深夜見張り





 月明かりのない星の夜だった。詰所の窓から垣間見えた星の降り様に惹かれ、今日の息抜きは貯蔵庫を急遽取りやめて空中庭園にすることにした。こういう日は他の深夜組も庭園に出ていてきっと深夜の割に人は多いに違いない。
「交代時間を避けてみるか」
 ふと思い立ち今月の担当ファイルを棚から引き出した。親衛隊はもちろんのこと出向してきている王都警備隊、そして給仕の交代表が載っている紙を眺める。不届きものが城内を荒らさないよう日々日日ランダムで見張の交代時間は変更されており、女王、クローゼ、ユリア以外の他の人間は交代時間の詳細を知らされてはいない。
「こんな風に使うのなら、隊士たちも驚かずに済む」
 時には一番だれてきそうな開始三十分頃に突然見張りのところに行って、きちんと仕事をしているかどうかを確認することがある。それもユリアの仕事の一つなのだが、何事も起こらず変化もない深夜見張りで退屈していた隊士たちにとってはかなり嫌なものだ。彼女自身にも覚えがあるからよくわかる。けれど過去一度、深夜見張りの油断が元で事件になりかかったこともあり、これはやめてはいけないものだった。
 ユリアがいない場合は女王かクローゼ、三人ともいない場合はユリアが腹心に見回り時刻を伝えておき、決してリスト自身を渡すようなことはしていない。その甲斐あってかどうかは知らないが、ユリアがこの責務を引き受けるようになってからは一度も見張りが原因の事故は起こっていなかった。
「よし、この時間ならいいだろう」
 ほどよく深夜で、見張りも交代三十分ほど前。このタイミングなら「後少し」と気合が入るので驚きはしないはず。笑いながら頷いた。

 思ったとおりの綺麗な夜だった。天にある星はいうまでもなく、水辺に住む民が作る光点も見事なものだ。それらが凪ぎの湖に映り込んでゆらゆらと揺らめきを作っている。少々寒くても外にいたい、そんな景色が広がっていた。
 見張りに軽く挨拶だけして庭園のベンチに座る。早めに戻って仕事の続きをするべきなのだが、まあいいかとユリアにあるまじき思考でぼんやりと座りつづけた。ここのところ色々と事件が立て続けに起こり過ぎてしばらく深く考えたくないというのが正直なところで、実際何も考えずにぼんやり過ごせる時間があるというのは彼女にとって例えようもなく幸せだった。
「こんばんは。先客がいらしたとは」
 柔らかな声がした。ぼんやりしていたユリアは一瞬誰が声をかけてきたのかわからなかったが、それがクローゼだということを理解すると慌てて立ち上がった。
「あ、座っていてください。私も座りますので」
 体に巻きつけていた毛布を整え、ユリアも座れるよう真中から少し避けて座った。
「いや自分は……」
 ぼんやりが過ぎたなと思い仕事に戻ろうとしたが、クローゼが少し悲しい表情で見上げてくるのでやめた。
「では畏れながら……」
「昔みたいですね」
「……確かに」
 恐る恐る座ったユリアにぴたりとくっ付き、毛布をユリアに回すクローゼ。彼女の暖かさを知ったため、外が意外に寒かったのだと思った。
「こんな風にしたのはいつ以来でしたっけ」
「そうですね……殿下が学園に入学される直前も、こんな風に綺麗な星の夜で、二人でここに座りました」
 ユリアの言葉にしばし考え、やがてそうだった、とにこりと笑った。
「あの時はココアも作って、本格的にここに座り込むつもりだったんです」
「自分は女王宮前の見張りでしたね。殿下がどうしてもと仰るので自分もいましたが……内心いつ怒られるかとひやひやしていましたよ。一緒に立っていた同期は諒解してくれましたが」
「ごめんなさいユリアさん。そこまでまだ気が回らなかった」
「もう過ぎたことです。誰にも咎められませんでしたしね」
 軽い調子でなだめると明らかにホッとした顔になった。それを見届けてユリアは空を仰ぐ。
 星々は以前と変わらず。地上の明かりは少し増えた。景色と空気の冷たさはそれほど変わらない。では、ここで自分が感じることは。以前と同じか? 
 違う。
 あの頃はまだ戦役の痛みを引き摺っていた。あの頃はまだこんな地位にいなかった。そして「輝く環」事件も知らなかった。
「大きな事件が起きるのはできる限り避けたいことですが、それを解決する過程においてより一層の団結や和解が得られるのも事実。「環」の事件はそれを強く見せ付けてきた」
「そうですね。人が出来ること、出来ないこと。しなければならないこと」
 少女の相槌に不安が混じった。ユリアはそれに気付かない振りをした。滲み出る不安があるからこそ、眠ることもせずクローゼはここに座っている。
 その不安の片鱗ではあるが、それを知っている女は無下に女王宮へ返すことが出来なかった。宮前の見張りが一番困ってはいるだろうが。
「何かが、大きく変わってしまうのかもしれない。その変化が怖くて、ベッドから飛び起きてしまいました。まさにここを初めて離れて学園へ行く時と同じでした。いけませんね。これでは王太女としてやっていけない」
 明日、初めてクローゼが王太女として国民の前に姿をあらわす。ここしばらくその準備に追われて王族も給仕も親衛隊もそれぞれに忙しかった。「環」の事件以後ずっとその準備をしている為あまりきちんとユリアとクローゼだけで話をすることもなくきた。クローゼが何かしら話し掛けたそうにしていたのは知っているが互いに忙しすぎてそれと言い出せぬまま来たような気がする。
「……殿下」
 クローゼが黙ってからしばらくして、ユリアがそっと声をかけた。視線だけこちらの方に向く。
「先日、自分は大隊長へ昇進いたしました。十数年間空位だった、名誉職とまで言われた長の座へ。色々と思うところはありますが、自分を推してくださった方々の為にもお引き受けしたというのが正直な話です」
 自重気味に目を閉じた。目の前で揺らいでいた光がそのまま瞼の裏に映り、やはり変わらぬ明るさを保っている気がした。
「ここだけの話、何度も考えました。自分はその座にふさわしくないと」
「けれどユリアさんは選びましたよね」
「ええ。以前の自分なら頑なに固辞しつづけたでしょう。自分が特異な昇進をしていることはわかっていて、それに反発を覚えるものが山のように出てくるのも目に見えていた。けれど、「変化」ということはそうそう滅多に訪れてはくれないものだと最近思いました。特に長じれば長じるほどに」
 大隊長の座につくことも、王太女として国民にその存在を知らしめることも、内容に違いはあれど「変化」することには違いはない。そして、一度そのチャンスから目をそむけるともう二度と訪れない「変化」。
「学園へ入学するという「変化」。殿下にはどういう経験になりましたか?」
「……楽しかった。目から鱗の毎日でしたがそれでも」
 震えそうな声に気付いた。慈愛の笑みを浮かべ、ユリアはゆっくりと手をクローゼの頭に回し、手入れされたさらさらの髪をそっと撫でる。
「昔、もっともっと小さかった頃はよくこうやってくれと言われましたね」
「……」
 クローゼは目を閉じユリアの手の感触を楽しんでいるように見える。
「陛下や女官長に見られると怒られそうなので今だけですよ」
 そして、クローゼに聞かせるというよりは自分に向かって言うように呟く。
「……「変化」を恐れることは当然。何が起こるか予想できないということは恐怖を常に纏わせている。けれど「変化」がなければ何もわからないのも事実。環境は変わる。思考も変わる、かもしれない。では、自分自身は?」
「……自分、自身」
「自分は、変わったようには思えないんですけれどね。本質はそうそう変わるものではない。変わらないものがあるからこそ安心して「変化」を受け入れられる。よくある言葉だけれど、年をとり立場が変わると妙に実感します」
「……」
「ただ、そう言われても怖いものは怖い。ならば怖さが収まるまでこうしていましょう。星の降る夜はここでこうやって。自分に出来る限り」
「……ふふふ、ありがとうございます、ユリアさん」
 顔を見合わせて同時に満面の笑み。
「でも今日はもうそろそろおしまいですよ。これ以上夜更かしをしていると明日、起きられないかもしれません。初めての儀式で遅刻をするのはいけません」
 少女の頭から手を離し、いつでも立ち上がれるよう少し体を離す。不承不承だが仕方がないと立ち体を伸ばした。ベンチに残ったままの毛布を拾い上げて体に巻きつける。
「ありがとうユリアさん。怖さは相変わらずですが気は楽になりました。で、約束ですよ。また夜のデートをしましょう」
「出来る限り馳せ参じる所存です」
「もうっ、固いんですから。……ではおやすみなさい」
「お休みなさいませ、よい夢を」
 クローゼが行ってしまってからまたベンチに座りなおした。夜見張りをしているとクローゼがヒルダの手を掻い潜って庭園に出てきたものだ。
 少し笑って遠い思い出をまた胸の奥にしまい込み、瞬く星空を眺めた。

Ende.

 SCエンディングのお披露目直前な時間設定です。甘えん坊クローゼと少し懐柔されて姉モードのユリアさん。頭なでなではレクターの専売特許じゃなくてもちろん一番は両親、女王、きっとフィリップさんやモルガン将軍なんかもしてたに違いない。で、その感触を知ってるからユリアさんにもねだっただろうとか。


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