カシウス





「……ということらしいのだが」
 軽く説明をしてユリアはメンバーをみた。アルセイユの全クルーに通達を出すとなればちょっとした騒ぎになるだろうので、とりあえず艦橋の面々と機関長に先に打ち明けてみることにした。しばらくの間各々が考え込む。
「……艦長、質問、いいですか?」
 やがておずおずとリオンが手を上げた。軽く頷く。
「帝国の皇子殿というのは、先日のあの方のことですよね?」
「そうだ。全乗組員顔は知っているはず」
「その方の……ご帰国の際に自分たちが出る、と」
 通信士は言葉を切った。ユリアは黙ったまま、誰かしらから反応が出るのを待っている。とはいえ、どういう反応が来るのかはわかっていた。自分自身も同じ気持ちなのだから。
「……自分は、嫌です」
 控えめに、それでもはっきりとエコーが拒絶。おそらくそう来るだろうと思った。周りも真剣な面持ちで頷いている。
「俺たちは定期船じゃねーんだ。そんな、連絡係に使われるだなんて、少なくとも機関室の面々はスト起こしかねないぜ」
 頭を掻きながら機関長。
「そうですよ。自分たちは親衛隊で、定期船会社の社員じゃない」
 ルクスが憮然とした表情をしている。
「それは、『命令』なのですか?」
 ユリアが意見を聞きたいと呼んだ副長テニエスもいる。まだ杖はいるがもうそろそろ軽い訓練ならできるとのことで、もしかするとちょうど復帰している時期に当たるかもしれない。
「いや……内々密の噂だ。ただ、だからといってそれが命令ではないとは言い切れない」
「……艦長としてはどういたしたいのですか?」
「……」
 思うところは山ほど。だがそれをはっきり口に出せる身分ではない。時折、普通のクルーたちがうらやましくなる。
「艦長を困らせてどうする。きっとわかってくれてるさ」
 操舵士の声。ああ、わかっている。痛いほどに。
「噂の段階で過剰反応していてもまたややこしい事態になりそうですね」
「そうだな……」
 深い溜息がでた。基本、ユリアは部下の前で溜息はつかない。だからこそその場の面々は、彼女が置かれている立場を逆に理解した。
「噂には噂で。こちらもそこはかとなく反対しているというのを伝えましょう。プライドの問題を言う以前に、この船は軍艦。今だ不安定な帝国へ、他国の軍艦が乗り込んでいくというのは少々リスクが大きすぎます。何より、船自体がいつ直るかまださっぱりわからない」
「……考えておく」
 この話は終わり、とユリアは立ち上がった。部屋から出る直前、「『命令』に変わらなきゃいいんだけど」と誰かが言うのが聞こえた。

 数日後の親衛隊詰所は至って平和だった。小隊長以上の人間が隊士会議に出ており、いるのは新しく採用になった平隊士ばかり。少し弛緩した雰囲気が漂っている。そこにやってきた壮年の男は、その年に不釣合いなほど軽い声をかけた。
「いよう皆、元気にしているか?」
 平とはいえ親衛隊士。リベール軍の中ではエリートである。だからこそそんな風な声のかけ方をされるとは思っていなかった。入り口近くの机に座っていた隊士が男をじろりと見て頭を振る。
「なんだよあんた。陸軍から何か通達でも持ってきたのか? それならそこの台に書類置いといてくれ」
「シュバルツ大尉はどこだ?」
「……」
 見るからに普通の中年が軽々しく自分たちのトップを呼ぶのはあまり気分がよくない。
「隊長は今隊士会議に出ている。小隊長以上の人間は全員会議中だから、まだ戻られないよ!」
 語気が荒くなる。中年男はその様子に少し面食らったが、待たせてもらえないかと食い下がってきた。
「ああもう、隊長と何の関係だかしらないがここは親衛隊の詰所だ。軍に関係のない人間は外のどこかで時間つぶしをしてきてくれ! 王城なら二階に客人用バーがあるから!」
 剣幕に押されたのか今度は大人しく引き下がった。ほっとして手元の書類に戻った。

 会議が終わって詰所に一番に戻ってきたユリアは目を疑った。入り口横で座っている人間がいるなとは思っていたが、それが誰かわかった瞬間に心底から頭痛を覚えた。
「かっ……閣下!」
「おー、大尉か。お帰り」
「お帰りって……は、はい、只今戻りました。……ではなくて!」
 ユリアに気がついたカシウスが力なく手を振る。
「なぜこんなところに?」
「君に用事があったのだが、いないと言われたので待っていた」
「それならば詰所の中でお待ちいただいて下さればいいのに……」
 立ち上がるカシウスに慌てて駆け寄った。手にもっていた書類挟みを落としそうになるのを辛うじて阻止しながら。
「会議は実りあるものだったか?」
「ええ、またそちらにもご報告いたします」
「ああ、待っている」
 連れだって詰所の中へ。先ほどカシウスを追い払った隊士が露骨に嫌な顔をした。他の面々も何事かと見ている。
「おい、隊長にはもう書類を渡したんだろう? 一般人がこんなところをウロウロするな」
「あー……」
「バッ! 馬鹿者がっ!」
 カシウスが何かを言う前にユリアのカミナリが落ちた。同時に容赦の無い鉄拳が叩き込まれる。椅子ごと隊士がひっくり返った。
「貴様ら、この方をなんだと思っているのだ!」
「まあまあ大尉、落ち着いてくれないか? 俺としては何も思っていないから」
「しかし閣下……」
「調子に乗って私服で来たのがそもそもの間違いだとは思う。見れば皆若い。俺の顔など知らなくても当然だろうよ」
 二人の会話が途切れたところに恐る恐る声がかけられた。
「あのう隊長……こちらは?」
「最近復帰された、カシウス・ブライト准将閣下だ」
「!」
 一気に詰所の中がパニックに陥った。何か叫ぶもの、机の下に潜り込むもの、部屋内を走り回るもの。落ち着けと怒鳴っても聞く様子が無いのでしばらく放って置くことにした。
「あの、すいません閣下。こちらへどうぞ」
「……親衛隊隊長も大変だな」
「……」
 カシウスが復帰した際、軍広報で周知したはずなのだが見事全員写真を覚えていなかったようだ。これは他にも大事なことを忘れている可能性があるなと、今後はより徹底して周知しなければと心に誓う。
「あの、どういったご用件でしょうか?」
 自分の執務室に通して話を聞く。
「いや、それほどたいした話ではないのだが、オリヴァルト皇子の帰国に関しての話だ」
「……」
 身が引き締まった。そこへおっかなびっくり、隊士の一人が茶を持って入ってきた。部屋から出るのを確認してカシウスの顔を見る。穏やかな笑みを浮かべてはいるがこの笑顔の時は要注意だ。士官学校時代、いったいどれだけこの笑顔に皆騙されつづけたことか。
「あくまで噂だが、クルーとしては婉曲的に断りを入れてきたというが……」
「……」
「単刀直入に言おう。連れて行ってやってくれ」
「えっ」
 あまりに直球過ぎてあいた口がふさがらない。こんなにはっきりと言う人間だったかと疑ってしまう。
「今後の彼の身のふり方に関わってくる重大事項なのだ」
「……我々がアルセイユで、かの方を送ることが、ですか?」
「そうだ。できればその行く先を明るいものにしておきたい」
「……」
 しばらく考え込むユリア。一体この話はどこからでてきたというのだ。
「二、三、質問を許可いただけますか?」
「俺の守秘義務に関わらない範囲でなら」
「……まず第一点。どなたからのお話でしょうか? 次に機体修理にかかる時間が不明である点。最後に、帝都到着時の安全保障は。……いかがでしょうか」
 カシウスが笑いを引っ込めた。ユリアも居住まいを正す。
「一点目。俺が直接、皇子殿下から話を聞いた。是非ともアルセイユを借り受けたいと。その知名度と能力を買ってくれている。修理に関しては完了するまで待つとのこと。三番目は……正直を言うと、誰にもわからん」
 言ってカシウスは茶を一口。ユリアも続けて飲んだ。少し温くなっている。
「可能性としては、帝都についた途端、周囲から完全武装の兵たちが現れるということ。情報に寄ればあちらの対空迎撃網はまだ整備しきれていないので、アルセイユを撃ち落すことは非常に難しくなる。となれば必ず停泊する帝都の空港が一番危険ですね」
「そうだな。皇子殿下が降りる前に現れればリベールに対する宣戦布告。降りた後に現れれば皇子殿下を捕らえてしまう可能性。その可能性を予見しておきながらノコノコと最新鋭の船で送り届けた馬鹿な親衛隊」
 難しいところだと目を伏せた。
「親衛隊が馬鹿だと世間に罵られるのは構わないのですが……ひいては王家の名前に確実に傷がついてしまいます」
「そうだ。だから君たちが拒絶するのはわかる。それに、アルセイユを定期船代わりに使おうという、頗る付きに君たちにとってプライドを傷つけることだ。……だが」
 ユリアの目を覗き込んできた。びくりと体が震える。だがユリアは真っ直ぐカシウスを受け止めた。十年前の、初めて剣の手ほどきを受けた時は萎縮してしまったが今は違う。
「上手くいけば、皇子殿下の立場もそうだが、帝国内におけるリベール王国の力も大きくなる。報道を知らない、本を読まない民にとって一番いいのは」
「実際に実物を見ること」
「そうだ」
 女の答えに満足して笑った。こういう表情を見ると50代の呼び声が聞こえてきているとは思えない。
「他にもまあいろいろあるが、今のところ言えるのはこれくらいだ。近日中に陸軍から正式に王室に対して依頼をすることになるだろう」
「え……陸軍から?」
 力強く頷く。
 アルセイユは軍艦でありながらその所属は軍ではなく王室になる。このため、彼らを動かすことができるのは王族の人間のみ。軍とは協力体制はとるが命令に従うことは艦長、つまりユリアの裁量に委ねられていた。それならまだ断ることができる。相応の理由があるならユリアはできる限りカシウスには協力をしたいが、クルーたちはそうとは限らない。下手をすれば艦内で叛乱騒ぎが起きかねない。
「閣下……」
「いいたいことはわかる。が、最後まで聞いてくれ。申し訳ないが今回の話は、自分が保有する徴発権を行使させてもらう」
「えっ……そこまで」
 申し訳なさそうに付け足された言葉に心底から溜息がでた。実質上リベール軍の最高位にいるカシウス。階級は准将だが、特別に付けられている徴発権がその地位を可能にしていた。
「……そうとなればこちらも反対のしようがない。ですが……クルーたちをどうやって説得するんですか……」
 半泣きでカシウスをみたが視線を合わせられない。
「閣下」
「あ、いや、その、君が賛成したらどうにかできるのではないかなと」
「……」
「君は短期間でクルーたちの心を掴んでいる。本気で説得にかかれば落ちるに違いない」
「……閣下」
「もちろん私も協力するのにヤブサカではない。だがどうしても忙しくてな。できる限りのフォローはするが君の方でもがんばってくれたまえ」
 いいながら立ち上がり、文字通り風のように部屋を出て行ってしまった。昔からこれだ。エステルが彼のことを「スチャラカオヤジ」と評するのは実に真実だと思う。一体全体、あの頑固なクルーたちをどう説得すればいいのだ。むしろ彼らと一緒になって、アルセイユでの帰還の不確実さを論文にして提出する方がよっぽどましだ。だが徴発権を発動されてしまっては仕方がない。
「これも管理職の宿命か」
 できればすんなり行きますようにと、心から願った。

 その後、ユリアがクルーをなだめすかしてきた日には必ずそっと机に差し入れの焼き菓子が置かれた。誰が置いているのかよくわからないのだが、一度だけ髭を生やした中年男が、その菓子を購入しているところを見たとか見ないとか。これだからあの御仁には敵わないと、仕方がなくも説得に力を入れようと思うのだった。

Ende.

 3rdのアレが前提。親衛隊はエリートです。エリートなら多かれ少なかれプライドがあります。でもって御座船クルー。そんな人が、定期船代わりに使われることによい顔をするか。萌え云々全部ぶっとばして考えるとあの扉エピ、自分的にはツッコミどころが多くていけません。クローゼや女王があれを許可するメリットはどこなんだろう。パパとなら密談してたからそれもありか、ということでパパとオリビエの協議結果でああなったのかなぁと。王家的にはウマミは少ないが陸軍的にはウマミがあるのかもしれない。
 ユリアさんはオリビエと顔見知りだけど他クルーにそっぽ向かれると船は動きません。オリビエに反発するクルーがいたっていいじゃないと私は思うのですがね。


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