<市長>

「また今月もこの日がきてしまった」
 外は明るく気持ちのよい朝だというのに、出かける支度をしながらクラウスはどんよりと暗くなった。
「何か仰いました?」
 鞄に着替えなどを入れながらミレーヌが夫の呟きを聞きつける。なんでもないと手を振って机に置いてある書類挟みを手に取った。
 月に一度、空港所在地の市長が王城に集まって会議を開く。その日が今日で、昼から始まる会議に間に合うよう出かける準備をしているところだ。
 報告はいつも簡単に終わるから、今度も簡単に終わるだろう。ロレントは相変わらず、農業、畜産、林業共に先月と変わらず。大雨が続いて水害の兆しはあったにもかかわらず、先月と変わらないというのはよい動きだ。きっと他の諸都市も、大きな噂は全然きこえてこないから同じに違いない。もし隠し玉があってもそう時間を食うことはないと踏んでいる。
 問題は、各都市の現状把握が終わった後の議論だ。だいたいヒートアップしてきて深夜に及ぶことが多い。それが困るのだ。
「はいあなた、準備が出来ましたよ」
「ああ……ありがとう」
 差し出された鞄を受け取って出掛けのキスを妻に送った。まんざらでもなさそうにキスが返されてクラウスは部屋を出る。
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
 その後すぐに空港へ向かうのではなく、リタが庭仕事をしているところに挨拶をし、あまり無理はしないようにと労ってようやく家を出て行った。
「あれは相当気にしてるわねぇ」
「?」
 リタに茶を持ってきたミレーヌ。
「用事があるのにあんなに回り道をしていく辺りが答えね」
 言われて見ると空港への最短経路を取らずあちらの店を覗きこちらの猟師に声をかけているのがわかった。
「旦那様、どうしたんですか?」
「そうねえ、いたしかたのない悩みとでも言うべきかしら」
「……?」
 リタは首をかしげて女主人を眺めるがミレーヌは夫の後姿を見えなくなるまで見つめていた。「別に気にすることもないと思うんだけれど。あの面々なら」
 結局最後までミレーヌの真意を読めぬまま、リタは庭仕事の続きを始めた。


 王城へたどり着くと二番目だった。
「二番目とは言っても陛下はもとよりこの地に居られるのだから、正確に言うのならば三番目だろうか」
 その時々で順番は違うのだが、この会合に出席し始めてから必ず思うことを今回も思った。女王を市長と同格にしてしまうのはどうかと考えもするのだが、結局この王都を預かる市長たる人間を女王が兼任しているのだから仕方ないと言い訳をして、淹れてくれているコーヒーを飲んだ。少し濃く淹れられたそれは熱く、火傷をしかかったので見つからないように舌を少しだけだした。
「決してコーヒーは嫌いではないのですが、今日は少し憎らしくなりますね」
 ツァイス市長マードックがクラウスをみて苦笑していた。
「確かに」
 議論がまとまるまで一体どれだけのコーヒーが消費されるのだろう。普段は紅茶派だというメイベル市長ですら、このときばかりは泥のように濃いコーヒーを飲んで気付けにしている。
「段々飲み物とは思えなくなってくるんですよね」
 クラウスの言い草が面白かったのかマードックはひとしきり笑った。そんなところへ残りの二人が連れ立ってやってきた。
「お久しぶりです、工房長にロレント市長」
「こちらこそ、ボース市長」
 メイベルがにこりと笑って手を差し出してきたので軽く握り返した。マードックも笑いが収まり慌てて握手をした。その後ろに控えるダルモアも穏やかな笑み。そう、始まりはいつも落ち着いている。けれどその雰囲気に騙されるとその後についていけなくなるのだ。
「皆様、お忙しい中ご足労いただき大変ありがとうございました」
 女官長が姿を表して深々と礼をした。普段なら女王付の相談役が顔を出すのだが、そのイレギュラーに皆首を傾げる。ヒルダは構わず続けた。
「大変申し訳ありませんが、現在陛下は謁見が長引いており定刻どおりに会議を始めることが非常に難しくなっております。皆様方で先にはじめていただくか、それともおいでになるのをお待ちいたがくか、どちらになさますか?」
「どのぐらい遅れる予定ですか?」
「申し訳ありません、それがわかりかねるのです」
 いつも長丁場の客人が今謁見しているとのこと。ひとしきり話すだけ話さないと帰ろうとしないのだそうだ。市長たちは顔を見合わせる。
「始めるって言っても陛下がいないのならばはじめていても仕方がないし」
「ですね。自分もそう考えます」
 他の三人が女王を待つ方向に固まりかかっている。クラウスとしては早めに始めて早めに終わらせたいのだが、これといって反対する理由を思いつくことが出来なかったので、三人に同意する形になった。
「では本当に申し訳ありません、そちらの方向で陛下にはお伝えしておきます。皆様方におきましては、ゆっくりと寛いでくださいませ」
 また深々と礼をしてヒルダが辞した。残された四人は仕方がないなとまた世間話を始めたが、クラウスは今日の終わりがいつになるのかと少々途方にくれてしまった。
 結局女王がくると連絡があったのはそれから三時間後である。

 で、五時間後。会議自体はまだまだ続いている。途中休憩二回と夕食を挟んではいるがまだ議題が尽きそうにない。現在は街の発展についての具体案という議題で進んでいる。クラウスも決してないがしろにしているわけではないのだが、どうしても勝てないものがこの時間になると潜み始めるのだ。
 つまり眠くてたまらなくなる。年を取ってきたというのと、普段もかなり早い時間に眠っている為か、八時を過ぎるとどうしようもなく眠気が襲ってくる。いつもそれに気付いて次の日に回してくれるのだがそれがたまらなく申し訳ない。毎度彼の為に次の日に回るので、今度こそ最後までと思うもののやはり駄目だ。コーヒーは効かないし濃いお茶を飲んでも無理、眠気覚ましに風にあたりに出るわけにも行かない。
 他の面々は、だいたいダルモアとメイベルがヒートアップして白熱した議論を続けている。女王とマードックはそれについて時折意見を差し挟んでいる。クラウスも始めはその方向なのだが段々口数が少なくなってくるのは自分でも分かっていた。
「マードックさんは自分とそれほど年が変わらないはずなのだが」
 さすがに不夜城中央工房を管理する長、こんなに浅い時間では眠気は訪れないと以前に言っていた。ダルモアやメイベルはまだ若く、こちらも眠気など感じないだろう。女王はその激務から夜遅くまで起きていることも多々あるに違いない。
「……」
 住民の大半が第一次産業に従事するロレントでは、太陽が昇ると共に起き、沈むと共に眠るような生活をしているものが多い。その他の各種工房や食料品小売、酒場もそれらの民に合わせて店を開け閉めしている。ごくごくまれに観光客から、夜に出歩く場所が無いと意見が寄せられることはあるものの、おおむね「地方の特色」として受け入れられていた。
 クラウス自身も同じような生活をしているため、こうやってほかの地方の人と行動するときには落ち着かなさを感じてしまう。
「大丈夫ですか?」
 女王が舟を漕ぎかけたクラウスを目ざとく見つけ声をかけてきた。大丈夫とはいったものの、女王は結局今はお開きにすることを決めた。
「申し訳ありません……」
 うなだれて女王に謝るが、彼女はにこりと微笑む。
「いいえ、あの場であれ以上議論してもどうにもならなかったでしょう。聞いていると理論が堂々巡りで、そのうちお互いにつかみかかりそうだったのでちょうどよかったのです」
「はあ……そうですか」
「朝から会議をするほうが頭が冴えていていいと思いますのよ。明日の開始時間を決めてくださいませんか?」
「えっ……自分でよろしいのですか?」
 嫣然と微笑むアリシア。それならば、と自分の都合のよい時間を告げた。

 次の日、早朝七時から開始された会議で一番元気だったのはいうまでも無くクラウス。女王も元気に顔を出し、残りの面々もそれなりにさっぱりした顔で 出席してきていた。
「でも……今度からは午前十時ぐらいからはじめた方がよさそうですね」
 起きてはいる。起きてはいるのだが、クラウスと女王以外は頭が活動を始めるのに多少の時間を要した。
 あまり言い合いにならないからいいのですけれど。
 小さく女王がつぶやくのをクラウスは聞かなかったことにした。



  Ende.


 とある日の市長会議の図。きっとその後は、午前の部午後の部でやっていくに違いない。深夜の会議は脳が膿んでくるからぶっとんだ案しか出てこない気がするw

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