいる家族を思い、目の前の子どもに意識を戻した。
 優しい物言いに少しは落ち着いたのか、嗚咽を繰り返しながらカシウスを見る。動かない筋肉を使って笑ってみせると体を振るわせた。
「おじちゃんが、安全なところに連れて行くからな? 眠っていてもいいくらいだぞ?」
 声が震えないように囁く。始めは頷き、次に頭を横に振った。どういうことだろうかと思うものの、この場でそれについて深く考えている時間は無い。再び始まった銃撃に気がそがれた。また大声で泣き出す子どもを固く抱きしめ、どうやったら前線基地まで無事に戻れるかを思案し始めた。
 近くの瓦礫の中に何か無いかと頭を動かす。刺さっていた石のかけらを振り払って立ちあがり、使えそうな棒切れを拾い上げた。自分の支給武器は子どもを助けるのに邪魔だとあの街路樹の陰に置いてきている。まずはそこに戻ること。
「多少はもてばいいが」
 銃撃が少し落ち着き、じりじりと包囲が縮まってきている気配がした。あちこちで闘っている部下たちが後退をし始め、中にはそのまま気配を断ったものもいると感じた。自分もここで落ちるのかもしれない。だが、せめてこの子どもだけでも。
 背後で砂利を踏む音。振り返りざまに棒を振り回す。まさに飛び込もうとしてきていた帝国兵は、半ば自分の勢いの為にひっくり返ったようなものだ。
「今なら銃撃が少ないからいけるか? しかし……」
 歩兵部隊が囮でどこかに誘い込もうとしているのかもしれない。ならばすることは一つ。自分なら、この程度の訓練しか受けていない帝国兵など物の数ではない。
 リベールに実戦を知る人間はほとんどいない。技術輸出国としての力をもち、その力の強さに帝国も共和国も積極的に手は出そうとしなかった。なにより女王の政治手腕のおかげで、危うかろうがなんだろうが、近年で戦争と名のつく状態にはならなかった。それが悪いこととは思わない。実戦経験など無い方がいいとカシウスは思う。だが、実際に戦争になった時、どこまで自分が生きることに貪欲になれるかが前線勝利の鍵なのだ。散った部下たちの一部には、他人を斬ることを恐れたものが多かった。
 カシウスは若い頃に共和国で前線に立った事がある、平和ボケをしたリベール軍に稀有な、実戦を知る兵だった。それを買われて士官候補生たちの実技訓練を指導したが、どれだけ貪欲になれといってもこれだけはその場にいなければわからない。
「幸いなのは……弛緩した軍だからと、百戦錬磨の古参兵たちがここに投入されていないということだな」
 子どもに周りが見えないよう、顔を胸にうずめるようにして抱きしめる。しばらくの間我慢をしてくれと囁いて棒を振り回し、歩兵たちが向かってくるその元へ駆け出す。錯乱したのかと周りで叫ぶ声が聞こえるが、そう思うなら思わせておけばいい。この方向へ向かえば、どこかにいる導力銃部隊からの射撃危険は低くなる。
 片手には少し余る重さの棒だった。手から滑り落ちそうになるのを堪えて走りつづける。統制を取って仕掛けてきていた帝国兵たちは子どもを抱えた創痍の兵一人に撹乱されている。いや、一人だからこそ撹乱される。手負いとは思えない動きをつかめず、掴んだと思えばなぎ倒された。そして、ようやく他の部隊を引き離してきたシードやリシャールがオーブメントを起動しアーツを放つ。瓦礫が増え、その上に死体が増え、街は一旦死んでいく。痛いほど理解をしながら、それでも後で直すのだと、今は生きることに貪欲になれと。
「隊長!」
 シードの声に応じて戦車に駆け上がる。どこでどうやったか帝国製の戦車を奪い、これを使って突破しようというのだ。
「潰すぞ! 道をあけろ!」
 砲塔は壊れてしまって動かない。だが金属の塊がそれなりのスピードで迫り来る恐怖に耐えられる人間はいない。街道に続く道を塞ぐように突進して乗り捨て、そのまま前線を後にした。

「あの町ももうダメか。ルーアン地方の三分の一まで一気に掌握してくるとは……」
「ラングラントを使えなくするという案が町の有志から出ています。多少は時間稼ぎになるかと」
「確かに多少だな。その時間をどう使うかが問題だ」
 自分たちの国を切り捨てながらハイエナにえさをやっていく。食い尽くされたならまた次のえさを求めてなだれ込んでくる。そんな画面が思い浮かびカシウスは頭をふった。
「隊長……やっと眠りました」
 シードが憔悴しきった顔をして部屋から出てきた。カシウスが助けた子どもを寝かしつけていたが、相当に時間がかかったのが不思議だ。
「疲れていそうだったが……眠ろうとしなかったか」
「はい……眠るのは嫌だと。また目を開けられるかわからないからと」
「……」
「……」
 その場に沈黙が下りた。そんなことは無いからとなだめ、抱きしめ、そしてようやく、それでも怖がりながら目を閉じた。閉じた後は早く、深い眠りに引き込まれたのを確認してようやく部屋から出られたのだった。
「父親か母親か……とにかくあの子の近くにいた大人がそう言っていたようです」
 ただ目を閉じ、そして再び開くことだけを願う。そうすればその日はまだ生きていていい。
「なんて……悲しい願いなんだ」
 机に伏してリシャールが呟く。他には声は無いが、誰もかれも同じ思いなのは表情を見ればわかった。
「皆、わかるか? これが、戦争だ」
 いつもの雑談の口調でカシウスは言う。自分が知っているのはこれよりも酷い時だってあったが、それでも戦争を知らない部下たちには十分過ぎるほど過酷な試練だ。
「嫌か? 嫌ならここから抜け出せばいい。その方法は個人に任せる」
 それ以上はいうべきではない。自分が何の為にここにいるのか。逃げ遅れた一般人を助けたのは何故なのか。唐突に闘うことになった彼らを奮い立たせるのに必要なのは、上から命令することではない。
「自分はレイストンへ報告に一旦戻る。お前たちは状況に応じて行動しろ」
 それだけ言って部屋を出た。伝令と護衛二人を連れてルーアンに作られている前線基地から外に出た。すっかり夜になってしまっており、普段なら導力灯で照らされている街道は真っ暗。魔獣避けも兼ねている明かりがなく、経験浅い伝令は少し震えていた。
「心配いらん。こんな状況だと魔獣すらヒトを相手にしないものだ」
 無表情に言い捨て歩き始めた。おっかなびっくり、少し腰を引きながら伝令がそれに続き、護衛二人は何かいいたそうにしつつも何も言わずにカシウスに付き従った。
「博士が何かを作っていると聞いたが、どうなることだろうか」
 もしかしたらここでリベールがなくなるのかもしれない。それでも国の最期まで、ただひたすらに貪欲に生き抜いてみせる。そう誓いながら夜の闇に消えていった。


  Ende.


 私自身、かつて目を閉じることが怖かったです。目を開けたらもうこの暮らしが無いんじゃないか、いや、もう目を開けることがないんじゃないだろうか。そんなことを思って夜眠ったこともあります。
 実際に戦争というものは知りません。けれど生きることに貪欲でなければ戦争は勝てないものかなぁと。本質的に生物が持っている「生きたい」という欲求を、他のしがらみにどれだけ流されないようにするか。で、たくさん人殺しをして生き残ったら英雄と呼ばれるわけだ。どっかにポエムっぽく書いた気がしますが、「英雄は運のいい人殺し」というのがどうしても離れない。これを考え始めるとちょっとそっと時間があっても終らないのでここまで。

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