クローゼ





 所用でレイストンへ行った際に暇が出来たので、なんとなく隣接されて作られている士官学校へ立ち寄った。自分が学んだその学校にはまだ数人、同期生が残っている。もちろんとっくに卒業しているが基地付になった為教官を任されている。
「おっ、シュバルツさんか。久しぶりだなぁ。あんたの記録はまだ破られていないぞ」
「一体何の記録だ?」
「トータルの運動系能力総合値。足の速さとか驚異的だったもんなぁ。今でも噂聞こえてくるよ」
 にこにこと笑う同期生に苦笑いを返した。どうせあまりろくなものではない。案の定笑いながら指折り数え始めたので話題をそらすことに決めた。
「最近他のものにあったりしたか? ツァイスにはあまり同期生は来ないので今ひとつ状況がよくわからないんだ」
「んー、こっちもさして来訪があるわけじゃないし。そうそう、歩兵二組だったガンツが軍辞めたよ。まだ復興しきってない故郷に戻ってそこで働くんだって」
「二組のガンツか。懐かしい。いきなりケンカを吹っかけられたことがあった」
「そりゃあんたが目の上のたんこぶだったからだよ。あいつ、いつも二番手にしかなれなかったし。だけどまああんたに見事にひっくり返されてから完全に認めたって言ってた」
「あの時は……自分も頭に血が上っていてからな……実技訓練後の休憩に入る直前なんていう嫌なタイミングだった」
「ははは、そりゃガンツの自業自得だ。やっと休めるってところに首突っ込むヤツが悪い」
 腹を抱えて笑う。ユリアも一緒に、久々に心から笑った気がした。
「ところでシュバルツさん、次はどうなるんだ? そろそろツァイス任期は切れるタイミングだろ?」
「必然的に王都に戻ることになるだろう……」
「そっか。噂聞いてるよ、親衛隊だろ? すっげぇなあ、アマルティアさんも情報部のトップ片腕だし、今度は我らが歩兵科の星が親衛隊か。他の面々はのんびり出世の中ものすごい勢いだ」
「……」
 士官学校を出れば誰でも親衛隊になれる、わけではない。どこかの部課で早く昇進はできるし、トップになれる可能性だってあるのだが親衛隊だけは勝手が違う。だからこそその異動には皆敏感になっている。
「……王都警備隊でいいのだがな……」
「えっ……あ、そっか」
 同期が笑うのをやめた。ユリアが何故士官学校に入ったのか知っているからこそ、ユリアの呟きを流すことが出来なかった。それに、その年の在学生はほとんど知っている。戦役で戦死したユリアの父が王都警備隊の一員だったことを。
「まあどうなろうとも、少なくとも言えるのは、まだ軍を辞める気はないということだな」
「そうだよな。あんたが軍人以外の仕事をしてるのなんて想像できやしない。おしゃれなカフェで給仕やってたら結構似合うかもだけど。もちろんメイドじゃないぞ、執事スタイルでやるとこ」
「……褒められている気は全くしないのだが、もしかしてからかっていないか?」
「とてもとても。ちなみにガンツ、故郷で喫茶店始めたって聞いたからさ、なんとなく連想してみた」
「ほう。彼の故郷はどこだったか、ボースか」
「ああ、ボース地方ロレント寄り。機会があったら行ってやりたいんだがなかなかな。今年も悪ガキぞろいで 手が掛かるったら」「そのあたりは自分たちも人のことは言えんな。因果応報というものだろう」
「あー、確かに。まあなんとかなるからいいさ」

 同期と別れてツァイス駐屯地までの道すがら、幾度溜息をついたかは知れない。部屋に戻れば現実が待っている。内々ではあるが通達がついにきた。
 正式通達ではないがほぼ同じ効力をもっている、一枚の小さな紙片。内達とはいえもう少しぐらい体裁を整えてくれてもいいだろうと思うが、目の前の大きな問題から逃げ出しているだけなのはわかっているので口には出さない。どうせ正式通達になると嫌気が差すぐらい豪華な書面になって封蝋までされて手元に届くのだから。
『ユリア・シュバルツ准尉へ通達。以下の日付より、王室親衛隊隊士へ転属を命じる。……』
 走り書きされたそれは親衛隊への切符であると同時に昇進。だがユリアは親衛隊に入りたいが為、士官学校へ行き軍に入ったわけではなかった。王都の警備隊として市街を巡回し、人々の暮らしをそっと守りたかっただけだ。一般兵になってもよかったのだが、他の地方よりもやはりグランセルが好きで、他地方へ転属せずにいられることを望んだ。
「いまなら断れる」
 ずっと願っていたのだ、父と同じ道を歩くことを。けれどちらつく、少女のこと。王城へ行けば必ず女王宮から出てきてユリアの後をついて回るクローディア。ユリアが他の地方で勤務をしていても、一週間に一度は必ず手紙を書いてくれる小さな王女。年の離れた妹がいる気分になる。向こうもユリアのことを姉として慕ってくれているのが、文面からも態度からも容易に見て取れた。
「……」
 紙切れを目の前に考え込む。こんな時、師がいればどう言っただろうか。けれどもうとっくに軍を辞めて久しい。それに自分のことを自分ひとりで決めることができるのだ。それを許されない軍の中にあり、己の意志で道を作れるということがどれほど素晴らしいものか実感し始めている。そう思い、とりあえず心行くまで悩むことにした。
「そろそろ……稽古の時間だ」
 心の平静を得るために始めた剣舞。師匠がツァイス市の郊外近くに住んでおり、駐屯地から近いので通いやすかった。ここの所ずっと不安定さを指摘されており、今稽古はあまり楽しくなかった。だがもうしばらくすれば行きたくとも行けなくなってしまうので重い腰を上げた。
 クローディアのことは決して嫌いではない。姉と慕ってくれるのも嬉しい。自分が顔を出すと「ユリアおねえちゃん」と満面の笑みで女王宮から走り出てくる様は微笑ましくてたまらない。けれど、クローディアはどこまで行ってもユリアが仕えるべき人間だった。そのラインを崩すことはユリアには出来ない。そんなユリアに対して失望し、離れていってしまうことが怖かった。誰にもそこまで告げたことはないが、彼女は小さな王女に見向きもされなくなることが怖かった。
 最初に卒業後すぐに親衛隊へといわれた時、まず頭に上ったのは「クローディアの我侭だ」だった。それはほとんど間違いではなかったようで、後にクローディアの強い希望があってといわれた時、自分の予想が当たったと思うと同時にそんな考え方をするようになった自分に嫌気がさした。
「他の地方を見て自分の見聞を広げたい」と親衛隊入りを断ったことで、一過性の熱なら収まるだろうと思っていた。そこで受けていればカノーネよりも早くトップにのし上がることになったのは瑣末な話で、同期がぼやいていたことぐらいしか覚えていない。
 けれど、各地方にいても手紙は来る、たまに贈り物も来る、王城へ行けば満面の笑みで喜んでくれる。女王やその係累、王城の中枢にいる人間たちもユリアのことを気に入っている様子がある。そんなことがここ数年積み重なり、王都に戻ったら警備隊以外ありえないと思っていたユリアも揺らぎ始めた。そしてまた再びやってきた親衛隊入りの話。今回は先のように口頭だけではなく、簡易ではあるが女王直筆で書面がきてしまった。

「……最近の貴女の動きは目が当てられない。一体どうしたの?」
 剣舞の師匠がユリアの顔を覗き込んでいた。考えていたのはクローディアのこと、親衛隊のこと。どこまで話していいものか、小さく謝るだけしか出来なかった。
「私は貴女の抱えている悩みはわからないけど、その悩みは舞に染み出している。少し話してみるのもいいかもしれないわよ」
 ゆったりとした独特のイントネーションでユリアに語りかけてくるのを聞けば自然と堅かった口も緩みがちになる。ぽつりぽつりと話し始めたユリアに、舞の師は口を挟まずただ頷くだけだった。
「……」
「……」
 話し声が途切れた。とっくに稽古時間は終わっているが師は何も言わない。ユリアは所々伏せてはいるが現状を伝えた。じっと黙ったまま動かす、夕暮れの影が長く伸びた頃に師が微笑んだ。
「少しはスッキリした? 他人に話すだけでも結構落ち着くものだけど。人に話をすることで、自分の中で整理しているというのが大きいって、昔どこかで聞いたわ」
「……師匠」
「私は貴女がどう決めるのかはわからないけど、貴女はもう道を選んでいるようだから。貴女はその信じる道を行けばいいのでは? そして疲れたなら少し戻ってくればいい。私はまだしばらくの間ここで稽古場を開いているつもりだから」
「ありがとうございます……」
 話しているうちに気がついた。確かにクローディアに拒絶されるのは怖いが、今この時、クローディアはユリアに拒絶されている。小さな王女のけなげな思いにきちんと答えを出していないこの状態が、一体どれだけクローディアを傷つけたことだろう。
「私は姫様を信じることが出来なかったのだ」
 好奇心と愛情一杯の瞳で自分を見上げてくる顔をみて、なぜそれを信じきることができなかったのか。悔やんでも仕方がないがまだきっと取り戻せる。
「師匠、本日はこれで失礼します。大変長い間ありがとうございました」
「やぁね、もう今日で稽古が終わりみたいな言い方しないで。まだまだ教え足りないんだから」
「もちろんです。ツァイス任期最後の日までお邪魔します」
「待ってるわ」
 戸口から見送られつつ駐屯地へと戻る。一番星が見え始めた夕暮れは慌しく行き交う人が多い。こういった人々を守りたいのは昔から変わらないのだが、親衛隊に入って女王やクローディアを守ることでもそれは果たせるのではないかと不意に思う。確かにその考えは魅力的だ。けれどまだ少し考える必要はあるなと小さく呟いて、雑踏の中に消えていった。


Ende.

 おとーさんの後を辿りたいユリアさんの頑なな心もいいのですが、それがもうちょっとだけ緩やかになってきた感じで。いつかクローゼが真の意味で大人になってユリアさんが必要にならなくなった時、そのとき体が動くならきっと王都警備隊に転属願いを出すんだろうなぁ、ウチのユリアさんなら。作中だとベッタリ感が否めないので、そういうのは早く必要でなくなって欲しいと願う。私的にはクローゼがユリアさんを必要としなくなる日は、絶対に来ないといけないと思ってます。クローゼはクローゼの道を行かないと駄目。でもどっちもベッタリだからなぁ。主従関係だとオリビエと少佐の関係の方が正しいし自分も好きだったりする。


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