周りは宴もたけなわ、思い思いに羽を伸ばしている。先ほどまで今後のことをミュラーと話していたが、そんな堅い話をするだなんてと上機嫌のオリビエが現れ連れて行ってしまった。まだ詰めたいことがあるにはある。
「が……オリビエ殿の言うことも一理ある……」
 今日はささやかながらも祝いの席。無事、あの事件を乗り切った人間を憩うための場。何も最後あの塔に突入した人間ばかりがこの場にいる資格をもっているわけではないのだから。
「私が固い話ばかりをしていると部下たちが休めぬ。申し訳ないことをした」
 心で謝りながら周りを見渡すと、先ほどまで緊張気味だった親衛隊士たちの表情が明らかに緩んでいる。ようやく落ち着いたと胸をなでおろしているものまでいた。
 他の面々に軽く挨拶をして、ついでに食べ物を小皿に取り分けているとティータが隣に立った。彼女の背にはほんの少しだけ台が高かったようで、一番奥の果物を取ろうとするのに一生懸命体を伸ばしている。係は別の人間に取り分けていたので、ユリアが代わりに果物を取った。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。もう少しだけ低ければよかったのにな」
「しかたないです……でも、まだ背は伸びてるんですよ。いつかユリア大尉さん、おいこしちゃいますから!」
「それはなによりだ」
 成長をするものを見るのは楽しい。ユリアも笑顔で応じた。
「あ、こっちのテーブルが静かで良さそうです! ユリア大尉さん、一緒に食べませんか?」
 頷いて人気の少ない方へ。木の下に据えられたテーブルには前の人間が飲食した後があったのでそれを少し片付け、ティータに場所を作ってやる。無言で片付けに現れた給仕に飲み物を頼む。
「……いい風だ」
「ほんとですね。湖にお星様の明かりが映っててきれい……」
 座った位置は他のテーブルが設置されている場所より少しばかり高い。そして眼前には夜の空と夜の湖が広がっている。
「えへへ、おいしい」
 頬にクリームをつけながら今度はケーキに満足している様子を見ると、ユリアの方も自然と表情が柔らかくなる。他愛無いが人はそんなところにも幸せを見つけ出せるものだと妙に感慨深く思った。
「そういえばユリア大尉さんも、空に憧れてたんですか?」
「ん?」
「あっちのエコーさんやルクスさんたちは、空にすっごく憧れてたって言ってました。ユリア大尉さんもそうなのかなーって思って」
「私は……」
 しばらく考えて、短く返す。
「空に対しての憧れは全くなかったよ」
 酒が効いたのか、ぽつりと目の前にいるティータに洩らした。
「そ、そうなんですか?」
 心底から驚いたと目を丸くしている。ユリアはそれに気がつかずにグラスの中身で口を湿らせた。
「わたし、てっきり小さいころから空があこがれだったのかと思っていました」
「皆そういう。が、実は違うのだ」
 まだ驚きが抜けきっていない少女に肩を竦めてみせる。
「その話は聞いたことがないですね」
 背後から落ち着いた声が聞こえてきて、振り返ったユリアは椅子から落ちそうになった。
「へ、陛下!」
「女王さま!」
 手にもっていたグラスをテーブルに叩きつけるように置き、椅子からおりて頭を下げる。
「そんなに慌てなくとも。わたくしも夜風に当たりたくなっただけですよ」
 こちらにお邪魔するわねとティータに礼をし、少女の隣の席に腰掛ける。どうしていいのか分からずにユリアは立っていたが、座らないのかという視線に従うことにした。
「今日は無礼講ということではありませんでしたか? まあ……ユリアさんにそこまで求めるのは酷というものかもしれませんが」
 機嫌よく女王は笑うがユリアはそれどころではない。少し酔いかかっていた頭が瞬時に醒めた。
「おいしいですか?」
「はい!」
 機嫌よくジュースを飲み干したティータは頷く。良かった、と小さく呟いてハンカチで顔の汚れを拭きとる。
「で、ユリア大尉さん。さっきの話の続きなんですが」
「え、ええと……」
 ティータの問いかけにどう答えようか迷う。
「わたくしも興味があります。ここは……そうですね、わたくしはこの子の祖母だということにしてみませんか?」
 片目を閉じ、きょとんとするティータの肩に手を置く。そんな無茶なと思えど、どうにもその様子が似合っていて段々力が抜けてきた。
「おばあちゃん?」
「はい、今日は貴女のおばあちゃんです」
 そんなやりとりまでされるものだから仕方がない。ティータはおばあちゃんおばあちゃんとアリシアの膝の上に乗っている。
「あまりたいしたことではないのですが、私自身は王都警備隊に行きたかったのです」
「そうなんですか」
「父が王都警備の副隊長だったもので」
「でもでも、ユリア大尉さんは士官学校出てるんですよね? なら王都警備じゃなくてもっといいところに行くつもりだったんじゃないですか?」
 首を傾げる。
「王都警備隊もエリートなのですよ。場所が場所だけに、お城の親衛隊の方が有名ですけれど」
 口篭もったユリアの代わりにアリシアが答えた。軽く頷くユリア。
「希望者には士官学校で学ぶことを許可しておりますし、王都警備の任についてからでも問題はない」
「へー……そうなんですか」
 『おばあちゃん』の説明に目をキラキラさせる少女。先ほど慌てておいたグラスを手に持ち、中身を飲み干す。
「親衛隊に入ったのは縁、としか言いようがないですね。別に全く後悔はしていません。王都警備隊にも同期はいるので、連絡を取り合っています」
 その縁の正体を知っているアリシアは少し複雑な表情をした。ちらりと孫娘がいる方をみて、またユリアに視線を戻す。
「では……なぜ任を引き受けたのですか? 内示の段階なら断れたはず。……そちらの方が離れてしまうのに」
「そうですね……それは私も考えました」
 クローゼの傍仕えをするのならばユリアは任を受けるべきではなかった。尋常ではない忙しさになるのは目に見えているし、当然ながら傍仕えをしつづけることは不可能になる。
「……」
 ユリアの沈黙にティータも真剣な表情になる。だが相変わらずアリシアの膝の上で果物を手に持ったままなので、あまり緊張感はない。アリシアは何も言わず、表情に出さずティータの頭をなでている。
 相変わらずこの方の本心だけは読めない。初めて声をかけてくださったときから変わらない。だからこそ女王でいられるのだろうけれど、と、ティータがもってきていた果物皿から一つ、切れ端を口の中に放り込んだ。見かけより甘くて、後で自分でも取り分けようと思う。
「……可能性を見たから、というのが一番かもしれません」
「かのうせい?」
「……」
「最初は、空を往くということは、戦争を早く終らせることでした。けれど、それだけじゃないですよね」
 観光でも物流でも、空という新たな方法を確立できたならば、またそこには繁栄が広がるのではないかと思った。
「君のように良い技術者たちも育ちつつあり、そのおかげで飛行技術も日進月歩。そして、自分たちの活動が民間に影響するのならば、いくらでもこの身を捧げてもいいと思って」
 少女に笑いかけた。アリシアの気配も一層柔らかくなった気がする。良く分かっていないティータはアリシアを見上げた。
「ユリアさんたち親衛隊の飛行部隊には、文字通り最新鋭の技術が惜しみなく投入されています。それはわかりますね?」
「はい」
「それは、民間にもそのうちに払い下げられる技術なのですが、それが使用に足るのかどうかも含めてまず軍で使っているのです」
「そうなんですか……」
「あぶなっかしい技術を民間で試すわけにはいかないからな」
 もちろんそれだけのものではない。きちんと現状を把握して足元から掬われないようにする為もある。
「実験をしただけの新技術の危なさは君もよく知っているだろう? 何が起こるかわからない。実際稼動させてみて初めて分かる欠陥もある。……我々はそれを理解した上で宣誓し、空を飛んでいる」
「……」
 ティータがアリシアの膝からおりてユリアにしがみ付いた。目に涙を溜めて何か言いたそうにするが、何もいうことなく抱きついたままだ。
「何、大きな事故はここ数年単位で起こっていない。今後もそうだろう。君たちが尽力してくれている」
「うん……うん」
 しばらくして顔を上げたティータに、先ほどユリアが食べた果物を渡す。
「まあ、そういうわけで最初は空に強く憧れはなかったのです。ただ、今後どうなるのだろうという興味から、そして自分のしていることが一般人たちに役立つと分かったから、私は辞令を受けました」
「人それぞれの思いがあっていいですね。大丈夫、貴女の選択はあの子にも分かっていますから」
 アリシアが立ちあがりながら耳打ちしてくる。一瞬体を固くしたが、アリシアの笑みにすぐ落ち着いた。
「殿下には申し訳なく思っています。けれど、それでも殿下を守ることには代わりがない……ですよね?」
「もちろん」
 深く頷いてアリシアは立ち去った。
「さて……」
 まだ泣きそうな顔で果物を食べているティータに目を落とす。
「どうした? 先ほどまでの元気は? 私を追い抜くのだろう?」
 茶化しながら頭をなでる。
「あのね……」
 何かを言いかかりながら黙った。
「ああ、何も言わなくていい。納得しているし、新しい技術に触れるのは楽しいものだ」
「……そう、ですか?」
「ああ。アルセイユには日々日日、いろんな技術によって進化していっている。艦長たるもの、その機構を把握していないわけにはいかない。……ただ、あまりに専門的過ぎて分からないこともある。だから……」
 一旦言葉を切って悪戯っぽく口角を上げた。
「私にいろいろ、おしえてくれないか?」
 
 その後、宴が終るまでティータの技術教室は続いた。何事かと聞きに来たアガットやオリビエは悪酔いしたのかその場に轟沈したり、それを引き摺って行くときに一悶着あったりしたが、ユリアは黙ってティータのおしゃべりに耳を傾けつづけた。もっとも、理解できたかどうかはユリアのみぞ知る。

Ende.

 ユリアさんはクローゼとの縁がなかったら親衛隊には入らないんじゃないかなーとなんとなく思っています。より人々とふれあいながら街を守る方を選びそうで。上昇志向はない人だし。だから、他のアルセイユ組がどうかはともかく、彼女自身に空に対する憧れってそんなにはないんじゃないかなーと。そこにある可能性に賭けてみてるよーな。
 実際の軍が技術の実験台みたいなことをしているかどうかは知りません。ただ、そういう側面もってたっていいじゃないかという、私の希望です。これはリベール軍と他国軍の関係によっても、軍事技術の扱い方が変わってくるんじゃないかなとは思います。気になったのでちょこっとだけ補足でした。


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