<祝福(ゴスペル)>


 真っ黒い、一瞬見ただけでは何に使うのかがわからないそれはゴスペルと呼ばれていた。現在の技術では到底作り上げることができない、いわゆる時代にそぐわないものアーティファクトの一つ。あの事件でその存在は広く知れ渡り、そして、少なくともリベールにはもう存在していないはずだった。
「結社で作られてたらよくわかんないけどね」
 テーブルに顎を載せてゴスペルが写った紙を眺めるエステル。
「そんな嫌なことは言わないの」
 あまりのだらけっぷりにシェラザードがエステルの頭を軽く叩く。肩をすくめながら居住まいを正した。
「うん、まあそうなんだけどね。まぁ結社に関しては何を考えてても、想像の斜め上を螺旋描いて降ってくる感じだから」
 その言い回しに何か思うところがあったのか、傍らにいたジンが噴出した。

 浮遊都市がなくなって、事後処理も遊撃士たちはほとんど終った。クローゼなどの、遊撃士外の人間たちはまだまだ目の回るような忙しさだったが、それも少しずつ落ち着く兆しを見せ始めた頃。近々あらためて旅立つつもりのエステルは、城にいる父に顔を見せに行った後、なんとなく、本当になんとなく王都のギルドに立ち寄った。そこでシェラザードとジンに出くわしたのだ。
 ジンも共和国に帰るらしい。帰る前にもう一度手合わせをしてくれと頼み込み、シェラザードを審判に立てて三戦ほど。一本は討ち取ったがそれもまぐれのような一本で、A級の名は伊達ではないと改めて体で知ったところだった。
「疲れてるのはわかるけどここは後輩たちもくるんだからね。あんた、もうみられてる立場なのよ」
「ううー」
 お手本なんだからと優しく諭し、すぐ寂しそうな表情に変わった。
「……こうやって言えるのももう終わりね。あたしなんかとっくに追い越したところにいるわ」
「そんなことない!」
 とっさにシェラザードの手を撮って握り締めるエステル。
「シェラ姉にはいろんなこと教えてもらったし、まだまだあたし知らないことばっかりだもん! 追い越したとか、追い越してないとか、そんなこと関係ないもん……」
「……ごめん。ちょっと気が弱くなってたみたい」
 見つめてくる赤い瞳に顔を綻ばせた。
「そうだぞシェラザード。遊撃士になって一年にも満たないような奴に、俺たちを追い越せるかってところだ。踏んだ修羅場の数が違うな」
「そうね。ジンさんと一緒に受けたあの仕事は大変だったわねぇ。でも面白かった」
「なになに、どんな仕事?」
 わざと秘密めかしてみると、好奇心に満ちた表情でエステルが話に入ってきた。
「ふふふ。ヒミツ」
「ずるーい!」
「あんたがまた戻ってきた時に、酒のあてにでもしましょ」
「え、お酒……」
「何か文句でも?」
「……ないです」
 そんなやり取りを眺めていたジンは、絶対にシェラザードには頭が上がらないのだろうとなんとなく思った。
「あー、それにしても久しぶりに効いたよ、一撃が。あれくらい重い一撃になれば、無駄に動かなくて済むのかな」
「闘い方は人それぞれ。俺はあの戦い方が一番性にあうだけだ」
「そんなもんなのかな。もっとちゃんと強くなりたいなぁ」
 伸びをし、そこで初めて紙を持ったままということを思い出した。雑誌の切り抜きであるがその形状は損なわれていない。見出しに小さく<祝福(ゴスペル)>と付記があった。
「……いまふと思ったんだけどね、なんでこの黒いの、ゴスペルなんて名前なんだろうね」
 ぱっと見ただけでは到底そんな名前など思いつきそうにない。古代人のセンスに少し疑問を覚える。
「そりゃ、持つ人みんなに祝福を、ってことじゃない?」
 浮遊都市で手に入れたオリジナルゴスペルを思い出しながらシェラザードが後を取った。
「そうかなぁ。あたしたちは酷い目にあったけど、古代人はこれがあって幸せだったのかな」
「幸せでなかったから都市を捨てたんだろ。俺たちがこの大地を歩いている、それが答えだな」
「皆が皆、幸せじゃなかったでしょうし、皆が皆、都市を捨てたかったわけじゃないでしょうね。それだけはわかる。人間ってあんまり変わってないみたいだし」
 そうだろうなとジンもシェラザードの意見に頷いた。
「結局、どんなに技術が発展してても、みーんな幸せに暮らすってことは無理なのかな」
「人それぞれの幸せの価値ってのが違うでしょ」
「そうかも。まぁ、こんなのに頼るのは、少なくともあたしにとっては幸せじゃないや」
 テーブルの上に切り抜きを放り投げると、勢いがつきすぎたのか反対側に落ちてしまった。エステルが拾う前にジンがその手にとる。
「共和国で、昔の宗教のことをかじってたじいさんがいてな」
「ん?」
「なに?」
 突然男が口を開き、その内容が今まで話していたこととどうにもつながらない気がして、女二人は注視した。
「ん? 昔そのじいさんに聞いた。『ゴスペルは良き知らせだ』ってな。もともとはそういう意味らしいから、俺には祝福と言われるとちょっとピンとこない」
「良き知らせ」
「俺には、どうもそっちの意味でのゴスペルだと思えるんだ」
 良き知らせをもたらすもの。その知らせを聞いて、どうするかはあなた次第。
「でなけりゃ、環が反抗の意志なんか持たさないようにするだろう、最初から」
「じゃあさ、その説だと、反抗するものが現れるのも環は計算ずくだったって感じになるのかな」
 ジンはエステルの疑問に少し首を傾げ、しばらくしてからそうかも知れないと呟いた。
「環に反抗をしてくる人間も含めていろんな人間を育てる為っていう説はどうだ?」
「それはまた……なかなか危険な案かもよ、ジンさん」
 言葉とは裏腹にシェラザードは楽しそうだ。
「おそらくな。で、環の力より反抗の力のほうが強かったから俺たちは大地に立ち、環は封印された……と」
「じゃあどうして祝福なんて単語になったんだろ?」
 もっともな疑問をエステルが発する。
「それは、あのゴスペルを再発見した存在がつけたんじゃない? 『これこそ人間に祝福をもたらすものだー』とかなんとか」
 シェラザードが肩を震わせた。口調が良く似ている。吊られてエステルとジンも笑った。
「皆にとって良き知らせにならないといけないよね。でもそれはきっと難しいこと」
「あたしたちがそれぞれの基準に乗って考える限りはね。でもその方が面白いからあたしはそれでいい」
「面白いからか。確かに」
「おいおい、それじゃ皇子さんが二人増えることになる。さすがにそれはまずいんじゃないか?」
 ジンの呆れ声に顔を見合わせるシェラザードとエステル。次いで肩をすくめ、苦笑いをするのだった。

 ひとしきりその後もゴスペルについてあれこれと取り留めなく話していると、すっかりと日が暮れてしまった。エルナンが食事でもどうかと階下から上がってきて、ようやくそれに気がついたくらい熱中していたようだった。
「こりゃ驚いた。こんなに話し込むとはな」
「ほんと。夕方までには帰ってるはずだったんだけど」
「ヨシュアが待ってるの?」
「ううん、ヨシュアは今ボースのほうに行ってるから。旅費稼ぎを二人で分かれてやってるの。旅に出てすぐお金稼げるとは限らないし」
「じゃあいいじゃない。ここでご飯食べていきましょ」
 シェラザードに背中を叩かれてうんと頷く。そしてじっとエステルを眺める。
「よかったわ。最初より吹っ切れてるわね」
「……えへへ、さすがシェラ姉。ばれてたか」
「おまえさんが仕事もせずに王都をふらふらしている時点でなんとなく察しはつくさ。どうだ? 「良き知らせ」は持って帰って来れそうか?」
「……わかんない。でも、やってみようと思うよ」
「そうそう、それでこそエステルよ。さ、早くご飯食べに行きましょ。おなかが一杯になったらまた元気になるわ」
「シェラ姉はお酒が飲みたいだけじゃないの?」
「何か言った?」
「いいえ……なんでもないです」
 半眼でにらみつけられた。その他のことはとてもいい姉なのだが、こと酒に関してだけは見境がなくなるのが玉に瑕だと、今度は口に出すようなまねはせずに心の中で少女は思う。ジンのほうをそっと見ると、彼も苦笑いをしていた。
「うん、じゃあとりあえず行こうか。どこにする?」
「お酒が美味しいところなら何も文句はないわ」
「俺がこの間行ったところだと……」
 賑やかに階段を下りる三人。テーブルの上にはゴスペルの切抜きがそっと置かれたままだったが、窓から入ってきた風に浚われてそのまま夜の街へ消えていった。


  Ende.


 「Gospel=Good News」は古英語。私的に疑問だった「祝福」の呼び名ですが納得いくように捏造してみた。舞台転換なく、ただひたすらにあれこれと数人がより集まってしゃべってるだけっての好きです。華はないし、題材選ばないと読んでもらえない代表格だと思う(苦笑)。

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