リベール





 衝撃としか言いようがなかった。これは一体なんなのだろうと、何度も何度も見返した。手元の一枚の紙を穴があくほど見返したが、やはり衝撃は衝撃だった。
 ユリアがいま手にもっているのは、長らく自宅の壁に違和感なく貼られていたリベール含む近辺の地図である。古くなったので別のものに張り替えようと父親が外した現場を見、初めてユリアはその壁に貼られていた紙に注意を払った。これはなんなのかを聞くと地図という。だがまだ地図がなんなのかよくわかっていないユリアを見かねたか、父は簡単に説明をした。
「リベールが今ユリアやお父さんが住んでる場所だって言うのはわかるな? その形と地名、大きな街や街道、そしてこれにはお隣の国のことも少しだけ描かれている」
「……? こんなに小さいのにリベールなの?」
「違う違う。この国をそのまま描いたらリベールと同じ大きさの紙がいるだろう。だからわざと小さく描いているんだ」
「……リベールは、どの辺り?」
「そうだな……」
 言いながら地図を床に置いて、幼い娘にわかりやすいように指で国境をなぞった。端の方にもう少し広域の地図が描かれていたのでそれも説明を求める。
「こちら側がエレボニア帝国で、反対側がオルバート共和国だよ。こっちの地図で言うと、リベールはこの小さな丸になる」
 父の言葉に固まった。
 なんて小さなところなのだろう。
 初めて地図を地図として認識し、自分の住む場所を意識したその瞬間。あまりの小ささに呆然とした。

 父親はそのまま新しく絵を壁にかけて自室へ戻っていく。ユリアはそれに気付かず、ひたすらに地図を見ていた。正直なところ、今まで国自体の大小など意識をしたことがない。教会裏の自宅から目抜き通りへ出ることすらまだまだ遠いと感じ、その目抜き通りを越え商業区へ出かけるといえば旅行だ。王都だけでも広いと思っていた。他の地方があることは知っていて、まだまだもっと広い世界が広がっているのだと思っていた。
「こんなに、小さかったんだ」
 近隣の国が帝国と共和国だったのが拍車をかけたのだろう、リベールの領土はなお小さく見える。広域地図で見てしまうと吹けば飛ぶような錯覚すら覚えた。
 リベールという国自体は裕福で、今にも転覆されそうなイメージはほとんどない。子どもにはそんなことはわからないが、大人たちがだいたい笑っている為不安になることはなかった。ユリアも当然何も思うことはなく、ずっとこの平和が続くのだと頭の端で思うこともあった。それだけに、些細な現実が冷たく襲ってくる。
「……」
 ようやく辺りを見回すと誰もいない。だが父親の部屋から人の気配がする。それを感じ取るといてもたってもいられず部屋に飛び込んだ。書架の整理をする父にしがみ付いた。いきなりの娘の行動に驚くがすぐ気を取り直して頭に手を置いた。
「どうした?」
 優しく撫でながら問い掛けてはくれるが、なぜそんな気分になったのかは少女自身にも上手く説明できない。けれど暖かい感触になんとなく心が落ち着いてきた。
 ややあってようやく口を開くことが出来た。
「お父さん、リベールって、他の国にのみこまれちゃったりしないよね? ずっとずっとだいじょうぶだよね?」
 父はユリアの頭を撫でるのをやめて考え込む。心を落ち着かせてくれた暖かい感触がなくなりまた不安が襲ってくる。
「……」
「ああ、そういうことか」
 不安になって父の行動を見守っているとまた頭に手を置いてくれた。何か納得したように頷いている。
「それは確かに衝撃だね。今までユリアは、あの壁の地図を見てもよくわかっていなかったんだな」
 まあ高い位置に貼っているから気付かなくても無理はないかもしれないと笑う。
「きっと大丈夫だよユリア。なんたって、この国にはすばらしい女王陛下がいるのだから。あの方のおかげで調和を保っていけている」
「女王……さま?」
「ああ。そしてその血を引く皇太子殿下ならば問題なくこの状態は続いていくと思う」
 そう父は言うがユリアには今ひとつ、女王や皇太子のことがよくわかっていない。王都に住む身とはいえ、王城に近づくことは滅多にないし、彼らのことが載った本は彼女にはまだまだ難しすぎる。そんな状態を知ってか知らずか父は言葉を続けた。
「それに、それでもどうしようもなかった時のためにお父さんたちがいるんだよ」
「え? どうして?」
「おっと、そこも気にしてなかったのか。お父さんは、この街を、この国を守ってるんだ」
 一瞬言葉が理解できずに父の顔を見上げる。自分と同じ蒼い瞳が笑っていた。
「この国をまもってるの?」
「ああそうだよ。時々来るお父さんのお友達もみんなみんな、お父さんと同じだ」
「みんなそうなの?」
 しっかりと頷いた。
 確かに父は他の友達のところとは違い、常に家にいるのではなくいる時といない時がある。近所に店を持っているわけでもなく、勤めているとしてもどこに勤めているのかよくわからなかった。ただ他の親と違うのは、勤めに出ているだろうのに時々昼間に家に帰ってきてユリアの相手をしてくれていた。そういうときには父の友達という人間も一緒にいて、皆ユリアのことを可愛がってくれる。母が死んでからは戻ってくる頻度が高くなったかもしれない。
「そうなんだ」
「そうだよ。お父さんたちが一生懸命この国をまもるから、リベールは簡単に飲み込まれたりはしない」
 力強い言葉に心から安心した。まだよく父の仕事がわかってはいないが、この大きな掌に撫でられていて、優しい声に包まれていると何があっても大丈夫な気分になる。だから満面の笑顔でうんと答え、その後は父の整理の手伝いをした。難しい言葉が多くユリアにはほとんど読めないが、たまに本を開いて知っている言葉に出会うと父に報告。そんなことをを繰り返すうちに次第に眠くなってきた。
「眠いのならお昼寝していいぞ。特別にお父さんのベッドを貸してあげよう」
「ん……うん」
 船をこぎ始めるユリアを見かねてベッドに寝かしつけた。たまにこんな風に眠ってしまうのだが、昼に仕事を抜け出して戻ってきている父は、ユリアが目を覚ます頃にいるとは限らない。こう言うときに眠くなるのは本当は嫌だった。
「……」
 とはいえ、父が忙しそうなのはわかる。いつも何も言わず、父のぬくもりを感じながら眠った。

 だからこそ、目を開けて父がまだいるととても幸せだった。傍にいてくれて自分を守っていくれていることを実感することが好きだった。仕事など放り出して自分と一緒にいて欲しいと思いながら、最終局面に入っている書架整理を手伝う。
 父が、女王や皇太子の為ではなく、街の人間、ひいてはなによりユリアの為に王都警備の任に就いているということを知るには、まだまだ彼女は幼い。父が、自分の仕事を理解しそれに就いている自分を誇りに思ってくれる日が来てくれたらいいなと、ユリアの寝顔を見ながら思ったことが通じるにはまだもう少し時間がかかるほどに。
「お父さんは大事なお仕事をしているんだね」
 父の仕事のことを聞いてからユリアが時折言うようになったこの言葉。これが真の重みを持ってユリアから発せられる日が来るのを、ひそかに父は楽しみに待つことにした。

Ende.

 ユリアさんの小さい頃シリーズ(違)。お父さん警邏サボって家に帰ってるのに娘はまだそこまでわかってない。かわいそうなおとーさんw でもこういうことの積み重ねで、ユリアさんも軍人の道を目指したんじゃないかなと思ったりもする。
 リベールと他国の位置関係を地図で見たら、小さい子だったら衝撃じゃないかなあれ。周りが大きすぎる。あとはどれほど詳細な地図なんだろう。外国からの旅行者だって来る国だから、地図自体の軍事的重要具合は減ってるんだと思うけど。某DQなんかでよく地図を高額で買ったり魔法の道具みたいになってるのは理にかなってる。あれくらいの中世イメージなら当然だ。軌跡はそれよりもっと時代が下って情報が色々出ているようなイメージだ。カメラもあるし飛行艇もあるし、空飛んで航空写真とれば地図見るより詳細な国の形がわかるし。


戻る