七耀教会


 あの年はひどい状況だったと聞いている。ただ、噂に聞くだけで実際を見たわけではない。テオドロは戦役後にリベールへ派遣されルーアン教区長になった為、噂しか知らなかった。当時を描いた絵や文章は最近ようやく表に出てくるようになったがまだまだ少ない。
「必ず付けているはずなんだが」
 宛がわれている部屋の奥側に雑然とした物置がある。元は書庫だったようだがそのうちいろいろなものが入れられるようになって久しいという。引継ぎの際、いつからこんな状況なのかを聞いてみたら前任者も知らないようだった。 「場所を聞いておけばよかった」
「教区長、どうされましたか?」
 部屋で腕組みをしていると修道女が声をかけてきた。前任者の頃からこの聖堂にいる、前任者よりも、もちろんテオドロよりもこの街に明るいフリーダ。
「いや、たいしたことじゃないです、シスター・フリーダ」
 普段気の荒い海の男や威勢のいい商売人たちを相手にするせいなのか、教会に携わるものとしては異例なほどの口の悪さを誇るテオドロ。あまりに気風が良すぎてグランセル大司教座で大立ち回りをやらかしたという噂が一時流れた事すらある。
 が、さすがの彼もフリーダ相手にそういう口を利くことはしない。それをわかっているのかいないのか、フリーダはくすくすと笑った。
「教区長は私に対してだけいつもと違う感じになられますね。本当におかしい事」
「そうですかね?」
「ええ。ところで質問に戻るのですが、どうされました?」
 彼以外にとってはたいしたことではないだろう。特にフリーダは嫌な記憶を思い出させるかもしれない。けれど静かに激しく追及するのが彼女の性格らしく、結局テオドロは黙っている事が出来なくなった。
「先代様の書かれた日誌を探しているんです」
「日誌? さすがにそれは先代様が管理されているので、わたくしにはわかりません。申し訳ありません」
「いえいえ、こっちが勝手に探しているだけですんで」
「なぜまた?」
「……戦役の事をちゃんと知ろうと」
「ああ……」
 テオドロもそうだが毎日あったことの記録をつけている。これは教区長の義務でもあり、あとから参照するわけではないのだが七耀教ではずっとそうやって過去からの膨大な記録、記憶を保持しつづけてきている。極たまにどこかからの依頼で開示する事もあるが基本的に教会のほうが立場が上になるので気に食わなければ拒否する事も可能だ。
 そういうこともあってかこのことを知らない人が多い。テオドロが「こういう記録がある」とその土地の遊撃士に振ったところ目を丸くされた事も少なくなかった。
「シスター・フリーダにとって見れば思い出したくない記憶なのだと思うんですが、俺ぁあのころこの辺りにいなかったんで……」
「ええ、そうですわね。先代様がここを離れる事になったのがそもそも戦役のせいですし」
「だもんで、皆さんの話聞いてても、まあその、アレなんで。だからって他の人に話聞くわけにもいかないわけで、じゃあ日誌を当たろうかと」
 上手く言葉にすることは出来ない。それでもフリーダには通じたようだ。
「そのお気持ちだけでも十二分に嬉しく思いますよ。普段教区長が告解を聞くのに、これでは私が告解を聞いているような気分です」
「ははは、まあたまにはそんなことがあってもいいんじゃないですかね」
「それもそうですね。そうですね、昔の日誌はだいたいが物置に置いてしまう事が多いのと、あの当時は非常に忙しかったのでその辺りの記録は紛失してしまっている可能性があるのですよ」
 申し訳なさそうにうなだれるフリーダに軽く手を振った。
「あー、大丈夫ですよ。自分で勝手にやるんで。のんびり、物置の整理だと思いながら」
「そうですか? では私も……」
「きょーくちょう! どこだ!? いねぇのか!?」
 聖堂の方から声が聞こえてきた。
「あの声は……」
「漁師のペスカさんですね。何かあったのでしょうか」
 そろって聖堂に行くと日焼けをした逞しい男が嬉しそうにテオドロの手を握り締めた。
「おう教区長、こんなところに居やがったか」
「なんでぇペスカ。なんかあったか?」
「アリもアリ、オオアリだ教区長。目玉かっぽじってこいつを見ろ」
 得意げに背後に置いてあった箱を指す。
「……空っぽだぞ?」
「何ぃ!?」
 テオドロが冷静に指摘をするとペスカが慌てて振りむく。確かに箱の中には何もいない。
「冗談じゃねぇ! 全部逃げちまいやがった!」
「……てことは何か、お前さんが釣ってきた魚か何かがこの聖堂のどっかにいるって寸法かね」
「すまねぇ教区長! オレも探すの手伝うから!」
「当たり前だ!」
 二人があちこち探し回るのをフリーダは微笑ましく眺めていた。だがそれも、聖書を手に取ろうと本棚に手を伸ばすまでの事。得体の知れない何かが本棚の上から手の上に降ってきた時、フリーダは人生初となる悲鳴をあげてその場に倒れた。


「まだ頭に響いてらぁ」
「お前さんのせいだろうが、ペスカ」
「……面目ねぇ」
 そのまま気を失ったフリーダを部屋に運び込んで寝かしつけ、またしばらく二人で探しつづけた。
「こりゃ一体なんなんだ? こんな珍狂なもん見たことない」
「東の国の方ではよく食われてる奴だってよ。ツァイスには東のヤツラが多いからそっちに売りに行ってこようと思って。普段は釣れても捨てちまうんだが」
「ウネウネしてるし足が一、二……八本もある。悪魔のようだ」
「悪魔? オレぁ売れてくれるなら悪魔だって売るさ」
 正直なところは、と漁師はテオドロに耳打ちをする。
「今日はこれしか獲れなかったんだ。けど船出すんだってタダじゃねぇ。仲間と相談してツァイスに売りに行こうってことになったんだな。何匹もいるから教区長にもおすそ分けしようと思ったんだが……シスターがあれじゃもう見たくもねぇよなぁ……」
「多分な。俺自身はどっちでもいいんだが。まあお前さんの売上にしとけ」
 ああ、と箱を手に持ちペスカは聖堂を出て行った。足元がヨタついているのが若干の不安を誘うがもう何も言うまいと心に決める。
「一体何の話をしてたんだか」
 そうだ、戦役だ、日誌だ。
「やっぱあの物置あさらねぇと出てこないだろうなぁ。まあのんびりやるか」
 背伸びをしながらステンドグラスを見上げる。そろそろ昼の勤めの時間だ。


 少しずつ物置は整理されていった。街の人々が持ち込んでくる騒動に巻き込まれて少ない自由時間を当てているため本当に少しずつだったがテオドロは満足していた。目当ての戦役時代の日誌ではないが日誌を見つけ、ルーアンという街の歴史を垣間見る事ができるからだ。
「最近楽しそうですね」
 毎朝説教を聞きに来る老人からもそんなことを言われるようになった。
「教区長さんが元気で楽しそうにしてるとこちらも嬉しくなりますよ」
「ウチの息子は教区長さんが早朝に聖堂前の掃除をされる頃漁に出かけるんですが、ちょくちょく話をしてもらってるようで」
 にこにこと笑って雑談をする年寄りたちにテオドロはくすぐったくなってきた。そこに人がいるなら話しているだけで大したことはしていないのに。
 けれどこの老人たちも、彼が街に来た直後はこうやって笑うことはなかった。友人や家族を戦争という名の波に持っていかれ、なぜ自分ではないのかと自問自答するばかりだったことを思い出す。ここにいない時はどうしているのか、それはテオドロには知る由もない。
「実はこの街の昔を記した記録を見ることが出来ましてね。知らなかったこの街の姿を知ることが出来て、なんだか嬉しいんですよ」
「ほうほう。その辺ならワシらに任せろ。ラングラントの逸話なら山ほどもっちょるぞい」
「あんたその話ばっかりじゃないかね。あたしの方がもっと面白い話知ってるよ。海道の大行進事件とか。聞きたい? 聞きたいよね、教区長さん?」
「あ、ああ、ええ、お願いします」
 年寄りたちに詰め寄られ半ば強引に話の輪に連れ込まれた。普段若い家族に言っても相手にされないのか、ここぞとばかりに彼らの話は炸裂した。本気で炸裂としか形容のしようがない状態で、夕方、家族が呼びにくるまでその勢いは留まる事を知らなかった。
 ようやく解放されたテオドロはだだっぴろい聖堂の椅子に座り天井を仰ぎながら息を吐いた。
「ふー、パワフルだった。この街は基本的に気が強い奴が多いたぁ思ってたが」
「教区長もその一員ですよ、立派に」
 突然聞こえたシスターの声に慌てて起き上がる。
「最近見ていて本当に思いますもの。教区長は最初からこの街の一員なんだと」
「そんなもんですかね」
「あら、私の言葉が信じられないと?」
 少し意地悪く笑う。こんな表情もするのかと肩を竦めた。
「いやいや、そんなことはありませんぜ」
「そうかしら?」
 フリーダはそのままステンドグラスを見上げる。夕方の赤い光が入り、普段とは違う色合いを床に映し出していた。
「戦役が終わってしばらくして……そう、先代様がこの街を離れるというのが本決まりになった頃、他の街の聖堂へ顔を出してみたことがあります。といってもルーアン地方の聖堂を訪ね歩いただけなのですが。そこにはまだ大怪我をして動けないままの方や、身寄りなくそのままそこに住む事になった方が大勢。皆必死で、今を見ることが精一杯で……過去を語る、未来を語る事などとてもではないですが出来そうにない状態」
 その時の様子を思い出したのか、フリーダはそっと目元を拭う。
「だから今、誰よりも辛い思いをされた方々が楽しそうにお話をしている様子を見て、本当に嬉しくなりました。そしてそれは教区長、貴方のおかげだと思います」
「俺……は、何もしてはないです。戦役のことなんかこれっぽっちも知りゃしない」
「それでこそです。何も知らないのに知ろうとしている姿が、街の方を動かしたのではないでしょうか」
「……そんなもんですかね。まあ俺のことはともかく、皆が楽しく集まってくれる場所にここがなるならそれでいい」
「確かに」
 教会とはそうあるべき。特に、こんな風に地域とつながりの強いところならば。
「さ、夕べのお勤めしますか。結局午後のお勤めは出来なかったので、女神様が怒っていなけりゃいいですけど」
「それくらいでは怒らないと思いますよ」
 軽く笑い、それぞれの勤めに戻った。
 ちなみに数年たった今でも倉庫の整理は続いている。当初の目的を果たすのはいつなのか、それは多分、女神でもわからないのだとテオドロは笑うのだった。


  Ende.


 期せずして18番目のお題と同じ舞台、ルーアン続きになってしまった。教会関係者でなんか書きやすそうだったのが彼だったもんで。いいなぁ鉄火な教区長。
 ほんっと、戦役時代の主要キャラ関連以外の話が知りたいよぅ。

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