<飲み友達>


「誰か他にいないの!? 私が全部持っていっていいのね!」
 ざわつく酒場の一角になお一層騒がしい場所がある。いつもは流れの傭兵や近在に住む男たちが飲み比べをしているのだが、今日は少しだけ様相が違う。
 輪の真中で真っ赤に顔を染めてはいるものの目に光は残っている、年の若い女。握り締められていた為かクシャクシャになった紙幣の山と、その上に置かれたおびただしい空のコップ。テーブルの向こう側では屈強な船乗りらしき男が、手にいまだ中身の入ったコップを持ったまま目を回していた。
「何事だ?」
 上官が休憩に行くと言ったまま交代時間になっても戻ってこないので、おそらくここだろうと当たりをつけてやってきたカシウスもその輪に入り込んだ。探していた上官はあろうことか人垣に隠れて見えなかったテーブルで酔いつぶれている。軽く周囲に視線をやると顎で輪の中心を指された。上機嫌で紙幣を数えて束にしている女と目が合う。
「お、こっちの兵隊のあんちゃんが挑戦者か?」
「やるねぇ、この人の雪辱戦だな」
 周りの酔っ払いたちが騒ぎ立て、完全に撃沈してしまっている上官を見ては大笑い。確かに酒には弱い酒好きの上官ではあるが、それ以外はカシウスにとっていい上官だった。あまり気分がいいものではない。
「……」
 どうしようかと考えるまでもなく、押されるままに女の前に出た。心得たとばかりにどこからともなく酒の入ったコップが持ちこまれる。席についたカシウスが自分の財布からなけなしの紙幣を出せばその上に音を立てて置かれるコップ。
「あんた初めての顔だな。みりゃまぁわかるだろうが、単純な飲み比べだ。コップが空になったら次のを渡す。飲めなくなったらそこで負け」
 コップを置いた男がろれつが回らないなりにも説明をしてくれた。ちらりと女を見れば、それまで獲得したと思われる札束をテーブルに置くところだった。
「用意……始め!」
 カシウスは決して酒は弱くないし、相手はそれまでの連戦もあるだろうからと少し侮っていたことは間違いない。一口目でその強さに咽こみそうになった時その慢心に気付いたが今更どうしようもない。大人しく諦めるという選択肢を選ぶには彼は少々若すぎた。
 結果、女より一杯多くコップを手にとってあおったものの、そこで彼の意識は暗転することになった。

 上官部下共に醜態を曝し、死屍累々の中気がついたあの朝から数日経ち、リッター街道の哨戒を命じられていたカシウスは、通行人の中に知った顔を見つけた。
「あの時の女……か……」
 一応こちらは仕事中、しかも飲み負かされた相手である。気がつかなければそれでいいと思い気にしないようにしていたが、通り過ぎる段階になって声をかけてきた。
「こんにちは、兵士さん」
「……」
「二日酔いとかにはならなかった?」
 人懐っこそうに声をかけてくる女にどう答えたものか。だいたいあの時朝まで仕事をサボる形になってしまい、罰の意味もあってこの街道を哨戒する羽目になっているのに。
「……どうも」
「あ、よかった。あんまり不機嫌そうだからね」
 ニコリと笑ってあれこれと話しはじめた。今からツァイスへ売り物を持っていくらしい。言われてみれば背嚢に何がしかのものが大量に入っているようだった。
「これは?」
「ロレントのお野菜。芋だから小さいし、輸送費押さえる為に運んでいるの」
「へぇ、ロレント……」
 思わずカシウスも反応を返した。
「行ったことある? すんごい田舎なんだけど」
「行ったことも何も、俺はロレントの出なんだ。郊外に住んでた」
「郊外ってことは市街に近いのね。私はミストヴァルドの近く。専らこっちに売りに来ることが多いんだけど、ロレント市街にもたまに卸してる」
 カシウスはロレントの地方図を思い浮かべた。確かにミストヴァルド付近には林業従事者の為の村が幾つかある。その中のどこかにこの女もいるのだろう。
「そろそろ行くね。じゃ」
「あ、ちょっと」
 立ち去りかかる女を思わず呼び止めた。なに、と不思議そうに振り返っている。
「俺は……カシウス。カシウス・ブライト。あんたの名前は……?」
 何を言われたのか瞬時には理解できなかったのかしばしの間が開いた。ややあってにこりと笑う。
「レナ、よ」
 短くはっきりと言い放ち、栗色の髪をたなびかせ、颯爽とツァイスへ向かって歩いていくのだった。

 収穫時期にはかなりの頻度で王都やツァイスに芋を運んでいて、その合間にあの酒場で飲み比べに参加しているレナは、並の女性では太刀打ちできない強さを持っていた。外見は華奢な女性そのものなのだが、芯は一本通った頑固な性格でかなり無鉄砲な部分を持っていることがわかった。
「あら、でも私の村ではその日の夜のおかずぐらいなら自分の手で森に入って仕留めてくるんだけれど」
「おいおい……」
 数回酒場で出会い、カシウスがレナの来訪周期をなんとなく理解したころにそんなことを聞いた。
「とはいっても小さな動物ぐらいだけれどね。基本的に山菜を取ってくる程度かな。大物はお父さんが取ってきてくれるから」
「畑は? 誰がやっているんだ?」
「お母さんや私達子ども。兄さんは父さんに付いていって狩り」
 そんな暮らしも決して嫌いではないが、たまに雑誌で今の流行などを見ていると都会が恋しくなることがある。レナの住む村からはロレントに行くよりも王都に来た方が早いので、輸送にかこつけて王都で息抜きをしているのだと酒を一杯。
「こんないいお酒置いてあるのはさすが王都っていう感じね。お小遣い稼ぎもできるし」
 今日もするわよとテーブルを移動。カシウスもなんとなく後をついていく。今日の客層はいつもと違い、どうにも下手をすれば人悶着あるかもしれない。あまり気配のよくない男たちが既に盛り上がっている。
「今日はやめておいた方がいいんじゃないか?」
「大丈夫よ多分。今までもそうだったもの」
 懐から紙幣を数枚出して挑戦状代わり。じろりと先客がレナを睨んできた。だが何かが起こるというわけでもなく、普通に飲み比べが始まった。
 どちらも一歩も譲らない戦いが続いていた。すでに空になった酒瓶が所狭しと林立。酒場の主人が、今日はもう出せる酒が無くなったと嘆く。
「やるじゃない……あなた……」
 顔を赤くして安定しない頭で相手を見据えるレナ。
「女に負けて……たまるか……」
 こちらも真っ赤になって完全に目が据わってしまっている。その背後で仲間がなにやら話しているのがカシウスには気に食わない。嫌な予感がするので、近くの顔見知りの酔っ払いに声をかけた。
 そんなことには一切気がつかずレナは次のコップを握り締める。その後ろで、カシウスと酔っ払いがなにやら意気投合したのか互いに親指を立てて頷きあっていた。それからまた数杯、コップを空にする間は特に何も起こらなかった。だが。
「そろそろ……足腰たたなくなってきてるんじゃねーか、ねーちゃん」
 ずっと黙っていた対戦相手の仲間が嫌に馴れ馴れしくレナに声をかける。
「次は酔い覚ましがてら、俺らに酌ってーのはどうだい? コイツは正直底なしだ。アンタの方が倒れるのは当然のハナシってやつだな」
「そんなの……わからない、わ!」
 だから続きをといおうとしたが、突然相手が紙幣にナイフをつきたて、テーブルに縫いとめた。
「決着はもうつくよ。だから俺らがこれをもらうし、ついでにアンタにも来て貰おうかな、と」
「なんで、よ? 全然、そんな約束、してない!」
「じゃあ今約束しよう。アンタは負けるから俺たちと一緒に来る。どうだ?」
 あまりに屁理屈で周囲の誰もが口を聞けない。いや、刃物を見せて脅しに掛かる人間に近寄りたくないのが正直なところだった。レナも明らかに嫌がっているが、さすがに得物を持った相手に対しどうこうできるほど戦いに慣れているわけではない。一気に緊張した。
 その緊張を破ったのは先ほどカシウスとなにやら密談をしていた酔っ払い。ことさら賑やかに他の酔っ払い仲間と騒ぎ、緊張の場に乱入してきた。
「はいはいごめんよちょっと通してよ」
「なんだおめぇは!」
「ちょーっと余興やってみようと思ってね。マスター今日は容赦なく行くぜ」
 酔っ払いは酒場の主人に声をかけ上機嫌で長い棒を渡してもらった。別の酔っ払いが心得たとばかりに一枚皿を投げる。落ちて割れる、と思った瞬間に棒をさっと差出し、器用にその上へと載せた。
「おおお、久々にでたな!」
「相変わらずいい腕してんなぁ」
 賛辞があちこちから聞こえてくる中、レナはカシウスに袖を引っ張られた。今なら気がそがれているから逃げられる、と。

 酒場の中からはなお芸を披露しているのか、大歓声が聞こえてくる。
「あのオヤジはもと大道芸人だったんだ。あれが得意中の得意だった」
「……ありがとう。でもあなた、仲裁する立場じゃなかったの?」
「今日は非番。見たところたいした余罪ももってない輩だったから、煙に巻いてみることにした。せっかく見つけた飲み友達をあんなやばそうなやつらに連れて行かれるわけにはいかない」
「巻いてみることにしたって……」
 呆れてそれ以上物も言えない。冷たい外気に当たり酔いがすっかり醒めたレナは盛大に溜息をついた。
「どうしたんだ、溜息なんかついて」
「ちょうどいい小遣い稼ぎだったのに、あれじゃしばらくやめておいた方がいいかもしれないなぁ。気になるアクセサリ見つけたんだけど」
 商業区で露店めぐりをするのも楽しみの一つなのだが、それには軍資金が必要で、軍資金は専ら飲み比べで手に入れていたのだった。
「じゃあこうしよう。さすがに毎回とはいかないだろうが、俺が一つくらいなら買うよ」
「……」
 レナはカシウスの顔を見上げる。冗談を言っている風ではないようだが、にやりと笑うその顔はあまり信用できない。
「じゃあまあ……そのうち頼むわ。私は今日はもう宿に戻るから」
「送るよ」
「いい」
 一言で断ってレナは歩き出す。カシウスは肩を竦め、その後姿を見守った。


  Ende.


 あのエステルのおかーさんだ。絶対一筋縄じゃいかないはず。少々無鉄砲な部分をおかーさんが持ってたんじゃないかなと思ったらこんな人になりました。パワフルな人。カシウスパパはやっぱり彼らしく、先を見越して動いてちょっぴりお調子者。って、シェラ姉&オリビエ&ジンさんあたりに絡めるつもりがなんでこんなことに。まあいいか、うん。楽しく書けました。

戻る