<生誕祭>


 もう40年になるのか。一通りの儀式を終えて深夜一人、自室で紅茶を淹れる。クローゼが取り寄せた大陸外の国で採れる茶葉。薄い水色に味はどうかと思ったが、なかなかしっかりした……良く言えば個性的な味だった。
 二十歳で父が死に、王座についたのがほんの少し前のような気がする。その間に夫に先立たれ、息子夫婦にも先立たれた。嫌な年の流れの感じ方だがそういうものなのだろうと椅子に深く座りなおした。
 王太女時代に結婚をした夫にあったのは信頼だった。自分が柱として立て、その周りをサポートするからと割り切った関係だった。王族の結婚に愛情は必要ない。そこに必要なのは、いかに政治を行い、国を国として生かしていくかを考え、それを実行できる相手だ。その上で世継ぎを絶やさないこと。アリシアの夫は最高のブレーンであり一人ではあるが王太子も授かることができた。本当ならば複数人、世継ぎを作ることが望まれていて、その点だけは当時の重鎮たちから文句を言われた。
「陛下、ご再婚を」
 幾度言われただろう。まだ子をなすことができる年齢で夫を喪った為、事あるごとに目付けから言われ、伴って国内外の貴族、有力者たちから己を売り込む手紙が舞い込んだ。それでもアリシアは受け付けず、その後は独り身を貫いている。
「あの頃は、それが愛とは思わなかったけれど」
 今60を数えて、あれはあれで愛情の一つだったのかと不意に思った。
「もう少し早くに気が付いておけば、もう少し夫に優しくできたのかもしれない」
 自分に課せられた役目は国家の傀儡でありながら、国家を動かすものであること。決して必要以上に目立ちすぎず、その上で国を運営していく。王家が求めたのは、人間味豊かな女ではなく、国をきちんと動かしていける存在。アリシアの人格はそこに必要ない。
「あなたは、傀儡であろうとするわたくしを支え、その一方でわたくしをわたくしとして扱った。他にはそんな人はいなかった……」
 親が連れてきた、どこかの貴族の次男。その人格が気に入ったと父エドガーがアリシアに引き合わせ、そのままなんとなく結婚をした。喧嘩らしい喧嘩はせず、どこかに愛人を囲うでもなく、ただアリシアの影でありつづけた。あまり本心を明かさない男だったが、あちらもアリシアをそれなりに愛していたのだろうか。
「愛していたなら、あんなに早くわたくしに辛いことを強いるはずなどないですね……」
 なんとなく癖になりそうだともう一杯ポットから茶を注ぐ。ふと思い出して戸棚まで行き、置いてあるジャムの瓶を一つもってテーブルに戻る。小匙に一掬い、カップの中へ。軽くかき混ぜて一口飲むと、甘い味とフルーツのすっぱさと、甘い香りともともとの紅茶の香りが絶妙に交じり合った。
「……飲み方を考えたらまた違う味になるのね。本当に、いろいろ」
 カップ半分ほど飲み、また思考が過去へ飛んだ。
 夫が死んだ時、アリシアは泣かなかった。信頼できる人間を失い、その嘆きは深く沈着したが、涙を見せることはなかった。それを許されていない立場だから。トップが揺らぐと国が揺らぐ。例えどんな理由があろうと、嘆き悲しみ、ただ涙を流す暮らしをすることはできない。人であることと女王であることは違う。
「何よりも女王であれ。そう言って逝ったのですもの」
 知らず、若いアリシアの心に末期の夫の言葉が刻まれる。以後、王太子夫妻を喪った時も、戦役が勃発し、護るべき国が壊されていった時も、女王としての彼女は揺らぐことはなかった。その言葉のおかげで、女王を演じることが怖くなくなった。
 ポットに残った紅茶も飲み干し、夜風にあたりにテラスへ出る。夜のヴァレリアはいつ見ても美しかった。湖沿いの街の明かりが湖面に映って揺らぎ、天の星が映って揺らぐ。よく晴れた夜は星の海になることもしばしば。雨の日にはそれはそれで街の明かりが霞み、幽玄な雰囲気をかもし出す。
 クーデターの折、軟禁されていた時にも良くここに立った。というより、日課に近い行動であり、軟禁中だからという理由でもない。一日の終わりに夜風に吹かれてその日の行動を思う。忙しくて疲れてそのまま眠ることもあるが、そうやって内省しておけば次の日の糧になる。そう信じて。これは父エドガーの癖でもあった。夜眠れずに父母のぬくもりを求めて部屋にくると、まず一番初めに感じるのは湖からの風。冷たく優しいそれに包まれてテラスを見ると父がよく立っていた。時々母も。
 今考えることは一つ。今日の内省ではなく、ましてや明日もある生誕祭の儀式のことではない。
「わたくしは老いました」
 長く玉座に居過ぎた。最近特にそう思う。幸いにして国民から慕われ、諸外国にも引けを取らない国としてリベールを導いてこれた。だが昔ほどの気概が沸かない。本当は百日戦役の頃にはもう自分の老いを認めていた。口に出せない事態に追い込まれてしまっただけだ。そこから新しく流れていく物事や技術についていくのが精一杯。このままではいつ間違った判断を下し、他国に付け入る隙を与えてしまうか。それが一番恐ろしい。
「ユーディスが亡くなった時点で、他の後継を決めるべきだった」
 まだ自分の弟妹は健在だった。それを決めずにいたのは、生まれたばかりの孫を見極めたかったからなのか。戦役がなければ技術も一気に進むことはなかったであろうし、王位継承権保持者たる自分の弟妹たちも健在だっただろう。今悔いてももう遅い。こうやって過去の決断を悔いるようになったことこそが老いの証だと頭を振った。
「直系可愛さというものも貴族の中にはいた。そうだったのでしょう」
 それ以外の点で不必要に肉親を登用することがなかったので、表立っては出てこなかっただけ。他のものにはどう映ったかはしらないが、アリシア自身はいつだって綱渡りをしているような気分で、この40年を過ごしてきた。
「幸いにしてクローディアは上に立つものの資質を持っている。どんなに独りでいても折れない強さがある。……デュナンにも備わってはいるでしょうが……」
 クローディアはまだ社交界には出していない。それ以外の、普通の娘がする生活を経験し、その上で判断を下して欲しいと願う。暮らすことを知らずに王座に上げるには、まだまだ甘い。
 デュナンは、根はいいのは知っている。彼の親はアリシアともっとも仲の良かった弟だ。幼い頃にはアリシアでもはっとさせられることもあるほど、鋭い視点を持っていた。残念ながら現在ではその鋭さが見えない。
「……あれは、ルナール殿が過保護すぎるせいもあるのかもしれません」
 親衛隊を辞めてデュナンの執事として仕えると言った時には驚きが走ったものだ。弟に切望されて引きぬかれたのだが、厳しさを伝えられずにいる様がありありと見える。いつか声をかけなくてはと思いながらも自分の雑事に追われてしまっていた。
 ショール越しに空気が冷たくなってきたのを感じる。もう一度湖を一通り見渡して部屋に戻り、また椅子に座った。そろそろ眠らなくては明日の儀式に差し支える。
「……どう決めるにせよ、もう少しだけわたくしにはやることがある」
 壁にかかっているリベール国と近隣の地図を見、わざと口に出して呟く。この先この国と近隣国がどう変わっていくかは解らない。自分は老い、代替わりは確実。誰が後を継ぐにも、少しでもやりやすいようにしていくのが最後のつとめだ。
「小国には小国なりの生き方しかできない。けれど、小国なりの方法が取れる……いや、取らなくてはならない」
 両大国の真似をしても始まらないのだ。そこまでの体力はないのだから。
「もう少しだけ、老いたとは堂々と言わないようにしなければいけませんね」
 そしてその後は人に戻ろう。父を喪った時にも、夫を喪った時にも、息子を喪った時にも流せなかった涙を一番に流そう。涙を流した後には新しい王を少しでも支えよう。君主として立つことは孤独で、過酷であることはよく知っているから。もう一度淹れた紅茶を愉しみながら、遠くない将来を夢想した。


  Ende.


 一般国民にとってはお祭り。では当事者は? アリスちゃん(誰)の旦那さんの話はほとんどというか、どこにも出てこなかった気がしないでもない。こういうところを描くと冗長になって仕方ないのでそれはそれでいいのか? まぁ、自分なりに埋めることができるからいいですが。若干適当考察にも通じるかもしれない。何故王太子が死んだ時に他の後継を決めなかったのか。決めておくべきだと思うけど……謎です。

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