想う





 目が痛いほど緑な木々の間を僅かに黄色がかった葉が数枚零れ落ちる。風に遊ばれるだけ遊ばれて気配なく落ちていくその葉だけを狙って刃を動かす。枝から離れて乾いた葉は微かな、意識しても通常なら聞き取れないような音を立てる。その音だけを頼りに無心に振るった。ミュラーの足元には切り刻まれた残骸が降り積もる。
 場の空気が変わったことに気がついて訓練を止める。部下たちが見守っていたのだが、彼らの視線は練武場の出入り口に向けられていた。
「ああ、気にしなくても良いよ。ちょっと見学に来ただけだから」
 愛想の良い笑顔を振り撒いてオリビエが練武場に入ってきた。ミュラーは剣をおさめて向き直る。
「何かあったのか?」
「相変わらず凄いね。ボクだったら踏む音と混じってこんがらかりそうだ」
「……」
「聞き分けできてるんだろ?」
「……ああ」
 何の用事なのかはかりかねる質問をぶつけられるがこちらも慣れたもの、どんな突拍子のないことを言われるかと警戒しながら応じた。
「さっすがミュラー。キミの部下たちだって見入ってるみたいだった」
 ミュラーもそれは理解していた。というよりも、わざと衆人環視の中で失敗を許されない状態に追い込んでの訓練も兼ねている。ともすれば焦りに飲み込まれる緊張状態で、何処まで自分のペースを保てるのか、と。だがそこまではっきりとオリビエに伝えるつもりはない。そして、にこにこと笑うだけで本心を明かさない男。
「迷ってるよね?」
 くるりと体を振り向かせてミュラーに背を向けた。一体誰に話し掛けているのかと思えば自分の部下たち。おい、とオリビエに手を伸ばしかかったがほかならぬ彼自身に制された。
「どうだい? ボクよりずっとずっと彼の練習を見ていたキミたちのほうが、よくわかっていると思うのだけれど」
 重苦しい沈黙。ややあって誰かが一人、はいと声を上げた。それからしばらく肯定が続く。中には「以前はこうだった」と指摘してくるものも居る。
「……だってさ」
 肩を竦めて振り向く顔にはなんの嫌味もない。事実をただありのままに伝えているだけ。
「そうか」
 迷い。そんな自覚はなかった。だが、こうもオリビエに賛同する声があるのなら、確かに迷っていたのかもしれない。
「自覚のない迷いって、怖いと思う」
「……確かにな」
 怖さはわかる。過去直面した危機、生き残ってきたのは迷わなかった為。
「キミがこんなに大勢にわかるように迷うなんてね。いままでじゃなかったことだ」
 オリビエにそんなつもりはないのだろうが、何度も強調されるとさすがのミュラーでも居心地が悪い。
「一過性だ。すぐ戻る」
 殊更にぶっきらぼうに吐き捨ててもう一度構えを取った。
「そうかな。リベールの空気は強いよ」
「は?」
「まあ、やってみなよ。今のキミじゃ何度やっても、迷いは吹っ切れないんじゃないかな」
「……」
 構えを解く。それを見届けるとオリビエはどこかへ行ってしまった。
「……自主訓練の時間にする。中隊長は各隊の監督をするように」
 短く命じて練武場の隅に腰を下ろした。それぞれの隊が思い思いに訓練をする様を見届けて目を閉じる。

 とにかくオリビエは全てを言わない人間である。だが、言わない部分は全部、考えればすぐわかることだ。わざわざ部下たちの前で彼に恥をかかせるような真似を、進んでする人間でもない。
「よほど目に余ったか」
 さりげない言葉に迷うことの恐ろしさを忍ばせる。毛が一本震える程度の迷いが幾千の部下の喪失につながるかもしれない。かといって、迷わずオリビエについてこいという意味でもない。例えば、「どんなことがあろうとオリビエについて行く」といったならば、返って来る答えは一つ。「うん、でもそんな人はいらない」
 オリビエの隠れてしまっている信条の一つに気づいたとき、ミュラーは背がゾクリと震えた。それからずいぶんと時がたった今でも、当時感じた薄ら寒さはありありと思い出せる。
 人は必ず間違いを犯す。多かれ少なかれ、どんな人間でも。若くしてそれを嫌というほど見せられたオリビエは、誰か、もしくは何かに対し、ただただ追従するだけの存在を酷く嫌っている。己の意見をもたずして迷わないといわれても彼は歯牙にもかけなかった。その人なりの思考、多様な意見を愛し求める。自分が持つ心に対して迷いなくあれ。他の貴族たちとは違う一面が現れ、それを肌で感じ取った瞬間にミュラーは知った。イエスマンはオリビエに不必要なのだ。ただ、人には無条件で受け入れてくれる存在が必要なのも確かで、ミュラーとしてはオリビエのそんな性格を知った上で、最後まで見届けようと思っているのはいる。今だかつて口にも態度にも出したことはないが。
 しかし、と頭を抱えた。彼の性格と会話を思い起こすと、現在「ミュラーは自分の心に対して迷いが生じている」状態であることは間違いない。その理由はリベール駐在期間が原因だということも示唆していっている。しかしそれ以上判断がつかない。仕方なく、かの国で起こったことをできるだけ細かく思い出してみることにした。
 帝国大使館に勤め始めた日。オリビエとようやく再会した日。内腑をわしづかみにされたような武術大会、そしてクーデター、生誕祭。またオリビエが消えて、読書をしながら連絡を待つ日々。リベール各所で起こった理解しがたい事件。挙句に現れた空中都市。
 そこまで来て、相変わらず舞い落ちている葉の動きに何かが重なった。他に気づかれないように息を飲む。
「……」
 軽やかに。一瞬見ただけでは一つ一つの動きを見極められないほど流れる動作。どこかで似たような動きを見たことがある。
「……わからん」
 目を開け、なんとなく部下たちの訓練を眺めた。視界の端に彼らの動きが映ったのかと思えど、帝国で行われる一般兵の訓練は一つ一つの動作を完結させて次へ次へと進むもの。必ずどこかで区切りが入る。
「この木の葉との違いはそこだ」
 連続した仕事と分断された仕事には大きく違いが存在した。自分もまだ体現できない動きに感嘆し若干の嫉妬も同時に持った。だからこそとっさに教えてくれと頼み込んだ。大体先ほどまでやっていた練習もその一環ではないか。
「俺と同じく護り人。忙しくてろくに話すらしなかったが良い腕の持ち主だった」
 名はなんと言ったか。いや覚えている。覚えているが、音に出して言うと何かが減っていきそうだったのでやめた。代わりに、彼女のことを思い出した後に残る、なにやらわからないものについて思いを馳せる。さて、これは一体なんだったのやら。知っているような知らないような。すわりの悪い感情だ。
 目の前に落ちてきた葉を指先で挟み取る。間髪をいれずに落ちてきた次の葉も、そのまた次の葉も。その葉を全て集めたら胸に居座った感情に決着がつくとでも言うように、ただ無心に。
 傍から見ていたその様子こそ求めた動きそのもの。気がついた部下たちは、あまり自分の足元から動かずに滑らかな動きを続けるミュラーに見入っていたのだが、本人は結局最後まで気がつかなかった。こっそりと部下たちは喝采を上げる。とはいえ次にミュラーが意識をして練習を始めた時にはまた元のとおりギクシャクした動きになっていたため、視線のやりどころと感想に困ってしまったのは甚だ残念なことである。

Ende.


 オリビエを思っているのかユリアさんを思っているのか、とりあえず両方なんだろうなーという感じ。本人自覚ほとんど無しの場合、高確率で周りが迷惑するを地で行ってもらいましたw


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