<シスター>

 その庭園には今、ミュラーとユリアの二人しかいなかった。他の面々は地道な探索を続けている。なんとなく輝ける滝の前で話してはいたものの、やがて話題も尽き、ユリアは席を立った。男は何処へ行くのか気になったものの、ついていくのもおかしな話だ、と席についたまま。その歩みを眺めれば、滝から石碑広場まで向かう分岐を曲がった。
「……舞?」
 かつて見たことがあるユリアの舞。己が舞うときとは違う優美な動き。以前に壁の上で舞っていたときも感じたのだが、距離感をよく理解している。決してあの場所も広くはないのにのびのびと、最大限の動きで足を運んでいるようだ。柱に邪魔されてはっきりとは判らないが、その道での自分との差が理解できた。
 自分ではまだあの距離感がつかめない。あそこよりもっと広い皇城の練武場で部下の視線を他所に練習をするが、よく壁や訓練中の部下にぶつかりかかってしまう。このあたりが習熟しているかそうでないかの違いだろうか。
 誰のために、何のために舞うのだろう。己の平静を保つ為? 巻き込まれた人々を思う為? いや違う。ミュラーは思う。
「……王太女殿下か……」
 壊れそうなほど不安な表情をしていた。本当は付いて行きたいだろうのに。ケビンから外すことを言われても何も言い返さないユリア。なぜか彼女を置いたまま探索に出る気になれなかった。一人では何をするか判らないほど追い詰められている。
「普段はそうでもないのだろうが……状況判断力がかなり落ちているようだ」
 先走った思考のまま何がしかを口走っている。だからケビンはユリアを外したのだ。
「クローディア殿一筋、か。相変わらずだ」
 ふと疑問。クローゼがユリアの助けを必要としなくなるときは必ず来る。そのとき、どうするのか。

「え? 殿下が?」
 しばらくの間を置いて戻ってきたユリアに聞いてみる。酷だとは思うが、聞いてみたかった。一瞬驚き、次に悲しい顔へ。
「ええ、そうですね。必ずそういう時は来る。もしくは、自分が退役せざるを得ないほど衰える時が来るでしょう」
「……」
「……エイドスに、仕えようかと」
「何?」
 予想外の言葉に喉が詰まった。いつかみたシスター姿が思い浮かぶ。そんなミュラーをよそ目にユリアは空を仰ぐ。
「……時折、聞こえるのです。自分が手にかけてきたものたちの声……」
 体中を血塗られた手で捕まれ、痛いほどの最期の視線が周りを漂う夢を、見るのだと。
「自分が教会に足を運ぶのは、その手を少しでも振り払えないかと思う為。けれど、そんな気持ちではエイドスは微笑まないのも判っているのですが……」
 黙ってミュラーも空を見た。もちろん女神がいるはずもなく、幾千、幾万の光が瞬くのみ。
「軍人だから、では済まされないと思います。いつも思う、生涯かけて償わなければと……」
「……では……グランセルの大司教座に?」
「いいえ、流石にそんなところではちょっと……」
 王都でユリアのことを知らない人間はいない。いずれ教会にいることも判ってしまうだろう。そうなると騒がしくて落ち着いて勤めもできなさそうだ。男は理解したが、少し落胆。王都にいれば稀に逢うこともあるかもしれないと、頭の端で考えていたことに気が付く。肩を竦める。
「小さな小さな集落で。巡回神父すら知らないような、山の中……空から見ると、案外にあるものなのです。細く烽火が上がる尾根や谷が。そんなところでも人は住んでいる。自分もじっと、自給自足で暮らすのもいいかもしれないな、と思うのです」
 剣を取る以外で、この国を愛する道を探りたい。聖堂のような静謐さはないが人のいない、人よりも大きな何かが存在する深山幽谷。朝に晩に祈りを捧げ、ぶらりと訪れるものに神を説く。笑いかけてくるユリアをみているとそんな姿が想像できる。
「……本当に? クローディア殿以外にも気になる人もいるのではないのか?」
 特に何か思うところがあったわけではない、はずだ。口から出た言葉に自分があせる。ユリアは思わず口走った男に目を向けてくる。
「殿下以外ですか? ……ちょっと思いつかないです」
「いや、剣を捧げると言った意味だけではなく、その、なんだ、特定の相手などは?」
「……ああ」
 ミュラーが言いたい事に気がつき、納得したと声を出す。傍らの男の目を覗き込んでくる。
「……そういう思いを昇華したい、と思うときはあります。が……今もって資格はないし、今後もないような、そんな気がしますが」
「どういう?」
「……」
 ユリアの言葉の意味が量れず眉をひそめる。けれど女は黙ったまま、あいまいな笑みを浮かべている。
「それになにより、私はそんなに綺麗ではない」
 ようやく続けられた言葉がより一層わからない。
「いや、貴女は十二分に綺麗だと思う」
「やめてください、少佐殿までからかうだなんて」
 手を挙げる様子が子どものようだ。空気が弛緩した。軽く咳払いしユリアの視線から顔を外す。
「それにしてもそのような山の中か。グランセルの美人シスターをぜひとももう一度伴って歩いてみたかったのだが」
「……少佐殿」
 ごまかすように言った言葉にユリアが低く呼びかけてくる。ちらりと横目で見れば顔が赤い。
「まあそんなに怒るな。なかなかみられない姿だしな。思い出の一つにでもさせてくれ」
「出来れば早く忘れてください」
 口を尖らせて横を向いてしまった。と、石碑広場に光が降って来た。
「……ああ、戻られたようですね」
 行きますか、と立ち上がる。そのまま歩み去っていく。ミュラーも立ち上がろうと思ったが、なぜか逡巡して後姿を見送った。ユリアが広場にたどり着いた頃、ようやく立ち上がる。
「……もしかしたら、貴女は、軍人になるべきじゃなかったのかもしれないな」
 確かに自分の手も、綺麗だとはいえない。その意味の「綺麗」だっただろう。けれども、ミュラーはユリアのように夢に悩まされたことはない。自分のしてきたことに絶対の自信があるから。自分が生きるためになさなければいけないことだ。
「後悔が夢に落ちるか。俺たちは悩んではいけないのだ。悩むことを許されないのが、軍人だ」
 迷いは仕えた人間を危機に晒す。言わずともユリアは理解しているはず。
「悩むことを全て負うのが、俺たちが仕える人間たちだ」
 自分たちは悩むことはない。その代わり、その上に立つ者が全ての責任を負う。彼の場合はオリビエが、ユリアの場合はクローゼが。彼らのしたことを負う。どんなに重く、辛く、痛いことであっても背負ってくれる。だからこそ、ミュラーはオリビエに全幅の信頼を置けるのだ。
「……ああ、けれども、そんな貴女だからこそ、王太女殿下は貴女を好いているのだろうな……」
 自分とは違う形の主従。迷いながら前を向こうと必死な姿はみていればわかる。あまりに必死すぎて、もう少し肩の力を抜けばいいと思うこともしばしばだが。
 ずっと流れつづける、輝く水に目をやる。透明度の高い水が一瞬その流れを弱め、ガラスのように平らになったところへ深い森の中で祈りを捧げるユリアが映った。瞬きすればそれはもう消えてなくなり、いつもの滝になる。
「……」
 できるならば、悩み、歩き出そうとする様子を間近で見ていたい。不意にそんな意識が飛び込んできた。
「馬鹿なことだ」
 が、せめてこの庭園にいる間だけでも。つかの間の楽しみがあってもいいのではないかと思いつつ、呼びに来たティータに応じるのだった。


  Ende.


 シスターの項目。ウチだと誰を持ってくるかは容易に想像ついたと思うのですが、どういう風に持ってこようかずいぶんと悩みました。不意にユリアさんの将来について考え込んだとき、これでいこうと。少佐はこの時点であんまりちゃんと理解してませんが、ユリアさんの抱えるものを女神に獲られるより自分で抱えたい、と思いだしてるようなそんな感覚。
 別にシスターの格好じゃなくてもいい。そこに揺るがない信仰心があるなら、山小屋は大聖堂に勝るわけで。そんなわけで、普通に古着を着た祈りのユリアさんが私のイメージです。自分がお仕着せ苦手なだけとも言う。

戻る