緊張





 球撞きに興じているといつのまにか時間が経っていた。このバーに来れば球撞き台を占有できるのでついつい時間を忘れてしまう。別に誰か待つ家があるわけではなく、店主も何も言わない。誰も使わない台を遊ばせておくのももったいないからいつでも使ってくれと前に言われているのもある。
「今日はどうもダメだな」
 小さく呟いて散らばる球から目を離す。このバーは時間を気にしなくていいがあまりに人が少なすぎる。たまには人目のあるところで一発勝負を決めてみたいが、いつもいるのは店主のみ。しかもカウンターの中でグラスやボトルを磨くことに専念している。売上はどうなんだと聞いてみたら「道楽だ」と返される。
 王都では他に球撞き台があるバーがない。他の地方では見かけたことはあるがそこに出かける気はなかった。
「……お」
 珍しい。温くなった酒を飲みながら声に出さずに続ける。こんな隠れ処みたいなバーに客がいる。
 カウンター席に二人。男女。多分わけあり。雰囲気が他人を寄せ付けない。
「……どこかで見たような?」
 男は知らない。だが女にはなんとなく見覚えがある。自分に背を向けているし、意図的に顔を隠している上にバー自体の照明は暗い。気にならないことはないがあまり詮索するのも大人気ないと、手にもったままのキューを一拭きした。中途半端に散らばった球をどう落としていくか。

「……やはり今日ももう行ってしまうのか」
「……」
「たまには……いや」
 ミュラーは言葉を紡ぐことを止めて目の前に置かれていた酒瓶に視線を送る。そこには隣でうつむいているユリアがゆがんで映っていた。
 彼女の性格を知らないわけではない。そして彼女の忙しさを知らないわけではない。だが、何もかもをおいて自分といてくれる時間があってもいいじゃないかと思うときもある。自分が常に一緒にいられないことを棚に上げているのは十二分に承知はしているのだが。
「……いつも……すいません……」
 か細い声で謝罪。
「謝るのはこちらだ。貴女は貴女がしなければならないことをしたいだけの話。……それはわかっているが、それだけではどうしても収まらない」
 酒瓶越しではなく直接ユリアに視線を送る。薄暗さもあいまって表情ははっきりと読めない。
「……すまない。酔った男の戯言だったな。それを飲んだらもう……行くか」
 女の目の前にある飲みかけのカクテルを顎で指す。こうやって無理にでも折り合いをつけていく努力をしなければならない。今後も似たことは山のようにあるだろう。いっそ、ユリアをこの場から、この国から連れ去ってしまえたら。そのまま帝国に戻らず、どこか違う場所で暮らすことができるのなら。
「馬鹿なことだ」
 不可能である。とはいえ、不可能を妄想することぐらい許されてもいいではないか。店主に新しくカクテルを作ってもらって飲み干す。
 と。手が動きにくい。何か引っかかったかと思って見てみると、ユリアがミュラーの服を掴んでいる。
「……?」
 そっと覗き込むがこちらを向かないのでなんとも判断のしようがない。ただ、ユリアの本心がなんとなくわかった気がする。
「……俺とまだいてくれるか?」
「……」
 沈黙。肯定でも否定でもない所作。むしろ否定に近い沈黙かもしれない。けれど否定であれば掴んだ手の説明がつきそうにない。
 しばらくどちらも口を開かなかった。ユリアはミュラーを見ないがずっと手は男の袖を掴んでいる。
「……強引に連れて行けという解釈でいいだろうか」
 自分に悪者になってもらうことを望んでいる。ふとそんなことに行き当たった。だがなんとなくそれでは悔しい。やはりユリアからも意思表示が欲しいのだ。
 どうしたらいいかと考えていると小気味良い音が耳に飛び込む。後ろに視線を送ると男が一人、球撞きに興じている。この王都では珍しい遊びだなとしばらくその音に聞き入っていた。
「そうだ。賭けをしよう」
「……?」
 言葉は発しないがミュラーの顔を見る。
「今、あそこで球撞きをしている人がいる。次の一打で残りの球、全てポケットに落ちたなら。……あとはわかるな?」
「え……」
 明確な答えはないが袖が強く引っ張られる。それが何よりの答えだとミュラーは満足した。

 ムチャクチャ言ってくれやがる。
 当然ミュラーの言葉は男の耳に入っている。後一打で全部落とせだと? 一体どういう奇跡が起こればいいんだ。
 残っている球を数えながら恨めしそうな視線をミュラーに送る。視線は合わなかったが好きなように打ってくれと言われた気がした。
「あの男の気持ちがわからんでもない。ワケありなら余計にそう思うだろうな」
 不調だがやってみてもいい。あまりそんな気分になることはないが、カウンターの二人の気配がどうしようもなく強いので、それに影響された感がある。
 台の周りをめぐり、打ったあとの起動を何度も頭の中でシミュレートする。だがどうなるかは打った後、球の気分の赴くまま。その気分はかなり気紛れなのは経験済みだ。
「男の味方をするのか、女の味方をするのか。オレはそこまで責任はもてん」
 先端に粉をなすり付け構えに入る。幾度か目的の球を突付くまねをし、繊細且つ豪快に突いた。

 球撞きをした男も、ミュラーも、ユリアも。おそらくボトルを磨いている店主も。その瞬間は一瞬だけ止まる。羅紗が張られた台の上を進む球は一つ、二つと的球を落としていく。最後の一つへ向かう手球は次第に減速するが、その近くにポケットがある為計算した。
「今日一番の出来かもしれない」
 このまま行けば的球のみ上手く落ちてくれる。行ってくれ。賭けのことなどどうでもいい、自分を満足させる為に。

 結論として言えば失敗。減速しすぎて勢いが弱すぎた。肩から力が抜けていく。
「ちっ」
 どうやら台の上の女神は女に味方をしたようだ。悪かったなと、妙な連帯感をもってカウンターの男に目線で謝る。
「すまない、俺の戯言に付き合ってくれて」
 向こうから幾つかチップが放物線を描いて飛んできた。
「こっちもまだまださ」
 手の中に綺麗に落ちた貨幣をありがたく受け取ることにする。そのままカウンターにいた二人は出て行った。

「仕方がない、今日は俺が貴女をつれて離さなかったということで我慢しよう」
「えっ?」
 城への道を辿ろうとしたユリアの腕を掴み、にこりと笑う。
「まだそちらには行かさない」
「あの、賭けは何の意味が?」
「あのバーで俺の服を掴んで離さなかった人は誰だ? あの時点で、もう城に返さないことは決めていたが」
 より引き寄せて細い腰に手を回す。
「俺が誘ったか貴女が誘ったか。たまには貴女から誘って欲しいと思ったがそうもいかないようだったから、賭けにした。あの男が球を全部落とせば貴女が誘った。でなければ俺が誘った」
「……呆れました」
「それでも結構。今日も、明日も返さないから覚悟しろ」
 何かを言いかかるユリアに一瞬口付けて黙らせ、そのまま夜の街へ方向転換して連れて行った。

Ende.


 店の外の会話を球撞きしてた人に聞かせると一体どうなっただろう。
 少佐ならこれくらいやってのけそうなんだ。まじめはまじめで堅物なところもあるけど、それだけじゃない面があったほうが面白くていいと思うんですが、いかがなものでしょうか。その意味もあってウチのユリアさんも不意打ち好きの悪戯好きでもある。てーか女も男もずるいもんだと思うんですがね。


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