月下庭園





 深夜の見張りも悪くない。たまにするのならば、とこっそりと呟きながら女王宮前にユリアはいた。本来ならもうここで深夜、見張りに立つような人間ではなくなってしまっているのだが、たまに部下が仕事を終わらせきることが出来ずに交代することがあった。新円の月が真上にある深夜。庭園を照らす導力灯は、特に何もない夜には出力はかなり低く設定されている。何かの催し物がされる場合には煌々とあたりを照らし出すが今は大半が切られ、最低限足元を照らすのみとなっていた。
「ああ、よい月だ」
 誰かが庭園に上がってきた。姿は見えないが誰かはわかる。内容までは知らないが、女王と謁見する為オリビエが今城に居り、当然その従者も城に留まっていた。今日の夜遅く、閉門ギリギリに到着した為当然謁見時間は過ぎており、今日はとりあえずゆっくりと過ごすと笑っていたはずなのに。ユリアは身を固くし、そっと気配を消した。近づきさえしなければ女王宮の前に立つ人間が誰かなど判別できないほどには暗いのだから。
 思い切り伸びをして体を反らせるミュラー。そのまましばらく月を眺めて、やがて満足そうに頷いていた。
「出て来てよかった。いいものを見た」
 わざとらしく声に出して言うのが耳に引っかかるが今は見張り中。ただでさえこの時間は人が少なくなるのだ。余計なことに気を取られているわけにはいかない。動揺して気配を乱してしまうと、庭園側を巡回している部下に気付かれてしまうかもしれない。そんな内心を他所に男はこちらに近づいてくる。が、女王宮へと続く階段にたどり着く前に横にそれていってしまった。
「……」
 視線の橋で様子を窺っていると少し高台になっている場所へ行き、手すりに寄りかかった。そのまま景色を見ているようだ。幸いにして樹に隠れてユリアの立つ位置からは直接見えない。
「……いや、幸いというか、あの後ろに賊がいたならすぐ見分けられないということか。樹を切り倒すことだけは避けたいが、この位置から見渡せる部分が減るというのも不安だ。しかし、一度に情報を得ても効率的に把握できなければ無駄だし……」
 そんなことを考えているうちにも時間は経つ。ミュラーはずっと同じ場所にいるし、ユリアも段々気にならなくなってきて、庭園の哨戒を部下と交代しつつ夜は更けていった。
「隊長殿、交代のお時間です」
 やがて交代が来て引き継ぎ。手短に状況を話し後は任せるとばかりに腕を回す。基本的には立ちっ放しなので体がこわばることもしばしばあった。だが今はあまり経験できないこわばりでもある。
「昔は体を動かせないことが苦痛だったがな……」
 今はそれよりももっと苦痛な書類仕事が待っているのだ。とはいえ今日はもう至急の事項はない。見張りに立つ前に全部辛うじて目を通してきた。さすがに気になる書類を残して見張りができるほど器用ではないのは自覚していた。
「それにしても、本当によい月だ」
 今最も明るいものといえば導力灯よりも何よりも月明かり。芝生や植え込み、木の葉一枚一枚を輝き照らし出している。せっかくこんな夜にここにいることができるのなら、もう少しいても構わないではないか。
「そうだ、そういう理由で私はまだ下に戻らないのだ。決して……」
 高台に一瞬目をやって慌ててそらした。

 とはいえ気にならないはずはない。せっかくだから声をかけたほうがいいのか、それともこのまま知らないふりをして彼が戻るより先に戻った方がいいのか。考え込みすぎてげんなりしてきたので門の真上の方へ足を伸ばした。ここまで来ると樹は植えられていないが芝生が見事に手入れされている。クローゼがここでお披露目をしたのがもうずいぶんと以前のような気がした。
 下を見ると王城へ続く唯一の正規ルートである橋と、その向こうに目抜き通りが見えた。まだまだ夜は深く街は眠っている。時折、バーで看板までいてしまったであろう酔客がフラフラと歩いているのが見えた。
 視線を戻し女王宮を見る。こちら側からでは内部の様子は少しもわからない。わざと窓を街に向かって大きく作っていないため、明かりがほとんど漏れてこなかった。そしてその手前に広がる月に照らされた庭園。顰め面で哨戒する部下たちもそこに似つかわしい気がした。街は、哨戒兵ほど場違いな感じを帯びるものはないというのに。
「この橋を境に内と外では別世界なのだ」
 今まで思っていなかったわけではない。ただこんな日には特に強く思うだけだ。
「さて、私の居場所はどちらが正しいのやら」
 手すりに背を持たせかけるようにして月を見上げる。ふわりと浮き上がりそうな感覚を覚える。少し期待して自分の足元に目を落とすが当然浮き上がるはずはない。自重気味に笑ってまた月を見上げた。
 しばらく見上げていると誰かが近づいてくる気配を感じた。けれど縫いとめられたかのように視線が月から離れない。少し失礼かとは思ったがこの美しさに免じて許してもらおうとさえ考えた。
「やっと見張りが終わったのならば声を掛けてくれればよかったのに」
 いつもの調子と、少しだけ非難。結局見つかったかと思いながらそれでも返事はしなかった。
「そこで月明かりを浴びていると、青いはずの軍装が白く見える。貴女はこの国の親衛隊ではなかったのか? 月の国の親衛隊か?」
「……月に親衛隊などは必要ないでしょう。きっとそんなものを必要としない世界が広がっているかと」
「だといいが」
 呟いてミュラーがユリアから二人分ほど間を空けて立った。その間を寂しく思いながら、けれど仕方のないことだと思って頭を振る。
「気配を消したつもりですが自分だと分かっておられたのですね」
「それくらいわからないでどうする。貴女の気配はよくわかるのだ」
 悪びれることも無く簡単に返されて顔が熱くなった。そっと様子を窺うと涼しい顔をして月を見上げている。自分だけ照れるのも悔しいのでしばらく黙っておくことにした。
 女が黙っている理由を知ってか知らずか、ミュラーはポツポツと身の回りで起こった事を話した。たいして大きな事件が起こっているわけでもなく、今のところ彼の身を脅かしそうな事態にはないことに心底から安堵した。
「……」
 話すことが途切れた。そろそろ長居をしすぎては、見張りの部下が怪しく思うだろう。いや、今でも怪しく思っているかもしれないなとは思うが、面と向かって聞かれた時に対処することにして手すりから離れた。
「それではよい夜を」
「もう行くのか」
「明日もまた仕事が朝から詰まっているので」
「深夜の見張りをさせてその上に早朝から仕事か。この城は人使いが荒いな」
 にやりと笑う。どう返せばいいのか、言い返せることは幾つかあったが結局、
「そういう世界ならいってみたいですね」
 とだけ答えた。怪訝そうな表情に変わる。それに微笑み返してから詰所へと向かっていった。

 残されたミュラーはユリアの最後の言葉を考えていたが、少し前に彼女自身が言った月の世界の話なのだろうと合点が行った。そして、月明かりの下滑るように歩く背中を追う。
「やはり良いものを見られた。出てきて良かった」
 遅くについて城に泊まることになったのも、偶々部屋から見た月が綺麗で誘われるように庭園に上がってきたのも偶然。偶然が織り成す奇跡にかなうものはそうそう無いものだと頷いた。
「不思議な雰囲気だ。この庭園のことを知らないわけではないのに」
 月には不思議な魔力があって、人の理性を失わせたり魔獣たちがにわかに活気付いたりするという話を聞いたことはある。確かにこんな雰囲気になるなら、何がしかの力をもっていると思っても当然だなと感じた。
「機会があればまたこんな庭を歩いてみたいものだ」
 だがどうすればあの堅物を引っ張り出せるのか。少し考えて頷いた。さっきの最後の言葉。あれをどうにかできないだろうか。なんとかなるかもしれない。
「いつになるかはわからんが」
 そればかりは仕方がないと軽く頭を振り、またしばらく白い庭園を眺めるのだった。

Ende.


 すごいなと思う景色に出会うと口数は少なくなる。ましてやそこが王城だったら、せっかく会えてもろくに話も出来ない寂しさがあると思います。けどその景色を共有できたってーのは変わらないかな。


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