<工房>


 某日未明。

「フェイ、何処ー?」
 ようやく横になれたと思ったら次の瞬間誰かに呼ばれている。いつものことで、でも毛布の感触は捨てがたい。聞こえないふりをして黙っていよう。大体横になってからまだ物の数分も経っていないじゃないか。けれど足音はあたしがいるほうへ来ている。ああ嫌だ嫌だ。今度は何だ。油が切れた程度で呼びつけたんならあたしが完膚なきまで叩き壊してやるから。
「見つけた! 早く交代してよ」
「……」
「寝たふりしないで! 三交代って決めたじゃない!」
「……ちょっとまって。あたしついさっき寝たばっかりじゃない……何時?」
「五時」
「……ウソ」
 確か寝る時は二時半だったはず。数分しか経っていないはずだったのに、なんでそんな時間がたってるわけ? 信じられない。だって周り暗いじゃない……ってこの部屋窓がないからそりゃ暗い。
「信じられないのはこっちの方よ。あんた昨日は早番だったじゃない。早朝当番回ってくるから早番だったのに、なんで二時半になんか寝るわけ?」
「そんなの、あの馬鹿コンベアに言ってちょうだい」
 工房地下にあるコンベア。隧道を通ってルーアン地方から運ばれてくる輸入品を乗っけて上までもっていくんだけど、これがまた一歩間違えると頗る付きに機嫌が悪くなる。昨日はさっさと帰って偶には部屋で寝たいと思ってたんだ。けど嫌なところに居合わせちゃった。なお悪いことに丁度荷物があって、しかもそれが納期遅れで上の工房から矢のような催促が来てた。あたしらに催促したって仕方ないじゃないかって文句言ったんだけど、ルーアンの方にはその何倍も連絡入れてたらしい。荷物が遅れたのは海が荒れたからで、さぞあっちも迷惑だったろう。あたしらも迷惑だけど。
 そんなわけでご機嫌取り。ようやくちゃんと動いてくれるようになって、人の手じゃ絶対持ち上げられないようなものが動き出したのを確認して、箱の山をベッド代わりに倒れ込んだって言うのに。そんなあたしを仕事に借り出そうって言うの?
「うん。こっちだって夜勤明けなんだから。十七連勤よ十七連勤! どうかしてるわ!」
「あー……そういやそうだったね。……わかった」
 目の前の同僚は確かに誰かから仕事押し付けられて、昨日はオフだったはずなのに出てきたんだっけ。あたしもやったことがあるけど、もうただごとじゃなくなる。朝から深夜までが連日。そんなのが精密機械の調整なんかできるかっての。でもなかなか人を増やしてくれない。というか、慢性的にこの街人不足なんだ。それに、入ってきてもすぐ新米の数が減る。
「じゃ、この毛布借りるわ。お休み」
「ん。適当な時間に起きて帰ってちょうだい」
「言われなくとも……」
 皆まで言えずに寝息が聞こえてきた。


 某日朝七時半。

 さっそくやってくれた。無理に夕べ人用のエレベーターに馬鹿重たい荷物載せたせいで調子はおかしかったんだ。それがついに動かなくなった。二階と三階の間で立ち往生。寝起きで、早朝だったらそんなに人も動いてないからと油断してたあたしは覚醒したね。嫌って程。幸い中に誰も乗ってなかった。ガタピシ言ってるような、聞くからに怪しいエレベーターに乗るヤツもいないでしょうけど。
 点検口から覗き込むと幸いにしてたいしたことがなかった。補修用の資材もそろってるし、起きてるヤツラも熟練が多いからどうにかするでしょ。……と思ってたんだけど。
「おいフェイ。お前上がって来い」
「何であたしが。冗談じゃない」
「お前が一番軽そうに見えたんだがな、体重。そうか、見かけより重いのか」
 とりあえず腹に一撃叩き込んで仕方なくハーネスを身に付けた。要するに体重が軽いものがやるのが不安がなくていい、そうだ。
「なんでこんな目に……」
「お前らがコンベアのご機嫌損ねるからだろ」
「そんなのコンベアに聞いて!」
 上階の点検口から吊り下げられて、非常灯を頼りに修復作業。上から降ってくる同僚の声が反響してやかましいったらありゃしない。コンベア整備は確かにあたしらの仕事でもあるけど、そろそろ本気でバラして点検しないといけないんだ。それをいるからって騙し騙し使ってるからこういうことになる。再三、分解点検させてくれって言ってるのに……。
「終わったよ! 引き上げてちょうだい!!」
 自分の声が耳に響く。そういえばおなかすいた。昨日のお昼から何にも食べてない気がする。


 某日午前九時半。

 結局修復後にもなんだかんだとこまごま仕事してたら、ご飯食べられたのがこんな時間になった。書類仕事なんて嫌い。誰か専属で書類仕事する人雇って。何をするにも稟議書書くのなんて面倒。でも、食堂のご飯は美味しいから少し元気になった。食べ過ぎたら眠くなるから控えめにしないと。でも食べないと力がでないし。いつもこの辺は悩むところ。
「ようやく朝ご飯? お疲れ」
「んー。あ、ダンさんおはようございます。今日は昼からじゃなかったでしたっけ?」
 結局おなかいっぱいになるまで食べて、鈍くなる頭の回転を根性で動かしながら目の前の男性に聞く。
「ああ、工房長のお呼び出しだ。今度は何を言われることやら」
「そりゃ大変ですね。ようやくこの間帰ってきたばっかりだって言うのに」
「慣れたよ」
 軽く肩をすくめて食堂を出てった。常識はずれの博士の一家、唯一の良心ってあたしらは呼んでる。ティータだってかなり博士たちの血が濃いみたいだし。まあ、優秀な技術者が増えるってことは、あたしらを手伝ってくれる人間が増えるってことだから万万歳なんだけどね。
 朝の光がちょうど席に差してきて、ほんとに気持ちいい。アントワーヌみたいにどこか陽だまりで心行くまで寝てみたい。でもまたどこかで人手が足りないって大騒ぎしてる。静かさってものをこの工房で求めようってのが間違いだってのは、わかっちゃいる。
……ああ、まだ騒いでる。どこの班だ? ああ、エンジン班か。そういやエンジン部品だったな、夕べのあの荷物。どんなになってるんだか、ちょっとみてこよう。


 某日午後十二時半。

 ウッカリ顔を出したが最後、まだ書類が山のように残ってるって言ってるのに放してくれないまま、ずっと削りだし作業を手伝ってた。行っちゃったこっちも悪いんだけど……。でもパーツを削りだして、試作とはいえ形になるってすごく好き。やっぱりこの仕事やっててよかったって、心底思う。あたしの意見も採用してくれたし。
 ま、そのおかげで今酷い目にあってる。コンベアはまた不機嫌だし、どうしても工房長のところまで持っていかないといけない書類が増えてた。こいつらどこかで分裂してるんじゃないかって思うくらい。でも残念ながら内容はちゃんと違うし、これ通さないと全然こっちの仕事ができないからその案は闇から闇に葬ることにした。だいたい想像すると気持ち悪い。
「……あ、これは!」
 一枚の書類。その内容が一瞬で脳に刻まれる。今朝止まってたエレベーターの件だ。最大積載量がもっと大きい、人も荷物も載せて大丈夫なものにしようって話。これが実現すれば。
「お、目に留めてくれた?」
「うんうん。これ上手くいったら大分こっちも楽になるよ。こっち稼動させて分解点検できるし。工房内の輸送能力も上がるし」
「だろ? でも来期の予算締め切り今日なんだ」
「……なんで早く出さないの!」
「そんなもん、今朝気がついたんだから仕方ねぇだろ!」
「確かにそうだけど。……締め切り今日!?」
 慌ててカレンダーをみると確かに自分の字でチェックしてあった。ああ、朝の時間って本当に大切だったんだ。エンジンに消えた時間は戻らない。
 他にも山ほどある書類を目の前の同僚に押し付けた。
「一蓮托生! とりあえず重要度高そうなの、チェックしてって。あたしはこっちするから!」
「しゃーねーな……」
 その後二人で黙々と書類作業。あんまりに鬼気迫ってたのか、後から聞いたらやっぱりコンベアおかしかったらしいけど、その間は誰も呼びにこなかった。


 某日午後三時。

 なんとか。本当になんとかなるもんだ。人間の底力ってすごいのかも。いまあたしは工房長の部屋の前にいる。あきれと諦めと共に。
「……今日もまた盛況だな」
 同じ理由で隣に立ってた整備長が溜息をついてる。そう。確かにあたしはそこにいたんだ。けれど他にも人が溢れ返ってた。
「大体工房長と市長を兼任するって言うのがまちがってるんだよな……」
「……同意します」
 どこかの街灯の明かりがつかないとか、どこかの土地で争ってるとか。専用の窓口があるのに、工房長のところに直談判しに来る人が後を立たない。一体いつになったら提出できるのかと思ってたらダンさんが他の数人従えて顔をだした。市民たちに何か言ってるけど、あたしたちの場所からじゃよく聞こえない。と、納得はしてないけどみんな帰りはじめた。まだごねてる人は他の技師が抱えて連れ出してる。
「さすが、あのラッセル家の良心。あの話術は見習いたいもんだ」
「おや、お二人は何の用事で?」
 気がついたとあたしたちを見る。黙って書類の束を差し出した。
「ああ……じゃ、中で直接渡した方がいいね」
 部屋の中はもうもうとした煙で充満してて、思わずむせこんだ。ミリィせんせから煙草は止めろって言われてるはずなんだけど、どうしてもやめられないんだってさ。この分じゃまた怒られそう。他人事ながらかわいそうになってきた。
「工房長、申請書携えてお客さんですよ」
「……なんだ、ウチの人間か。また鳴り物の木がどうのって話かと」
 あんまり工房長と顔つき合わせることはないんだけど、ここんとこいつにもまして陳情が多いらしくって、なんかくたびれた、っていうのが一番しっくりくる。もっとパワフルだったような?
「で、どちらに提出すれば?」
「ああ……そこの箱の中に」
 指差した方をみると、大きな箱が三つくらい重なってた。じょ、冗談……じゃないみたいだった。一緒にいた整備長の顔をみると、そっちも妙な顔してる。とりあえず置いたけど、自分の書類にいつ目を通してくれるんだろ。こんなだったらあんなに必死になって書類仕事しなくてもよかった。


 某日午後五時。

 あの後しばらく工房長の愚痴を聞いてた。ここぞとばかりに出るわ出るわ。そこに居たのはあたしと、ダンさんと、整備長と、他にも何人かなんだけど、終わった時はみんなゲッソリ。なんかもう灯りまでやる気なかったんだか、消えた時にはあきれて声も出なかった。まあしばらくしたら点いたんだけどさ……。
 だから絶対人入れたほうがいいって。技術職に限定しないでさ、ちゃんと書類できる人! 二人いれば大分はかどると思うんだけど。処理できる書類が限界超えてるじゃん。こんな箱三つ、工房長一人でやらせたらそのうち壊れるんじゃないかって、すっごく心配になってきた。
 で、ようやく外に出たら今度は真打ち登場。今日は静かだなぁって、逆に不安になってきてて。ようやく騒動が起こった時にはちょっとほっとした。んで、すぐ自分の思考に疲れるわけ。どうせ工房中蜂の巣つついたみたいに大騒ぎに巻き込まれる。それならその災禍はさっさと終わってくれる方がいいに決まってる。よく深夜にも勃発してくれるけど……やめよ、気が遠くなってきた。
 その日の始まりは静かだったね、確か。
「今日は何さ」
 手近な技師に聞いてみる。
「あ、さっき短時間だけど導力停止したろ? 博士が実験はじめたんだ。かなり導力喰ってくれてさ……事前に一声かけてくれりゃこっちだって何がしかの準備はできたんだがいきなりコレだよ」
 水を桶にいっぱい入れてた。何してたんだというと、廃熱を上手く逃がす機械を作ってたんだって。でも導力停止したおかげで行き場のない廃熱がそのまま発火。慌てて水かけて消したとか。この工房結構個人で危ないことやってるからね……。
「あ……そういえばさ、嫌なこと思い出したんだけど」
 聞きたくない。聞きたくないけど聞いてみた。
「確かさ、演算室から通達まわってたろ? ここ十日間、ぶっ通しで演算かけないといけない件があるから、極端に導力低下するような実験するなって。カペル、結構導力喰うからとかなんとか」
「……あった気がする」
 その後は沈黙。なんとなく水に映った自分を見ると、もう大変に疲れ果てた顔が。ああもう、今日は絶対意地でも帰って寝る!


 某日午後八時。
 
 はずだったんだけど。そろそろ頭が限界なんだけどって訴えてる。閉まるギリギリで食堂に滑り込んで、簡単なものを流し込んだだけじゃおなかもすいた。お願い眠らせて。半日寝たらまた元気に仕事しに来るから。っていうか今日の勤務なんかほんとはとっくに終わってたはずなんだ。泡吹いてひっくり返ったはずのトランス主任が、地下にお化けみたいな感じで現われさえしなければ。気の弱い新米の方がひっくり返ってミリィせんせのお世話になる始末。
「な、何事ですか主任……」
「……隧道の奥に行けば少しはすっきりするかもしれないと……」
「ちょ! するわけないじゃないですか! 誰か、主任止めて!!」
 本格的に危ないことになってる。工房長がなんやかんやから逃げてきて隧道に入ろうとするときはあるけど、主任が来たのは初めて。こりゃよっぽど大事な演算だったんだって思うけど、カペルの技術はちょっとあたしらみたいなのじゃ手におえない。主任は行きたがるし、あたしは必死で止める。大騒ぎしてたら地下にいる人間みんな集まってきてくれた。おかげで隧道行きは免れたんだけど、しばらく暗く静かなところに居たいって駄々こね始めた。まあ、こっちだってそんな時あるしね。何もかもヤになって、一人になりたいー! ってのは。
 仕方ないから、コンベアの様子見がてら見張りを交代でやったんだ。夜になってようやくちゃんと動いてくれて。ちょっとだけウツラウツラしながら。いつもあしざまに言うけど、こっちが心底疲れてるときは結構動いてくれる。もちろんそうでない時も多いけど、とりあえず今はその気紛れがありがたかった。願わくはもっとじゃじゃ馬から成長してくれたらって思う。あんまりいってたらきっとまた機嫌損ねそうだからやめた。


 某日午後十一時半。
 
 なんであたしまだいるの? そんな疑問すらもう湧かない。いいわよもう。こんな時間になると変な覚悟ができる。今度は何? また博士? 誰かあの人どうにかしてよ……。
 そんなこと思いながら。今日も不夜城で一日が暮れる。たまにはおしゃれなんかして遊びに行きたい気もする。でもやっぱりこの仕事好きだから。明日はどんなトラブルが起きるんだろうな。
 でもってまたあたしを呼ぶ声がする。仕方ない、行くか。愛用の工具箱を持ってどこまでも、ね。


  Ende.


 FC時からフェイさん好き。なので彼女を追っかけてみた。ハードな職場だ。でも一番働いてみたいところです、中央工房。自分の好奇心を最も満たしてくれそうなところ。

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