アルセイユ





 広げられた図面を見ても正直なところ全くわからない。学校時代に戦艦の内部構造に関する授業はあったが、今目の前にあるものとは違う、旧式の船を使った授業だった。しばらく眉をひそめていたがそればかりでは話が進まないので図面を手に取る。古い古い記憶を引っ張り出して、どこか同じところでもないか捜してみることにした。
 十分後に挫折した。申し訳ないと思いながら担当技術官を呼び、一つ一つ説明をしてもらうことにした。
「忙しいところを申し訳ない。説明をお願いする」
「かしこまりました」
 まずざっと、全体の大きさとそのスペック。最高速度や装備品の火力、現状出ている問題などなど。次に各所の説明。一通り説明を聞くと、おぼろげながら全体像が見えてきた気がする。
「大丈夫ですか、中尉殿」
 頭を振っていると技術官が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫だ。普段と違う頭の使い方をしただけで、理解しきれていない、というほどではない」
 苦笑いをしながらユリアは返す。その言葉どおりで、新型の飛行艇とは言うものの従来のものと大幅に変わったわけではないのだから。ただ、飛行艇の図面を見たのが初めてで、それで面食らってしまったというのが正しい。
 親衛隊に飛行艇を導入しようというのはユリアが親衛隊に入った頃にすでにあった。だがまだ散発的に事故を起こしており、安定したデータが取れず伸ばし伸ばしになっていた。きっともうそれはない話なのだと親衛隊の誰もが思い、ご多分に漏れずユリアもその中にいた。だから、新型飛行艇の話が本格化し、その艦長になれと辞令がきた日には目を疑ったものだ。
「辞令はいいが肝心の艦がまだないというのだから笑える」
「ああ……それは……博士がヒートアップしてしまっているというのが一番です……」
「博士?」
「ご存知かもしれませんが、ツァイス中央工房特別名誉統括長、アルバート・ラッセル博士です」
「あのご老人か」
 国内最大の要塞がツァイスにある為かの地方にはよく出かけていく。ツァイスにいてラッセル博士の名を知らないのはもぐりだ。要塞にも幾度か顔を出しているようで、たまに姿を見かけることがある。子どもが子どものまま年をとればあんなふうになるのだろうという印象があり、実際話をするとその印象どおりな老人。苦労もたくさんあっただろうのに、悲観することもなくそのまま子どもの心をもちつづけることができた稀有な人間だ。
 その彼が新型のエンジンを開発していると聞き、安心は安心なのだが若干の不安もあった。とにかくこだわりがすごい為納期遅れは当たり前。説得に長けているものが数日間付きっ切りで言いくるめてようやく、不満げではあるが収まると言うほど。けれどそれだけのことはあるものを作り出す。常人とは思考の過程が全く違ってしまっているのだろうと、ラッセルの話を聞くたびにユリアは思うのだった。
 新型艦は工廠で鋭意建造中だという。場所を聞けばそれほど遠くない工廠、せっかくなので案内してもらうことにした。

「結局いつ出来上がるのだ?」
 リンデンバウム工廠は数多くの名鑑を作り上げることで有名な、リベール屈指の老舗工廠。専ら軍の仕事を請け負っているが、民間船も作っている。今までは実際に中に入る機会がなかったので、これ幸いとばかりに出かけてきたのはユリアの心の中にそっとしまわれている。広い敷地の中、奥へ奥へと歩き一番奥に作られた建物へ入ると、すぐに巨大な骨組みが目に入ってきた。小型挺であれば三隻は入るような、そんな広さ。高い天井からずっと丁寧に足場が組まれ、キャットウォークを恐れることなく技術者が闊歩している。少し圧倒されながらユリアは傍らの案内係に声をかけた。
「来年は陛下在位60年になります。そのときの祝祭に披露することになっておりますので、それより前にはできる、かと……」
 担当官の声が鈍る。こちらもラッセルには苦労を掛けられているのだろうなと肩を竦めた。
「艦の名は?」
「名……ですか?」
「自分が知っているのは新型艦ということのみ。名はつけられているのだろう?」
 漁船のような小さな船にも名はつけられている。民間も軍も変わらずそれは行われていた。なればこそ女王在位60年という記念に作られるこの艦に名がつけられていないはずはない。そして、何故自分なのかよくわからないが、この船を預かることになるのならば、名で呼んでやりたいと思う。
「実は……まだ付けられていないのです」
「……え?」
「こちらも名があるほうがやりやすくていいのですが、今のところ誰に聞いても『新造艦』であるということしか知りません」
 意外だ。けれど見せられた図面にも名は載っていなかった。どうしたものか。どうせそのうちに上から回ってきて決まるだろうが。
 工廠の中をぐるりと回る。あちこちで技術者たちが作業をしており、それの邪魔にならないよう後ろから様子を眺めた。
「おい、そんな溶接の仕方じゃダメだ! 『アルセイユ』が泣くぞ!」
「すんません親方」
 近くの二人のやりとりが不意に耳に入ってくる。内容はともかく、『アルセイユ』とはなんだろう。
「そこの二人」
 思わず声をかけてしまった。不機嫌そうに親方が後ろを振り返り固まる。弟子がそんな師匠の様子を不審に思って振り返った。そこには明らかに階級が上の、親衛隊士がいるではないか。
「ここっ、このような騒々しい場所に一体何事でしょうか!」
 親方がユリアに固い返事をした。
「そう緊張しないでくれ。今日来ることはどこにも通達を出していないから、そう固くなる必要はない」
 そう前置きして軽く肩を竦めた。ほんの少し、目の前にいる師弟の気配が緩む。
「そちらの人が言っていた、『アルセイユ』とはなんだ?」
「……」
「あちゃー……」
 師弟は目を見合わせて溜息をついた。どうしようと小声で相談をしていたが覚悟を決めたとばかりに師のほうがユリアに向き直った。
「俺ら……自分らが呼んでいる、コイツのことですよ」
 いいながら船体を軽く叩く。
「新造艦なんて言ってらんねぇし、名前があった方が俺ら……自分らも愛着が出ていいんだ。子どもそのものだし」
「……由来は? 何かあるのか? リベール風の響きではないが」
「俺……自分はよくしらねぇ。おいテメェなら知ってるんじゃないか?」
 隣の弟子に助けを求める。
「あ、あの……昔の英雄というか、女傑の名前なんです。誰だったかが、この仕事についた頃その手の劇をどこかで見たとか見ないとかそんなことを言って、そいつが呼び始めました。そしたら全員に広まって」
「全員? だが君は知らないと」
 隣に立っていた案内係の技術官に目をやる。
「そいつを責めないでやってください隊士殿。あくまで俺らが呼んでる非公式の名前だ。そのうちそっちから正式な名前が通達されるんでしょう? そしたらちゃんとそっちで呼びますんで」
 申し訳なさそうに師匠が口を挟んだ。そうか、と視線を船とその前にいる師弟に戻す。
「今、君たちが手がけているのはどのあたりになる?」
「そうですね、武器庫辺りになります。この辺に弾薬庫を作る予定です」
 歩きながら説明をしてもらう。頭の中に図面を思い描いてそれを聞くと、不思議なほど理解できた。あの時話だけを聞いていてもさっぱりわからなかったのに。
「入り口はこっち側になりますね」
 指し示された方向と弾薬や火薬、銃器の置き場所を思い描き、実際に歩いてみる。幾度か歩き、師弟と案内係の下へ戻ってきた。
「動線的にはできれば弾薬庫は入り口すぐにあった方がいいかもしれない。消耗品を最も手前におき、大型兵器などは最奥に入れていたほうがいい気もする。今のままでは有事に使い勝手が悪くなるかもしれんな」
「言われてみればそうですね。そういうときにはすぐ取り出せたほうがいい」
「まあ自分ひとりの意見だがな。もし、搬入や定期メンテナンスなどで考えた挙句のこの配置ならば構わないといえば構わないが」
「いや、やっぱそいつは本末転倒でしょう」
 師匠があごひげを撫で付けつつ言葉を続けた。
「この船は何の為の船かってーのが第一だ。武器弾薬積んでるだけの輸送船じゃない。敵を攻撃できる船ですしね。図面もう一回見直してみるのもアリだと思いますぜ」
 まだ棚すらも作りつけられていないのだ。まだまだ手を入れる余地はある。
「いいのか? さすがに自分ひとりの意見だけでは心許ないな……」
「なら近日中にお仲間連れてきてくださいよ。んで、みんなに実際この辺歩いてもらえばいい」
 技師の意見にそれもいいかもしれないと頷く。すぐにつれてこられる人間を頭の中で数え始めた。
「どうせなら一回りみてもらうほうがいいんじゃないですかね。今のところはメチャ忙しいわけでもないし、他の部署も俺らと似たり寄ったりでしょうから」
「おう、それがいい。実際使う人間に見てもらうのがいいだろう。おい、お前この人に同行しろ」
「いいんですかい親方」
「戻ってくるまでには全部元通りにしといてやる。そしたら最初からやり直しだ」
「えぇぇ、ひでぇなあ……」
 あんまりだと頭を振る弟子に心が和む。こういうやりとりを見るのは好きだ。
「では忙しいところ申し訳ないがお願いする」
「あいよ、じゃあもういっそ一番上の艦橋から行くかい? あんたがそこに用事があるかはしらねーけどさ」
「そうだな……まあ、お願いしよう」
「りょーかい」
 何かを言いかかる案内係を制してにやりと笑うユリア。今後はどうあれ、今の自分はこの艦にとって何者でもないのだ。それに内示だけで正式通達はまだきていない。今後、何かあって人選が一気に変更される可能性はまだまだある。そんなことを思いながら梯子を上ると、数人が何がしかの作業をしている空間に出た。
「この辺に艦長席置く予定だ。操作パネルは艦内に関する一通りができるようになってる。もちろん専用端末に比べりゃ落ちるけどな。来年に間に合うかはわかんねぇけど最悪、ここだけでも船の起動発進ができるようにするぜ」
「なるほど」
 説明を受けながら、まだ骨格しか出来ていない艦橋を歩く。足元も床の体裁を取っておらず、金属の筋交いが露出している。その上を器用に歩いていた。
「ちと歩きにくいが下の段も行くか? この辺には各専用端末置いて、通常時にはここが発進やら通信やらを受け持つことになる」
 お願いしてそれぞれの場所を実際歩きながら、どこに何の機能を持たせるか頭の中で考える。艦長席から等間隔にどの席も見えるようにしたいとは思う。
「ところでつかぬ事を尋ねるが、この船が実際稼動し始めた時、技術クルーはどこから連れてくるのだ?」
「ん? そりゃほとんどが俺たち……いや、自分たちから選び出される。今までの船と違って結構いろんな新技術使ってるから、最初から仕込まれてる奴らをそのままスライドして使うのが一番いい」
「……そうか」
 わかった、と軽く頷いた。


 後日、ユリアは数人の部下を伴ってまた工廠に来ていた。二度目ともなると技術者たちも驚きもせず、ユリアにそうしたように各場所を案内。部下たちも熱心に説明を書きとめている。
「しかし……数字だけを聞いているととんでもない船に思えるのですが、実際こうやって作っているところを見るとそれほど非常識な船ではないようですね」
 一通り説明された部下がユリアに囁く。
「そうだな。だがとんでもない船であることは確かだ。自分は出来上がるのが楽しみだぞ」
 笑い、部下たちもも釣られて笑う。以降ユリアは幾度かに分け、アルセイユに搭乗させようと思っている部下たちを送り込んでいった。艦橋メンバーは新しく部下外から選抜してくるのだが、そうでない部下たちの方が多い。自分の力が及ぶ限りはまずこの船を気に入ってもらいたいのだ。自分がそうであるように。
 同時にそれはなるべく連絡を大々的に入れないようにして行った。工廠にいる技術者がほぼそのままあの船のメンテナンスクルーになる。ならば素の彼らを知っておく方が後からゴタゴタが起こるより格段にいい。その時点で新型艦出向が向いていないと判断できる材料にもなる。ユリアにとっても、部下たちにとっても。
 そしてゆっくりと、非公式に『アルセイユ』の言葉が親衛隊士たちに広がり始めている。雑談に耳を傾けていると時折その名前が出てくるようになっていた。
「やりやがったな、新艦長」
 目の前に置かれている書類に目をやり、工廠の長は笑いに笑った。それは長らく棚上げになっていた新造艦の名前が決定したと言う通達で、『アルセイユ』とかかれている。
「何が? 自分は何もしていないぞ?」
 工廠長に通達書を持ってきたユリアはわざとらしく聞き返した。あの日に女傑アルセイユの伝説を調べ、すっかり気に入ったユリアにとってこの船は『アルセイユ』でしかない。だがこの船はまだ名もない新造艦。いずれ王室がふさわしい名をつけるに決まっている。けれど技術者たちはいとおしくその名を呼んだではないか。
「もはやどんなすばらしい名を言われてもあの船は『アルセイユ』だ。これを通すにはどうすればいいのか」
 そう考えてちょっとした賭けに出てみることにした。大雑把に言うと、艦船に乗り組む人間は二種類。技術職と軍人だ。うち技術職側はほぼ全員『アルセイユ』と呼んでいる。あとは自分の部下をどうにかすればいい。けれど表立って自分が言うわけには行かない。『アルセイユ』の名は非公式だ。今後別の名前になってしまえば技術者たちがどれほど言おうと別の名の船でしかない。非公式の名を、艦長になる身が率先して言うわけにはいかないのだ。だからユリアは部下を突然工廠に送った。自分の場合がそうだったように、きっとその名前を呼ぶ技術者が出てくるだろうから。
 もちろんこれが失敗すれば別の名前になるだろう。だが、技術者に加え、搭乗予定の軍人もその名で呼ぶのであれば。もしかしたら、上層も汲んでくれるのではないか。
「ちょっとした賭けをしていたくらいだがな。どうやら、勝ったようだ」
「賭け、ねぇ……こりゃ面白い船になりそうだ。船のスペック自体も面白いが、乗ってくる人間も含めて何もかも面白い。興味深く観察させてもらいたいから、ちょくちょく戻ってきてくれ」
「ここにか?」
 足を踏みしめると工廠長が笑う。
「観察できるようなペースで戻ってくるとなると、どこかまずい部分があるということになるではないか。そしてこうやってきっちりと仕事をしている技術クルーたちを見ているのだから軍人が悪いことになる。そしてそれを統括できない長が一番初めに首を切り落されるな」
「そこまで想像持っていかないでくれよ艦長さん。観察はともかくとしてここによく戻ってくることは望んじゃいない。これでも俺らはリンデンバウムの人間だ」
 他の人間にはわからない強い誇りがその名にある。ユリアは満足し、次いで気になったことを投げ返してみた。
「観察は望んでいるのか?」
「ま、その辺はご愛嬌」
 煙管に火を入れながら工廠長は窓から外を見た。今や名実共に『アルセイユ』となった船は、初めて見たときからずいぶんと様変わりをしてきている。外装も少しずつ行われ始めていた。
「これからはあの船が私の居場所になる。放り出されないように仲良くしなければ。頼んだよ、『アルセイユ』」
 いずれこの船と共に空を舞う。それが楽しみで仕方がないとばかりに微笑んだ。

Ende.

 55お題ですでにアルセイユのことについては少し書いているのですが、今度は建造中の話にしてみました。結局私があの船大好きなんだと思います。変な船だけど。
 先に呼んでしまってる名があるのに別の名前を付けてしまうと、実際には呼ばれていない名前になってしまう。なんかそれって悲しい感じがします。なのでもういっそ既成事実を作ってしまうという荒業に出てみたユリアさんでした。リンデンバウム工廠は何気に『Patriots』で一言だけ言及されています。菩提樹工廠。

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