<マーケット>

 しばらく静かだったのでリラは上機嫌だった。自分の仕事がすんなり終わる時ほど嬉しいものはない。メイベルも大人しくしているようだし、と心の中で軽く笑う。そもそもすぐに視察と称して抜け出すから書類仕事がどうしても終わらない。王室へ提出期限ギリギリの夜になんとか出来上がることもしばしば。そんなときは自然機嫌も悪くなり、リラ以下使用人全てがピリピリした空気になってしまう。あんまりそれは好きではないというよりかなり嫌いだ。
「まあ今は仕事をされているようですし、お茶でも淹れて一息ついてもらおうかしら」
 棚から取って置きの茶葉を取り出しメイベル専用の最高級のカップに湯を注ぐ。ほどよく温まったところで茶と入れ替え、メイベルの執務室をノックした。
「お嬢様、お茶が入りました」
 いつもならすぐ返事があるが静かなまま。
「お嬢様? メイベルお嬢様?」
 嫌な予感。少し激しくドアを叩くがやはり反応がない。
「……少しこれを持っていてくださる?」
 通りがかった使用人にお茶セットをお盆ごと渡してドアに向き直った。
「り、リラ様……」  不安そうな声を背中に受けつつ扉を押す。居眠り程度なら許そう。優しく声をかけ、疲れているメイベルに甘いお菓子を渡そう。そして英気を養ってもらって仕事をしてもらうのだ。  けれどリラの胸の奥では、絶対にそんなことでは収まらないと告げる何かが蠢いている。 「お嬢様!」
 開け放たれた扉の真正面には大きな机。その上に書類が載っているがメイベルはいない。机から視線を背後に動かすとそこは大窓。先ほど書類を持って入ったときとある一点を除いて同じだ。その違った一点とは。
「……やられた」
「はっ?」
「静かだと思って安心したのがいけなかったのね……」
 使用人がお茶セットを落とさないようおっかなびっくり覗き込んだその部屋はいつものメイベルの部屋。だが、窓は大きく開け放たれ、カーテンで作られた簡易の梯子が外に向かって垂れていた。
「ああもう! まだたくさん仕事が残っているというのに!」
 とにかく探さなくては話にならない。リラはスカートをたくし上げ、ものすごいスピードで屋敷を飛び出していった。その様子を見送ったサラは後でこう語ったという。
「まるで、シャイニングポムを追い越す勢いだった」
 と。

 メイベルが行く場所は十中八九マーケットである。市長邸から一番近い町の出口はもう慣れ切っているのか、メイベルだけでは門を通さないことになっていた。別にリラから依頼をしたわけではないが、いつだったか門番が同情してそういう風に計らうようにしてくれた。
 各店へは顔が知れているのですぐに連絡されてしまう為、人が多いマーケットに行って紛れてしまうのだ。マーケットの店は一応許可制だがマーケット専門の部門がもう既にあるので、市長邸に回ってくる書類には店の名前しかない。その名前と扱うものに惹かれてメイベルがそっと出奔してしまうことはままあった。
「おカミさん、お嬢様を知りませんか?」
 雑踏の中、見知ったアイスクリーム屋を見つけた。今日みたいな暑い日はさぞアイスが美味なことだろう。一瞬仕事を忘れ買い物をしてしまいそうになったが頭を強く振った。にこにこ笑いながらアイスを頬張る子どもを少しうらやましいと思いながら店主に声をかけた。
「メイベルお嬢さんならさっきアイス買ってくれて、それからそっちの方に行ったよ。ミネ婆さんちのほう」
「ありがとうございます」
「相変わらずねぇリラちゃん。ちょっと一息いれていく?」
「ありがとうございます。けれど今は仕事中ですので……また休み時間にお願いしますね」
「とかいって、リラちゃん全然休みのときに出てこないんだもの。知ってる? 今はお菓子のお店が多いのよ。お屋敷で出しても十分いけると思うんだけど」
 長話が始まりそうだったので慌てて一礼をしてその場を離れた。アイスも心残りだしお菓子の話も興味深いが今はとにかくメイベルを捕まえることが一番だ。揺らぎそうになる決意をなんとか掲げてミネの雑貨屋へ。相変わらず何でもありの雑貨屋だ。
「ミネさん! お嬢様を見かけませんでしたか!?」
 タイムバーゲン中で人が多い。ミネは近在から集めてきた奇書の類を二束三文で売り飛ばす時があり、その筋の人にはひそかな発掘ポイントとしてみなされている。今日もそんな蒐集家が鬼気迫る勢いでワゴンに群がっていた。
「あー!? あんたはお屋敷のリラちゃんかね!?」
「そうですー! お嬢様、こちらに来たと思うんですが!」
 周囲の喧騒に負けないよう声を張り上げる。しばし大声の応酬をした結果、メイベルは薬局へ行ったとのことだった。ミネとしばらく世間話をし、お茶やお菓子を食べ過ぎたので胃腸の薬を買いに行くとか。
「……」
 あまりの情けなさにめまいがした。ミネが大丈夫かと肩を叩くのでなお一層やりきれない気分になったが、やる気をそがれている場合ではない。でなければ自分の仕事が真っ当できないのだ。
「ありがとうございます。では……」
「ちょっとまって。コイツをもってお行き」
 ごそごそとカウンターの裏から取り出してきたのは舶来物のお菓子。
「気力が萎えてちゃあの子は捕まえられないよ。このマーケットの裏の裏まで知り尽くしてるんだから」
「はい、肝に銘じておきます」
 がんばれ、と応援を受けて薬局へ向かう。このままではマーケット中を引き摺りまわされかねないと嫌な予感を抱きつつ。だがそれは杞憂に終わった。他の喧騒と打って変わって静かな薬局付近、棚の一つをじっくり眺めるメイベルを見つけた。
「……お嬢様」
 背後から音もなく近寄り声をかけると大げさに驚くメイベル。
「え、えっと……リラ、ご機嫌いかが?」
 作り笑いと冷や汗どちらかにした方がいいと言いがっしりと肩を掴む。
「良いように見えますか? さあお屋敷へ」
「わーっ、ちょっとちょっと待って!」
「人前で大声を出すなんてはしたない。なくなったお母上が見ると嘆かれますよ」
「母様のことを持ち出さないでちょうだい……ちょっと気になってたからここから見てたのよ、あの様子」
「?」
 棚はよく見れば商品が置いておらず、その向こうにマーケットの喧騒が見える。中央の広場には天井から光が差し噴水を輝かせていた。
「……? どの辺りが気になる場所なのですか?」
 言われるままリラも覗き込んでみたがよくわからない。首を傾げながら振り向くとそこには誰もいなかった。握り締めていたはずの肩には布袋がつかまされている。
「えっ……一体……」
「お嬢さんはもう行っちまったよ」
 店主であるスペンスが禿頭をなでながらパイプをくゆらせる。
「あの一瞬であんたの手をかわすとは、腕を上げてきたねぇお嬢さんも」
「……いや、そんな暢気な……」
「血、だろうねぇ。市長邸の。お嬢さんのお父上やお母上もよくこうやってウチで追っ手を撒いたもんだ。……あんた、何もってるんだい?」
 パイプでリラが手にもったままのお菓子を指す。
「これは、先ほどミネさんに戴いたものですが……」
「ああ、あの婆さんまだソイツなのか」
 怪訝そうな表情でお菓子を見るリラを眺めスペンスはこう付け足した。
「ソイツは、あんたんトコのメントスが先代を追っかけてた時に、婆さんが見るに見かねて差し入れたお菓子だよ。帰って聞いてみるといい」

 嫌な予感のとおりマーケット中を走り回り、なぜかメイベルもリラも山ほどのお菓子を抱えて屋敷に帰ってくる羽目になった。待ち構えていたメントスは呆れつつもお菓子を受け取り、メイベルを執務室に押し込むと一息つく。そこにリラはミネからもらったお菓子を見せた。途端に渋面になる。
「結局あの頃からこの屋敷の中は変わってないし、マーケットの古い人間にはそれが知れ渡ってるってことだな。どうにかしたいところだが……ああ、それはとてもおいしいお菓子だ、遠慮せず食べるといい」
 食べ過ぎて太りそうになるくらいにと呟いて二階に上がっていってしまった。
「……それって、それだけたくさんお菓子をもらった、つまりそれだけ先代様は脱走されたということかしら」
 その妻も確かお忍びでマーケットに出歩いて、屋敷のものが探し回ったはず。そのたびにミネは追っ手にお菓子を渡したのだろうか。
「……絶対にお嬢様の悪癖を治して差し上げなければ!」
 言いつつも不可能ではないかという思考が頭をよぎる。なぜなら、一口かじったお菓子は今まで食べたどのお菓子よりも美味だったから。


  Ende.


 メイベルを追いかけるリラ、つまり市長一家を追いかける使用人の姿はボースの風物詩です。さてリラさんは太ることを回避できるのか。それにしてもマーケット楽しそう。グランセルの百貨店よりそれぞれの店が生き生きしてる感じがします。

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