<武術大会>


 空気が変わる。何かが変わる。はっきりとそれを口に出して説明することはできないが、ジンはその空気の変容を知っていた。体がそれを覚えていた。
「……妙な……」
 最初は正直なところ、はっきりと認識できていたわけではない。ただ、控え室で精神統一をしているはずが、どうも仕事をしているような気分になってしまう。人を傷つける為の武ではなく、純粋に演目としての武の場である。己の技を正々堂々とぶつけ合う場である。だからこそ、普段よりもより研ぎ澄まされた心が必要になるというのに。
 しばらく悪戦苦闘したがやがて諦め、遊撃士としての思考に頭の中を変化させていく。すると、様々な声が聞こえてきた。
 毎年挑戦してきていた、親衛隊の新人隊士たちが今年に限って出ていない。かわりに胡散臭い特務兵なる集団が参加してきている。
 生誕祭の一環であるはずなのに女王は観戦しない。放蕩と呼ばれている甥の公爵が引っ張り出されてきている。
 囚人たちから出場してくる場合もたまにあった。けれど今回はいろいろといわく付きの集団のよう。
「……」
 黙って神経を張り巡らせながら、自身も頭の中で構築を始めた。

 そもそもこの国に来たのは武術大会が目的である。普段は共和国で遊撃士として生活をしているが、ただ純粋に武闘家として拳を振るってみたくなる時があるのだ。その欲求を満たしてくれるのにうってつけだと思った。たまたまカシウスからの手紙も来たがそれはあくまで二次的な理由。
「それでやってきたらこれか」
 控え室から出てロビーへ。まだ予選開始には時間がある。嫌な空気を吸いつづけて最良のコンディションを崩してしまうのは嫌だ。
 何か、あるのだろう。
 ツァイスに足を伸ばした時から妙な気配だったから。近々に何か大きなことが起こるのだと踏んでいた。
「カシウスの旦那はこれを見越していたんだろうか」
 A級といわれるランクを持つジンでもカシウスには叶わない。自分などよりもっともっと先をみて、全てをコマに見立てて動かしてきているような、そんな人間にみえる。大きく息を吐いてソファに深く腰掛け、目を閉じた。喧騒だけが耳を通り過ぎていく。
「……」
 動くに動けないのは今のような時。自分の勘は絶対に何かが起こると告げているが情報がない。それも、とても重要な情報が。
 胸の前で大きな音を立てて手をあわせる。受付がこちらを見たが納得してまた仕事に戻った。辺りをよく見れば参加者と思しき人間が思い思いに精神統一を図っている。自分もその中の一人で、フタをあければ多少面食らったものの武術大会そのものには何も思うところはない。
 よし、気にしないでおくに限る。
 軽く頷いてまた控え室へ。そろそろ予選が始まる。
「俺に関係あることなら勝手に事態のほうが寄ってくるだろうさ」
 それにここで動いてしまえばこの国の遊撃士たちに何を言われるかわかったものではない。正式に要請されない限りは動くと余計な軋轢を生みかねないだろうから。
「面倒なことだ」
 縄張り意識というものはどの組織にだってある。遊撃士協会にしてもそれは変わらず、表面上は何もいわずとも噂は漏れる。共和国内で拠点を持たずに活動をしているが、それは同じ国の中だからできるのだろうなと思う。共和国から外に出てしまうととたんに厄介になってしまうのだ。
「ヴァゼック選手、待機を」
「わかった」
 係員が声をかけてきた。

 道場からでて、それでも体を動かす仕事がしたいと遊撃士になった。どうせなら泰斗流の道場を開きたかったが単純に資金がなく、その問題も解決したいと思った。あの道場を継ぎたいとは思わず、新たに自分なりの道場を開きたいと思っている。
「双方、礼!」
 審判の声ににやりと笑う。自分なりの最敬礼をし、相手を見据えた。開始の合図と共に構えを取る。相手のことはほとんど知らないので何の使い手なのかは知らない。戦いの中で相手のやり方を学び、それに対応した動きにもっていくほうが好きだ。これは遊撃士になってから気が付いた自分の癖だった。
「脇が甘いぞ!」
「うるさい!」
 遊撃士である自分のことはそれほど好きではない。相手を本気で殺そうとしてくる場面に出くわすと辛くなる時がある。自分の拳は人を傷つける為のものではない。そう教えられ、もちろん今でもそう信じているが、時折揺らいでしまう。
「勝負、あり!」
 予選第一回目の相手はそれほど注意するべき相手ではなかった。すぐに癖が読めたし一撃も軽かった。自分と同格以上のものと純粋に手合わせをしたいと願うジンには少し物足りない。
「またやりあいたいな、でかい兄さん」
 けれど、すがすがしい顔で利き手を差し出されて物足りなさは吹っ飛んだ。
「もちろんだ。俺も負けないぞ」
 そうだ、これがないのだ。遊撃士として戦う相手には。試合のときとその他のときはきっちり切り分ける武闘家の心。勝敗にかかわらず、同じ戦いを極めようとするもの同士の連帯感とでもいえようか。
「どんなに仕事で拳をふるおうとも、俺は結局武闘の道からはずれることはできないのだろうな」
 控え室から次の予選を眺める。
「……」
 特務兵と名乗る組が見事な連携で対戦相手とやりあっている。他の三人に比べて隊長と名乗る人間は少し毛色が違うようだ。
「なかなかどうして、強いじゃないか」
 一見すれば両者互角のようだが本当は違うだろう。特に隊長の余裕のあり方が相手とは違う。
「ありゃ相手を見てないな……お」
 ジンと隊長の目が合った気がする。気のせいかと思ってその動きを追いつづけているうちに、気のせいではないとわかった。でなければ何度も頷く必要はあるまい。
「これがあるから、大会参加はやめられない」
 腰にお守り代わりに吊るしてある徳利を掲げた。よく見ていれば武闘家としての心構えもきちんとしている。実際にどんな人間なのかは全くわからないが、それはこれから先、この試合場で話す事ができる。
 徳利に応じて特務兵隊長が手を上げ、ジンは中の酒をあおる。
 何か起こりそうではあるが、気に食わないことはたくさんあるが、面白いこともありそうだ。
 ようやくいつものように大会に出ている気分になった。そして、次の予選開始を告げに来た係に満面の笑みを浮かべて応じるのだった。


  Ende.


 武術大会にかこつけて当時のジンさん話。パパのことは嫌いじゃないけど心酔してるわけでもなくて、何がしかの用事がないとそれほど積極的に協力しないんじゃないかなーと思ってみただけです。いや……あんまりにもパパ万歳ばっかりだったことに思い至って自分が落ち着かなくなっただけで。
 ジンさんは他国の遊撃士っていう位置にいるのにリベールで働いていることに関してはツッコミは受けてないみたいですね。通常の組織だと、他部署の人間が口だすといろいろ軋轢が生まれるばあいがあるのですが……正遊撃士の数が少ないのか? この辺も軌跡が綺麗過ぎる感じを受ける一因です。ま、おかげでそのへんを埋めるお話が書けるわけですがw

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