カノーネ
   *『Patriots』が地です




 近日中に会って話がしたいと言って来たのはカノーネから。その手紙を見たときは何事かと思ったが、山のような書類がユリアを襲ってくるのであまりきちんと考える時間がない。悪いとは思いつつもこちらからは積極的に連絡をせずにいた。休んだ間の仕事が思ったより山積みになっていて書類で机が見えない。
「比較的瑣末な用事は一応全部他の人間が見ていてくれるからいいのだが」
 文字を見るのも嫌になり、少しだらしないが自分の顎を書類の束の上に乗せた。明らかに一人の分量として、そして書類仕事以外に仕事を抱える身としては多すぎる。よくよく見れば稀に小隊長クラスの決済で十分な書類までも回ってきてしまっていた。
 他の中隊長に聞けばそんなに書類が多いわけではないらしい。現状、ユリアの補佐が休職していることを加味しても、部下たちの書類処理能力の低さには心底参っていた。これは意地でもどうにかしなければいけない。だいたい書類を見るのは遅い方なのだ。いつまでたっても自分が休めないではないか。
 だがどうやって? 自分もそれほど書類処理が上手いというわけではない。どうせならばもっと上手い人間に指導をしてもらいたいが今の軍内にはいないし、いてももうこれ以上の仕事は頼めないほど忙しくしていた。そうやってユリアが頭を抱える頃にもう一度カノーネから連絡があった。何の話か知らないが、書類を見なくて済むのならばとばかりに飛びついた。

 夕暮れの湖は全てがオレンジ色になる。白亜の城も一緒になって染まり、行き交う人間もオレンジ。ユリアもオレンジ色になりながら湖のほとりをぶらぶらとする。どこかの店で会うことも考えたが、カノーネから人気のないところという指定を受け結局外で会うことになった。ベンチを見つけて座り、ぼんやりと水面を眺める。
「覇気がないですわね。昔の貴女はもっととがっていましたわよ」
「……」
 横からかかった声に軽く手を上げて応じる。
「久しぶりに会った昔馴染みに一言も無し? なんて方なのかしら、この国の親衛隊長は。地位あるものならもう少し下々の者に対して気を使う義務がありますのよ」
「……一つ言えば十ほど返って来るのは相変わらずだな。元気そうで何よりだ」
「ええ。おかげさまで。堅苦しい誰かの顔を見なくて良いのは本当に幸せですわ」
 ベンチの端に座りながらやはり一撃を放ってくる。本当に相変わらずだ。だが不思議と心は落ち着いている。初めて会ってからしばらくは、ここまで敵意を向けてくる人間がいなかったこともあり面食らったが、今は素直に感情を表せない人種も少なからずいるということを知っている。
「今日は……何事だ?」
 あの事件で軍を辞め、王都から出て行ったカノーネ。ルーアンでリシャールと共に会社を興して暮らしているのは知っている。軍に常に見張られている為情報は逐一入ってきていた。それはカノーネ側も承知していること。近況など聞く必要もない。
「……貴女、閣下……所長の減刑嘆願をしたそうね」
「そのことか。ああ、確かにした」
 しばらくの沈黙の後にカノーネが呟いたことは彼らが軍法裁判にかけられたときの話だ。
「なぜ? 貴女のお人よしさ加減には呆れを通り越して凍りつきました」
「そう言われても。私はそうするのがいいと思ったから嘆願しただけだ」
 何より、かつての彼の部下、彼を知る兵からの嘆願書が多かった。自分がしたことなど小さい。
「なぜか私のところに兵たちが詰め掛けてきた。そのことを法廷で報告したに過ぎない」
「……」
「私も至らぬながら長の役職についている。だからされたことに対する罪はきちんと背負ってもらう。リシャール殿に関しても、お前に関してもそうだが……手を抜いたつもりはない」
「そう、ですわね。それでなければ」
「最終的に減刑を決定するのは陛下だ。自分の意見がどう反映されたかなど自分にわかるはずがない」
 実際、嘆願書が届いているという事実を義務的に語ったに過ぎないのだ。それをどう取るかは上の人間に任されている。
「貴女も十分上の人間だと思うのだけど」
「私はただの兵に過ぎん」
「……」
 きっぱりと答えると盛大に溜息をついた。相変わらずだ、自分のことを分かれ等、なにかぶつぶつ言っているようだがあまり気にしないことに決めた。
「……所長のことに関しては感謝をいたしますわ……」
 それは空耳だったのだろうかと思うほど小さな声。一瞬だけユリアの時が止まったような錯覚を覚える。あのカノーネが。自分と顔を合わせる度いがみ合った彼女が。自分に対して感謝の言葉を吐いた。はっとなって端に座るカノーネを見る。そっぽを向いており表情はわからない。
「……」
 これは最大限の、カノーネの感謝だ。不意にそんな気がした。あまり余計に突付いていれば悪循環に戻ってしまうだろうので軽く頷くだけにしておく。そのまま時がしばらく流れていった。
 オレンジ色だった空が青くなり、その青も濃くなる頃不意にカノーネが聞いて来た。
「ところで……ここしばらく貴女と連絡を取ろうとしていたのだけれど、休養中とだけしか帰ってこずになかなか連絡が取れませんでしたわ。仕事ばかの貴女が休養だなんて、何かありましたの?」
「仕事ばかとは手厳しいな。まあいいが……実は腹に穴をあけて休養していた。私はもう大丈夫だと言っていたのだが、侍医が断固許してくれずに相当な期間、仕事から離れる羽目になったな」
「はぁ?」
 あっけに取られているのを尻目に淡々と帝国に使者として行き、そこで内乱に巻き込まれて大怪我をしたことを語ると渋面になった。今はもうそんなに痛くないというとますます機嫌が悪くなったようだ。
「貴女……ほんっと、バカのままよね……」
「……」
「いや、バカなんて単純な言葉では言い表せない。なんと言うのかしら、自分に対する危機管理が全くなっていないですわ!」
「手厳しいな……」
「本当のことですもの! 普通はそういう場合、賓客として城を訪れているでしょう? そういう場合は逃げるもの。なのに貴女と来たら……」
 憮然とした表情で傷のあたりを殴るまねをする。慌ててそれは庇った。
「いやカノーネ、さすがにそれはやめてくれ。また穴があいたら私は軍からお払い箱だ」
「貴女みたいなのはそのほうがいいと思いますわ。陛下もきっと気に病んでいるでしょうよ」
「……」
「もっともわたくしにとって、貴女が軍を辞めようがどこにいようが無関係ですけれどね」
「それは……変わらず友でいてくれるということか?」
「はぁ? 何をかんがえているのやら。貴女と友になど、一体いつの間になったのかしら、教えていただける?」
 半眼でにらみつけてくる。これは余計なことを言ったと思うが、それでも言ってよかったとも思う。
「だいたい、貴女は長なのだから一般兵以上に自分のことを気遣うべき。それが、他所の国の内乱に巻き込まれて大怪我? この国、こんな意識の低い人間を親衛隊長に据えておくだなんてどうかしていますわ!」
 酷く怒っている姿を見て心底から嬉しくなった。だがもうそれを口に出すことはせず、代わりに別のことを口にする。
「まあそれはおいおい考える。いろいろそれについても言われたしな。それよりも長期間に渡って休んでいたので半端じゃない量の書類仕事が溜まってしまって大変だ。もう少し部下どもが上手く捌いてくれればいいのだが……」
「貴女は書類が嫌いでしたものね」
 しばらく二人とも沈黙する。が。
「申し訳ないが、あいた時間で構わない。お前が指導してくれないか?」
「よければしごいてあげてもよろしくってよ」
 同時に似たようなことを吐いた。カノーネの処理能力は軍内でトップクラスだ。その手ほどきを受ければ少しは使えるものになるかもしれないと思い、今のカノーネになら頼んでみてもいいと判断した。それが同時に申し出てくるという最高の結果に落ち着いたことに、ユリアは心から嬉しかった。
「なによ! にやにやしないで下さる!?」
 殊更に怒ったように顔をそむけるカノーネ。
「いやすまない。だがありがとう。また近日中にそちらへ依頼させてもらう。報酬は……」
「そうね、貴女の頑固な考えを変えるにいたった経緯と、今後の流れを教えていただこうかしら」
「何?」
 そっぽを向いていた顔をユリアに向けなおせば今度はカノーネがニヤニヤと笑っている。
「貴女の頑固さは筋金入り。それにわたくし、危機意識の低さは散々言われて怒られているのを見ているの。なのに今の今まで全くその考えを曲げようとしなかった。それが……」
 一旦言葉を切って笑いを引っ込める。ユリア自身は居心地が悪い。
「どこのどなたかは知りませんが、「いろいろ言われた」程度で今まで断固変えなかった考えを変えるだなんて、一体どんな魔法を使ったのかしら」
「えっ……いや……」
「他の方も似たようなことを絶対に感じているとは思いますけれど。さあそれを話して下さらない?」
「べ、別になんでもない」
「そういう割に目が泳いでいますわ。夜はまだまだこれからですのよ。どうせだからどこかで飲みながら聞きたいですわ、そういう恋のお話は」
「だ、だ、誰がここ、恋と!」
「女性は大好きな男性ができるとその方のためにありたいと思うもの。なにより、その方と共にずっとありたいと思うもの。種として当然のことですわ。それにしても貴女がね……押し付けられた恩、倍にしてお返しできそうですわね」
「……」
「ほら、ぼんやりしないで! 行きますわよ。わたくしの行きつけだったお店がこの近くにあるのだから!」
 颯爽と立ち上がってユリアの手を引っ張る。ユリアは心の底から後悔しながらも、それでもこういう関係も良いかと楽しんでいる自分に驚いた。

Ende.

 カノーネさんとの確執の理由は一体なんなんだろうとよく考えて、私的にはユリアさんが人臭くないからカノーネさん側が嫌がってるんじゃないかと思ったり。人間臭くない人は近寄りがたいというか。ユリアさんは外に向かって悩みを吐き出す人間じゃないし、カノーネさんはどっちかというと表に出てくる感情を見て読んでいる感じがするので、その辺に齟齬が出たかもしれない。それに加えて近親憎悪だろうなぁ。ま、いろいろ理由はあるでしょ。


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