<孤児院>


 あのね、あのね。おそらはまぁるいんだよ。まあるくて、あったかくて、おいしいの!

 なんだよそれー。意味わかんねー。

 だから、おそらは……


 夜中に目がさめたテレサは直前まで見ていた夢を思い返した。昔々のやりとり。結局あの話はどう結論づいたんだっけか。寝台から降りてショールをまとい水を汲む。カップを手に持って目を閉じた。

 いつのことだったか。まだ自分が幼い、今自分があずかっている子どもたちよりも小さかった頃の話。近所に住んでいた友達が笑っていたのだっけ。それをやっぱり近所の男の子が茶化していたんだっけ。

 もう顔もぼんやりとしか思い出せない。名前もとっくに忘れてしまった。年をとるということが嫌でものしかかってきてしまう。
「『年はとりたくない』とよくお父さんやお母さんも言っていた気がする。思うことはいつでも同じなのだろうか」
 子どもたちの部屋へ行くとぐっすりと眠っていた。現在は三人、この簡素な小屋であずかっている。日々驚かされることばかりだが楽しくもあり、もうこの子どもたちなしでは自分は生きていけないだろうなと思う。
「……とはいえ」
 寝台から落ちかけたシーツをそっと直す。音を立てないように部屋から出てほっと一息。
「もうこれ以上は自分の手が回らない」
 時折起こるとんでもない騒動もそうだが、日々の生活でも体力がついていかないと思うことが多くなった。あずかるにしても、年長の子が自分の手伝いができるようになるまでは無理だろう。寂しさから始めた孤児の育成だが、一度あずかると決めた以上中途半端な気持ちではあずかるわけにはいかない。
「さて……明日はルーアンまでお出かけ。準備も大変だから、私も早く眠ろう」
 持っていたランプの火を消すともう一度寝台に横になる。さほどせずにテレサは眠りに引き込まれた。そして見た夢は、顔もわからなくなってしまったかつての友たちと一緒に空を巡る夢だった。

「うみがすき。おそらはよくわかんない」
「やっぱりうみのむこうへぼうけんしにいきたいよな! おとこのロ……ロ……ってやつ?」
「ロマン、じゃない?」
 ルーアンへ向かう道すがらテレサは子どもたちに夕べの夢の話題を振ってみた。思い思いに言葉を並べ、露払いを頼んである遊撃士にも聞く様はなんとも微笑ましい。
「やはり場所柄ですね。空よりも海」
「自分もそうですよ。今でも海の旅って聞くとワクワクする。たまに船旅護衛の依頼もあるんですがすぐにみんな食いつきますね」
 若い遊撃士も海岸線を眺めながら目を細めた。本当は船乗りになりたかったんだとこっそり付け足した。
「まあ。貴方なら船乗りでもやっていけるのでは?」
「オヤジが病気しまして。船乗りはほとんど陸にいられないってこともあって、遊撃士の道を選んだんです。ちゃんとオヤジは看取れたし、さっき言ったように船旅護衛の話もたまにあるし」
「……それはごめんなさい」
 気にしないでくださいと片目を閉じる男にほっとした。
「前の戦争で飛行艇やらの技術が上がったって聞くけど、自分的にはそれがどうしたって感じです。急ぎの時は定期便使うんですが、結局歩く距離も半端じゃないことがほとんどなんで」
「そんなものなのですか。私はあまりこの地方から外に出ないので良くわからないですが……あの子達がもう少し大きくなってきたら、ツァイスの動く階段や王都見物に連れて行こうとは思います」
「結構小さいお子さんたちも乗ってますよ。乗員たちもその辺は心得てますって。たくさんお菓子やおもちゃを載せて飛んでるみたいで……おっと」
 飛び出してきた魔獣を払いのける。子どもたちがその様子を見ていたのか、追い払われた魔獣が山の中に消えていった後に歓声があがった。
「すっげー!」
「おにいちゃんありがとうね」
「退治しないんだ……」
 純粋な目を向けられ遊撃士もにこりと笑う。
「これくらい朝飯前さ。退治しないといけないわけでもなし」
 追い払ったことに疑問をもったマリィの近くにしゃがみこむ。
「言われたことはないかい? 生き物は大切にしましょう、って」
「あ……うん!」
「魔獣だって生き物なんだ。便宜上「魔」なんて使ってるけど、必要以上の介入をしなければお互い結構割り切って生活できるもんだ」
 頷いた少女にウインクを一つしてまた先に立つ。
「ありがとうございます」
 テレサが礼を言うと遊撃士の顔が赤くなった。
「いや、たいしたことでは。自分の師匠にはよく「無駄に殺すな」って言われてたんで。ついでに硬い木材で容赦なく頭叩かれるから、今でもこれだけは破れないですね」
「ふふふ、お師匠様はそうなって欲しかったんでしょう」
「おそらく。でももう少し方法は考えて欲しかったなぁ」
 他愛のないやりとりをしているうちにルーアンの門が見えてきた。遊撃士に別れを告げてテレサは子どもたちを集める。
「いいですね。決して私から離れないように。特にあっちの方には行かないように」
 倉庫街のほうを指差しながら言い含める。けれどどこまで守ってくれるやら。前にも何度かはぐれて騒ぎになったことがあった。
「橋は絶対渡ってはいけません」
「はーい」
「うんわかった」
「あたしが二人の面倒みるから」
「なんだと!」
 少し大人びてきたマリィが残り二人の男の子の上に立ちたがるようになってきた。当然クラムもダニエルも気に入らないが、特にクラムはよく反発した。
「喧嘩は止めなさい。お買い物の予定を取りやめますよ」
「……お前のせいだぞ」
「なんであたしのせいよ」
「……」
 いつもこんな調子。やはりもっと遠出をするには早すぎる。

 露店で飲み物を買って子どもたちに配る。目星をつけていたものは注文することが出来た。近々に配達をしてもらうため今日持ち帰る荷物はほとんどない。正直な話はそうでもしないと子どもたちの面倒を見切れなくなってしまうというのがある。
「美味しい……」
 よく晴れた一日、歩き回って買い物をしていたので甘く冷たい飲み物がたまらなく美味しい。子どもたちの様子を見ると思い思いに休みながら飲み物を飲んでいる。少しくらいならと買い与えたおもちゃを握り締めて放さないので少し飲みにくそうではあるが、以前におもちゃを預かろうとしたら酷く反発されたことがあるのでそのままにしておく。服が汚れても洗えばいい。洗ってくたびれてきたなら作り直せばいい。
 しばらく海風を浴びながら店の主人と話をしていたがふと一人足りないことに気がついた。
「さっきまでいたのに」
 本当にものの数秒だけ、次に始めるというメニューを少し見ただけのその合間。とりあえず近くの大人にお願いして手伝ってもらわなくてはならない。
「今日は大丈夫かと思ったけれど……やはりまだこうなってしまうのね」
「仕方ないんじゃねぇかな先生。子どもは一箇所にいられないモンだ」
 俺も手伝う、と露天商が周囲に声かけをはじめた。こうやって手伝ってくれる空気は純粋に嬉しいが、自分自身の管理不行き届きを見せ付けられているような気分にもなる。とはいえ今は反省する時ではない。
 いなくなったのはマリィ。一番大人びてきた女の子だからと油断していた部分はある。だが女の子だからこそ余計な犯罪に巻き込まれる可能性もある。そこまで頭が回らなかった自分が悔しい。
「マリィ! マリィ!」
 クラムとダニエルを露天商に預けて呼びかけを続けているとホテルから従業員が出てきた。
「あの、もしかして小さな女の子をお探しですか?」
「えっ……」
「お預かりしておりますよ先生。今フロントで」
「ああ……感謝いたします……」
 すぐ見つかってよかった。ほっとする反面きちんと叱らなくてはいけないと気を引き締めなおす。
「こちらに」
「あ、せんせい!」
「マリィ……あなたなんで……」
「このこ……ひとりなんだって」
 テレサが話し始めるより前にマリィが自分の影に隠れていた少女を押し出す。幼いマリィよりもなお幼く見える小さく華奢な女の子。薄汚れてはいるが明るい髪の緑の目。灯台の方に行ったとき物陰から泣き声が聞こえてきて、気になってもう一度見に来たら彼女がいたのだという。
「……」
「どうします先生。……とりあえず親探しの依頼出しておきますね」
「すいません本当に。それにしても」
 こんな幼子を置いて親は一体どこに行ってしまったのだろう。顔も知らない親に対して怒りが湧いてくる。そのテレサの気配を察したのか、幼子の目に涙が溜まり始めた。
「こわくないよ、こわくないからね? あたしたちのせんせいだもん」
「……う」
 マリィがすかさずなだめる。少し考えた挙句に大泣きになることはなかった。
「先生、どうやらその子の親は病気でこの間死んでしまったらしいです。遊撃士協会に孤児保護リストで連絡行ってたみたいです」
「まあ……」
 近くに親戚もいない。蓄えも当然ない。家はあるにはあるが、今月末で契約が切れるそうだ。近在の人間がこれではいけないと遊撃士協会に保護を願い出ていた彼女の名前はポーリィ。
「近所で預かれたらよかったのかもしれないですが、何せあの付近あんまり裕福じゃないので、みんな自分の暮らしで手が一杯なんです」
 協会からジャンが来てポーリィを眺める。
「保護依頼が来ていますので、うちでしばらく預かりますね」
「その後は?」
「そうですね……まあ順当に行けば孤児院に入ってもらうことになると思いますよ。先生のところはもう三人いるのでそちらには回さないよう手配します」
 軽く頭を下げてポーリィをまたみつめる。大人たちがああでもないこうでもないと言っている間、ずっとマリィが少女に話し掛けつづけていた。
「……あんた、おそらがすきなの?」
「うん……あったかくて、おいしそうなの」
「なにそれ」
「……」
 あの夢は予言だったのだろうか。期せずして、海が生活の隅々まで入り込んでいるこのルーアンで、空への憧れをまた耳にすることになろうとは。
 少女の様子を眺めているうちに、過去に空の発言をした友を思い出す。確かあの子も、深い緑の瞳をしていなかっただろうか?
「あの頃でさえ、空を「まあるくて、あったかくて、おいしいの」と表現する彼女の感性はわからなかった。年をとってしまい、なお固くなったこの頭ではついて行くことは出来ないかもしれない」
「え?」
 傍らにいたジャンが唐突な言葉に顔を向ける。
「私のところで預かります。こうして出会ってしまったのに、他の孤児院に預けることはできないですし」
「でも……大丈夫ですか? 援助金はもう出なかったと思うのですが」
「……」
 確かに財政的にかなり厳しい。正直なところ、庭で野菜を栽培しているのと、近所の家からあまり物を貰えるからこそやっていけているような状態ではある。
「でも、それは子どもたちの未来には関係のないことです」
「……わかりました、手続きします。……もう彼女は連れて行かれますか?」
「そうね。その方がいいでしょう。なにより、小さな先生がポーリィを放しそうにない」
 テレサの視線の先には精一杯お姉さんぶって話し掛けるマリィがいる。
「確かに。将来有望そうだ」
 ジャンも笑って頷いた。
「さて、あとはあの腕白をどうやって説得するべきか。ダニエルが来た時はあんまりいい顔しなかったけれど」
「クラムですか? 大丈夫ですよ、彼もちゃんと成長している……と思います。まだウチのカウンターからペン持っていったままですが」
「あら! きつく言っておきますね」
 軽く笑う。これからまた大変になるだろう。彼女の為の生活用品一式を彼女の家から移動してもらわないといけない。自分の体力的な問題もあるが、マリィがそのあたりはカバーしてくれそうだ。
 とはいえ、と思う。言うことを聞かなかったことに関してはきちんと叱らないといけないなと、マリィに向かうのだった。


  Ende.


 そんなわけでまた一人、孤児院で預かる子どもが増えたとさ。ポーリィはカテゴリ分けに放り込むと「不思議ちゃん」あたりになるんだろうか。
 ルーアンでは間違いなく空より海の方が日常に絡んできているはず。海まつわりの民間伝承とかも他の地方とはけた違いに多いんじゃないかなとか。ずっと沖には古代の都市が沈んでいる、とか(ニライカナイですか)。

戻る