血を流す決断





「そこに必要なのは合理的な思考のみ。末端の兵であれば生きることに貪欲であれ。上官であれば最小の被害で最大の救助を行え」

「チームは家族と思え。誰かが一人傷ついたならば全員でそれを支え、誰かが死んだなら亡骸も確保し、必ず全員で帰還せよ」

 士官学校では後者の理念を叩き込まれた。戦役を直に経験し、正式に軍に配属されてからは前者の理念が通常であることを思い知らされた。どちらが正しいかはいまだ判別をつけられない。だが、あの瞬間は確実に前者だった。だからこう聞かれたときも落ち着いたものだった。
「ねえユリアさん。あの瞬間、私が崩壊するリベル=アークに取り残されたら、どう判断しましたか?」
 クローゼが何かの折、そうユリアに聞いてきた。
「……悩みはするでしょうが、あの時と同じ決断を口にしたでしょう」
「……ですね」
 クローゼも、エステルとヨシュアを見捨てる選択をしたユリアを責めている訳ではない。クローゼは取り乱したが、アルセイユに乗っている、助かるであろう多くの命たちを、もしかしたら助からないかもしれない二つの命と引き換えるわけにはいかない。上に立つなら当然の選択である。
「恐れながら殿下。少し、宜しいでしょうか」
 うつむき加減のクローゼにユリアは声をかけた。その声にはいつもの固さ以上のものがある。
「はい、なんでしょうか」
「失礼を承知で申し上げます。殿下は、上に立つ方としては少々甘さが見受けられます」
「……」
 クローゼの表情ははっきりと見えないが、ユリアはその言葉を放ったことに後悔はない。淡々と諭すように続ける。
「自分もかつては甘ったれな子どもでした。士官学校時代も戦役時代も、もちろん今でも甘い。……でも、その決断を即座に下さなければならない時は多くあるものです」
「そう、ですね」
「逆にお伺いいたします。あの瞬間、自分の立場に殿下がいれば、どう判断いたしますか?」
「……」
「自分と同じ判断をされますか? それとも助けに行く判断をいたしますか? もちろんあの二人が殿下の大切なご友人であることは承知しています。だが、はっきりいってしまえばそれは殿下の私情」
 もはやクローゼは私人ではない。王位を継承すると決め、そして国中にそのことを知ら示している。今後、例え王位を誰かに継がせたとしても私人に戻ることはできない。自分がそうと望んでも世間の目は決してそうとは見ない。そういう存在なのだとゆっくり語る。
「ユリアさんは、おばあ様……陛下と同じことを言う。迷うことはいけないことなのですか?」
 真摯な眼差しをユリアに向けてきた。動じずに口を開く。
「いけない場合もあります。一刻を争う時には、一秒の判断遅れが一個大隊を喪う事態にもなります」
「でも! それでも! 私は考えることができます! 一番被害が少なく、みんなみんな幸せになることを優先したいんです!」
「もちろん考えることは大切です」
「ならば……迷うこともある……」
 小さく呟いたクローゼの声を掻き消すように、市街の時計塔が非番時間の終わりを告げ始めた。そろそろ行かなければならない。
「考えつづけ、迷いつづけながら人は選択をします。だが、一度公人として、表に立つと決心した人間はそれを直接表に出すことは許されない。例えば、親友や恋人、肉親を置き去りにしなければならない事態になった時、安易に迷いを口に出す上官に付いて行きたいと思いますか?」
 視線を少し彷徨わせてからユリアに向く。
「いいえ……」
「国を背負うということも同じ……いえ、もっとそれを意識しなくてはならない」
 ユリアを呼びに来たのか、庭園に何人かの部下が上がってきた。だがクローゼといるところを見てその場にとどまっている。
「これは自分の浅はかな考えなのかもしれません。ただ、自分は部下と接する時はそうありたいと考えています。自分がそういう風に、この軍で教育されました」
 ベンチから立ち上がって軽く体を伸ばす。ヴァレリアの水平線は遠くまで続いている。
「かといって、全く悩まない人間がいいかといえばそうでもない」
 少し軽めに言うと少女は顔を上げた。そこに片目を閉じてみせる。
「人というものは我侭なものです。全く悩まなければ悩まないで不安になる。悩みすぎていればそれはそれで不安になる……覚えは山のようにありますが」
 肩をすくめるとクローゼも少し表情を和らげた。
「これから殿下がどのようにこの国を治めるのか、それは殿下が決められることです。ただその際に、ほんの僅かでもいいのでそういうことを心にとどめていただければ、と」
「……わかりました」
 クローゼも立ち上がった。彼女もそろそろ執務に戻らなければならない。
「ユリアさんくらいです、それを口に出していってくださる方は」
「本来ならば自分も口に出すべきではない。ただ、自分も甘い人間ですので」
「時々は甘くてもいいのでは? ……とにかく私、気をつけます。ありがとうございました」
 可憐な笑みを残して女王宮へ消えていった。その後姿を見送り、自分も部下の元へ向かう。まだクローゼが自分を必要としていたことにほっとしながら、けれどいつか来る、教える側と教えられる側という関係の崩壊。
「その意味で早く自分を必要としなくなってくれればいい。けれどまだ甘えて欲しい自分もいる。どうしたことだか」
 甘えた関係がなくなった後に来る、対等なもの同士としての関係を築いてみたい。それはそれで楽しいかもしれないのだから。
Ende.

 現状からするとよく王位継承者にしたなと思うほど、正直クローゼは甘い。今後に期待というやつだろうかな。「血を流す決断」は間違っている時もあるかもしれないけれど、その間違いに動揺してその次まで響かせるのは、為政者としては失格かと。尻拭いで動くとろくでもないことになるのはどの業界も同じじゃないでしょうか。本来ならクローゼが自分で気が付かないといけない甘さです。が、失敗が許されない立場だし、どうするんだろうねあの国。
 ともあれ、早く甘えから抜け出すという意味でユリアさんを必要としなくなる日が来て欲しいものです。


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