資料三昧






 二枚の紙がある。机に突っ伏しながらその紙のうち、一枚を取り上げた。
 『1---不時着時の概要』と題された紙には時系列にそって簡潔に内容が書かれていた。この時点では何らの指示も出しておらず、とにかく現状把握に流されてバタバタしていたタイミング。自分の状態はすぐにわかる。冷静にと命令をした自分が一番不安定だった。だから初動の指示はしていたが、他の人間にしてもユリアと大して状態は変わらず、不断なら柔軟度の高い行動をする部下のはずが多少ぎこちなかった。
 そんな中、変わった視点で報告をまとめてきたミュラー。後から聞くと彼は彼で動揺をしていたという。確かにユリアが見たところ動揺もしているようだった。もちろん他の数多くの報告書と同様、一長一短で結局参考にする程度にしかならなかったのだが、それを踏まえて彼女があの事件から学んだのは、あまり画一的過ぎる訓練もよくないな、ということ。違う人間でも毎日同じ厳しい訓練を受けていれば考え方も抜け道の見つけ方も同じになるのだ。そういった不測の事態にも対応できる部隊はあるが、ユリアとしては自分の部下にもその気質は持ってもらいたかった。その為の覚悟はもっているつもりである。
「思ったよりそういう精神は育っていないものだ」
 解決したからこそ思えるが、輝く環の事件があったからこそ自分たちの弱さを見つけられた気がする。軍なんてものは硬いものであり、その硬さを補う為に民間があるのだとは思うが親衛隊は少々勝手が違う。非常事態になった時、各隊士は現場裁量権を発動できる。そんな存在が皆一様な動きしか出来なければ一体どうなることだろう。
 自分の想像に寒気がして紙を机に置いた。軍以外の訓練施設に放り込むことも案として女王に提出しているがどうなるだろうか。そんなことを思いながら二枚目を手に取った。こちらは先ほどのような報告書ではない。一応便箋でいい紙をつかっている。だが内容は。
『本届いた感謝する。今日は帝都は暑い。また書いてみる。では』 
 昨日届いたばかり。封蝋付きの封筒に入っていなければどうなることやら。それくらいに一瞥するとメモと大差ない。いまでは別に保存をしてあるが、もしも造作なく机の上に置かれていると捨ててしまうかもしれない。
 公文書で封蝋は当たり前だ。私文書でも使われるが市販の簡単な印を押すだけの簡易版になっているこのご時世に、一瞬公文書と見紛うばかりの封蝋がされた手紙がやってきた。何事かと慌てて封を切れば一行だけ。しばらく何を言えばいいのかわからなくなった。しばらく考え、誰かが間違えて日記の切れ端を入れたのだろうと結論付けるもののその封蝋が解せない。よくよく見るとリベール国内ではないデザインで、よくよく見れば文字幾つかが装飾されて入っている。
「……M……ULL……えっ」
 それまできちんと宛名は見ていなかった。公文書だと思い込んでいて、とにかく内容確認を優先させていた。慌てて確認するとミュラーの名前。
「……ええと」
 本人にお願いをして、尚且つその主にも一言付け加えておいた結果がこれだ。その前に墜落時の報告書をもらっているのでそのイメージでいたのだが、どうにも自分の見通しが甘かったことを思い知らされた。基本的に物を疑わないユリアだが、いくらなんでもこれは別人だろうと思い、以前の報告書と見比べてみた。けれど字体は同じ。豪快だが汚い字ではない、読みやすい字。もしかしたら暗号の一種だろうかと便箋を蝋燭の炎に照らしてみるが特に変わったことはない。それどころか、もう少しで燃やしてしまうほど近づけてしまい、焦げくさい臭いに慌てて火を吹き消した。
「危ない……せっかくの……手紙を燃やしてしまうところだった」
 これを手紙というのはユリアの思考が許さないが手紙だと言い聞かせることにした。メモと見紛う簡素な一行だけれど待っていた。ようやく個人で保存できる、ミュラーの文書。この日記もどきが来るまでにすら、ミュラーが帰国してから軽く二週間は経っている。一体どれだけ悩みぬいてこの文章を考え出したことやら。
 今比較用に持ってきている報告書はもちろん普段は書庫に保存されている。現物を持ち出せるのはあの事件に関わった人間と各部の長以上のもののみ。その特権を利用してこっそり眺めることがあったのは否定しない。カノーネ辺りが聞けば「ようやく人間味が出てきたわね」と言われるのが目に見えているなと幾度思ったことか。
「……嬉しい」
 封筒ごと抱きしめて目を閉じた。肌身放さず持っておこうか。でもそれはすぐに破いてしまうかもしれないからやめておこう。では執務室がいいか。それとも兵舎の自室がいいか。生家に持って帰るのが一番安全な場所にはなるだろうが、なかなか帰れないという弱さがある。
 ここまで考えてふと我に返った。いまはまだ仕事中で、机の端の方にはまだ他の書類が山のように積まれている。恋人からの手紙に浮ついた気分でいてはいつまでたっても仕事は終わらない。
「ニヤついてくる顔もどうにかしなければ……」
 頬に手をやると少し熱い気がする。
「内容はただの日記、取りようによっては本のお礼状に見えない……無理か」
 あれこれ考えている姿も良く考えれば奇妙に映る。いつ誰が何の用事で入ってくるのかわからないのだからあまり醜態を曝すわけにもいかない。
「……さすがにこの短さを次の手紙に書くのはやめた方がいいな」
 基本的に何でも出来そうな人だと思っていたが、深く人と付き合えば意外なことがいろいろと出てくるものだ。何度も何度も同じことを思うが、今度もそんなことを思ってしまう。
「なんでもできる人などいないな。さすがに盲信できる年でもなし」
 ミュラーが完璧な人間ではなかったことにほんの少しだけ落胆しながら、その実安堵の方が大きい。なんでも相手のほうが上手く出来てしまうと次第にお落ち込んでしまう。相当に負けず嫌いな自分の性格は、ここ数年でようやく把握しかかってきたところだ。
「それにしてもこの封蝋は一体……」
 以前に帝国から戻る際、皇城の侍医からだとオリビエから書簡を渡された。そのときの蝋は相当派手な文様をかたどっていたが、それに匹敵しそうなほどである。
「……リベールで言えば王族の方々しか使わないクラスの装飾……やはりあの方は貴族の方なのだ」
 以前ほど気にならなくなったが、根本的になにか違うのだなとは思う。そればかりはもうどうしようもない。これから先、ミュラーと親交を続ければ続けれるほどそういった場面に出くわすのは確実だ。
「昔よりは、これを意識させられても落ち込まなくなったかな」
 封蝋を軽くはじく。荘厳な文様は、いつか倒してみろと言わんばかりに存在感を露にしていた。

 立ち上がり近くにおいてある空き箱を手に取った。とりあえずはこれに入れておいて、もう少し先に置き場は考えよう。そして自分の机の上と、ほぼ空の箱を見比べる。
「できれば貴方を知る資料と言えるほどにたまってくれればとは思います。これを整理する仕事ならいくらでも」
 言いながら蓋を閉めてとりあえず執務机の引き出しに入れた。

Ende.


 書いてて本気で謎に思ったのは、封蝋の代わりに相当するものが出来ているのか否か。「絶縁テープ」なるブツがあるからテープは存在しているんだろうけど、それが手紙の封印に使われるほど一般的なものなのか。謎は尽きない。というかそもそも「手紙のやり取り」が個人レベルでやっているのかどうか。
 全然上の文章後書きになってないのが凄い。ユリアさん、初めてお手紙をもらうの巻。報告書等々は多分すらすら書けるとおもうんだ少佐は。


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