<アルセイユ>

「乗艦の許可をいただけますか」
 まだ外装がきちんと施されていない機体の前でウォルフガング・コール機関長は立っていた。別にただ何もせずにぼんやりしていたわけではなく、代理で人を待っていた。本来なら副長がその役につくはずなのだが、長期の療養で今はいない。となると、艦内でもっとも階級が上になるのがコールだった。
 待ち人が姿を現して乗艦を請う。コールの視線は何者ともつかない来訪者を見極めようとでもするように鋭かった。短く切った髪、コールと同じくらいの背、一見冷酷そうに見えるがその実は熱さを秘めているように見受けられる青い瞳。事前に資料の中にあった写真を見ていたがそれとはまた違う。なかなかの美女だ、と場違いなことを考え、肩を竦めた。
「許可いたします」
 竦めながら了解し、入り口前から体を脇に寄せる。
「ありがとう」
 硬い表情を変えずに女は艦内へ。コールがその背に声をかける。
「艦橋へいらっしゃいますか、中尉?」
「お願いします」
 少しの不安が一瞬だけ顔を走ったような気がしたが、コールは黙って案内を始めた。

 数人が着席をして何がしかの作業を行っている。一段高い場所に広めの席が設けてあり、コールはそこへ来訪者を案内した。軽く頷き、席の肘掛に触れる。二回、深呼吸する時間が過ぎて、おもむろに女はコンソール上にあるスイッチのひとつに触れた。艦内に澄んだ音が響く。艦橋で作業をしていた数人も、女の近くに立ったままのコールも直立不動になった。ついでマイクのスイッチも入れてから、手にもっていた書面の封蝋を破る。
「リベール王国26代女王、アリシア・フォン・アウスレーゼ陛下より、同国親衛隊、ユリア・シュバルツ中尉へ通達」
 凛とした声。マイクを通じて、艦内すべてに響いている。
「命令は以下のとおり、直ちに巡洋艦<アルセイユ>に乗艦し、その艦長として、陛下に仕える軍人にふさわしき義務と責任を果たすべし。危機に瀕することがあれども期待に応えよ。以上……女王陛下直々の下命」
 リベール軍における、あらゆる辞令の定型文句であるが、滅多に女王直々の下命はあるものではない。艦橋に当然のように緊張が走る。その注視を浴びつつユリアは辞令をたたむ。
「機関長。本艦の指揮権を発動します」
「艦長。本艦の指揮権を、副長マクシミリアン・テニエスに代わり、一任いたします」
「ありがとう」
 このやり取りを通じてようやくユリアはアルセイユの艦長になった。それまでは艦を訪れた客にしか過ぎない。コールから目を離して再びマイクに口を近づけた。
「ただいまより自分が艦を、諸君の命を預かる。以上だ」
 それだけ告げてスイッチを切った。
「……どうした?」
「あ……いや、演説とかあるのかと……」
 コールは拍子抜けした、と息を吐く。
「使い古された演説で作業の邪魔をすることもないだろう。進捗は? ああ、いつものように」
「そりゃありがたい。堅っ苦しいのは限界がすぐ来る」
 言いつつ軍装の上着を脱いでしまう。ようやく開放された、とユリアに向かって笑い、考えをめぐらす。
「そうさなぁ。博士がまだゴネてるから見極めつけにくいが、五週間後の試験飛行開始までには片付くだろうさ」
「エンジンか」
「俺らの相棒になるヤツだから手を入れてくれるには一向に問題ないんだが、何せあの人は上を見てきりがない」
「博士らしいが……ほどほどに、と伝えてくれ。今更試験開始を遅らせるわけにはいかん」
 もしも遅れることになったら。旗艦としても機能する最新鋭の船だ。注目度は高く、各社の取材申し込みが一度に押し寄せて困ったこともあった。だがそれよりも、女王が初飛行を観覧することになっている。そのために公務はすべて調整を重ねており、もはやその日にしか不可能という状態だった。
「俺らが言って聞くような人じゃないからなぁ。努力はしてみるよ、艦長」
「頼む」
 つい先ほどまで中隊長を勤める程度の階級だった。まだ「艦長」の呼称には慣れない。気が付かれないようにそっと笑う。
「それはそうと、副長の容態は? 何か聞いているか?」
「いや。艦長は?」
「自分も将軍閣下から話をされた程度で、魔獣に腱を切られて歩くのもままならないそうだが」
「俺らもそんな程度だ。副長も運がない。せっかくこいつのお披露目って時に」
 コールが足を踏みしめる様子を眺める。
「となればしばらくは副長不在か。しばらくは問題ないだろうが……主幹操舵士ルクス!」
 様子をうかがって仕事が手についていないのは先ほどからわかっている。呼ばれたルクスは即座に立ち上がって敬礼を返した。
「は!」
「副長不在期間、その役の一部を代任せよ」
 見る見るうちにルクスの表情が青ざめていく。
「先走るな。君にすべて副長の責を負わせようというのではない。自分の補佐の役割は艦橋全体と機関室で連帯するし、艦内の監督は機関長に振る。艦の通常時の運行管理だ。……ただ、自分の不在時や何がしかの理由でここに立てない場合には、その限りではない。後で書面にて正式に通達する。機関長、協力してくれるな?」
「わかってるさ。というわけでルクス坊、間違ってもお前一人で判断下すなよ。いいな、相談して来い。うちの技術屋どもが悲鳴をあげない限り、そういう時はここに来てやるさ」
「り……諒解」
 まだ動揺を抑えきれていないがとりあえず返事をし、ユリアが合図をするのを待って着席した。隣にいた通信士がその肩をたたいている。
 副長を艦から下ろせばきっと次の人間が入ってくる。だがユリアはそうしたくなかった。書類では知っているテニエス副長だが、本当の意味では知らない。モルガンの言うところによれば、休暇中に観光客の集団に飛び込んできた魔獣と戦い、大怪我をしたはずだ。
「ぜひとも会って話をしてみたいものだ」
 基本的にアルセイユの人員は親衛隊士でまかなわれるが、すべてがそうとは限らない。マクシミリアン・テニエスもその一人で、王国陸軍から出向してきている。親衛隊とそれほど縁があるわけではないのでほとんど情報は入らない。ユリアがコールに様子を聞いたのはこのためだ。
 目の前のコールにしても中央工房からの出向組だ。アルセイユ搭乗員として親衛隊の地位は得てはいるが、元の職場での派閥ができているだろう。まずそれをどうにかして、アルセイユ、という船の一員であることで団結してもらうのが最初の課題かと心でため息をつく。
「では機関長、自分は作戦室に入る。1500時より艦内の案内をしてもらえないか?」
「りょーかい。隅々まで教えてやるさ」
 豪快に白い歯を見せてにやりとするコールに頷く。
「それと通信士リオン。本日の夕食はレイストンの士官用食堂だと、全アルセイユ搭乗員に伝えるように。時間は追って知らせる」
「諒解!」
 すぐさまその意図することを理解したリオンがうれしそうにした。

 ユリアを作戦室に案内しようとしたが一人で歩いてみると断られた。背を見送って戸が閉まる音を聞き、体を伸ばした。
「緊張なんざしてねぇと思ったが、やっぱ気ぃ張ってたのか」
 首を鳴らしながらコールは、アルセイユ初の艦長を思い浮かべる。
「あの若さ、あの階級ですでに中隊を率いてるってんだから、そりゃあわからんでもないが、それにしたって異例の大抜擢だ」
「……昔、姫殿下をお助けしたそうよ。戦役で、伝令だった頃」
 もらしたつぶやきに先ほどまでのやり取りを黙って聞いていたエコーが後をつなげる。
「そりゃ初耳だ。十年前ったら、ようよう見習いを卒業できるかできないかぐらいの年齢じゃないか。王室の覚えがいいんだろうな」
「……それだけじゃないでしょうけれどね」
「どうだかねぇ」
 俺の目にかなう人間だといいが。過去、何十人もの技術者をたたき上げてきたコールだ。ドロップアウトしたものもいれば独立できるほど成功できたものもいた。
「どちらになるか、お手並み拝見、としゃれ込むか」
 大きく頷いて、機関室に顔を出すために歩き出した。

  Ende.


 なんとなく気になったんです。艦船にいるべき職責の人が、一人確実に足りないこと。なんでだろうと考えてみて、こういう感じかな、と落ち着いた次第。自分的な設定たっぷりと(笑)。ウォルフガング・コール機関長は、『Rückkehr』の機関長です。一応名前は付けてありますが滅多に出さない私(笑)。

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