ごくりと息を飲みながらその牢の前に獄卒は立った。手にした鍵の束から一つを選び出すのもおぼつかない。
「もっと落ち着いてくれた方が、私としても落ち着いていけるよ」
 牢の中から声がかかる。
「あ、もうしわけ」
 謝ろうとする獄卒を手を上げて制した人物。
「必要はない。ここにいるのはただの囚人。それ以上でもそれ以下でもないから、そのように扱ってくれ」
「……」
 落ち着き払った声を聞いて獄卒は息を吸った。息を吐ききってから探し当てた鍵で牢を開く。
「……囚人番号213、アラン・リシャール。出ろ」
「承知いたしました」
 くたびれたシャツを着、幾分やつれた顔をしたリシャール。ついにきたか、と小さく呟いた。
「……判決が、でたのだね」
「……」
 獄卒は何も言わない。言う権限をもっていなかった。並ぶ牢の最奥から指定の場所へ連れ出すのみ。リシャールも答えを期待していたわけではないだろう。その証拠にそれ以降は何も言わず、獄卒の後をついてきていた。
「閣下!!」
 階段近くの牢から声が聞こえた。後ろで苦笑した気配がする。
「閣下!! 閣下!!」
「カノーネ君。私はもう何者でもないよ」
 穏やかに諭す。これくらいは構わないか? と目で問うてくるので頷く獄卒。
「君はここにいたのだね。私は一番奥にいたから気が付かなかったよ」
「閣下、行かないでください! 閣下の腕ならこんな獄卒などすぐなぎ倒せるはず!」
「カノーネ君。私は自分のしたことを理解しているつもりだ。それがどんな影響をこの国に与えたか。どんなに他の人に迷惑をかけたか。……例え、君の言うとおりにしても、ただそれは私が生涯の罪を背負って歩くだけだ。私はそれに耐える自信はない」
「……」
「もう会えないかもしれないから今伝えておこう。至らない私を支えてくれてありがとう、カノーネ君。君も元気で」
「!」
 息を飲んで、目には一杯の涙をたたえて。牢越しにかつての上司を見上げるカノーネ。頷き、そこから視線を外して待っていた獄卒のところへ。二人分の足音が階段を上がりきる頃、牢の中には嗚咽がこだましていた。

「……というようなこともありましたわね」
「そうだったかな」
 とぼけた表情で荷物を点検する男に頬が緩む。もう少し押してみたい気もするが、実際取り乱したのは自分の方なのでこれ以上はやめておこう、と空を仰いだ。
 結局リシャールに下った判決は、半年間の王都追放と、三年の軍による監視。加えて賠償金ということだった。どこに行くにも軍に申請が必要であり、国外へ出るときには一人監視をつけられる。わずらわしかったが、最悪を覚悟していたカノーネには僥倖だった。
 カノーネ自身にも半年の王都追放と監視はついているが一年。賠償金は全てリシャールが背負う形になった。
 王都に未練はないといえば嘘になるが、リシャールの故郷に行ってみるのも悪くはないな、と思う。許可を得、グランセルの自宅から荷物を取ってきたところだった。正門前には早朝の為か、ほとんど人はいない。
「構わないのかい?」
「ええ」
 少し不安そうに聞いてくるリシャールに微笑みかける。
「……これからもお世話になりそうだ。よろしく頼むよ」
「喜んで」
 こんなに屈託なく笑うのを見たのはいつ以来だろうか。自分が情報部に配属されてすぐの頃はこの人も笑っていた。けれどいつの頃からか、そんな笑い方を忘れてしまったかのように忙しくしていた。
 声をかけようにもかけられず、一言言ってみたくても言えないまま。やがて彼女もその状態に慣れる。ただ黙ってこの人に尽くそうと心に決めたのもその頃だった。いろいろなことが起こりすぎて自分でも忘れていたが、この笑顔をもう一度見るために何でもしようと思ったのだ。
 不意に抑えていた感情があふれ、糸を切って流れ出す。
「良かった……閣下……本当に」
 男を見上げる。困った顔をしていたが、しばらくするともう一度あの微笑を返してくれた。
「さあ、行こうか。まだこの時間では定期船は動いていないから、歩きになるのだが」
「構いませんわ。一緒に……歩きたいのです。……とは言え、監視役が来ていませんわね」
「確かに……居ないと私たちは一歩も動けないが……」
 辺りを見回してもそれらしき兵はいない。何をやっているのだか、と肩を竦める。そこに王城の方から声が聞こえてきた。
「やっと来ましたわ。一言文句を言ってやりましょうか……って」
「おや……」
 先程までのいい気分が飛んだ。一体何故こんなところに顔を出すというのだ。
「よかった! 間に、合った!」
 肩で息をしながら一気に走ってきたユリアが息を整える。
「な! なんで貴女がこんなところに来るの!? もしかして監視役って……」
 恐ろしい想像をめぐらせ血の気が引いた。
「違う違う。監視役は後から来る」
「じゃあ何故? おとなしく王城の警護をしていなさいな!」
 まだ残っていた涙を内心慌てて拭きつつ食って掛かる。
「何故、と言われると私もどう答えていいかわからないが……要するに見送りに来たのだ」
「結構ですわ!」
 まあまあ、と黙っていたリシャールがカノーネの肩に手を置く。
「落ち着きなさいカノーネ君。せっかく忙しい合間を縫って来てくれたのに」
「頼んでいませんことよ!」
「そういわれるとは思っていた」
 ユリアも慣れたもので、肩を竦めてリシャールに顔を向けた。その行動ですら腹立たしい。
「大佐……リシャール殿。長らくお疲れ様でした。自分としましても、リシャール殿には軍に残っていて欲しかったのですが……」
「それはもう言うべきではないことだ。私は今ここに立っている。そして、この道を行くしかない」
「……はっ」
 ユリアが敬礼をした。悔しいが朝日を浴びるその姿は凛々しいと、不機嫌になりながらもそんなことを考えていた。
「カノーネ。お前も行くのか。寂しくなる」
「心にもないことを言うものじゃなくてよ。せいせいしたのではなくて?」
「……」
 そっぽを向いているとユリアが利き手の手袋を外し始めた。そのままカノーネの目の前に差し出す。
「また会おう」
「!」
 あまりに簡単に利き腕を預けてくる目の前の女にあきれた。当の本人はニコニコと笑っている。
「ばっ……」
 馬鹿じゃないのかこの女は。思わず呆けた顔をしてしまう。相変わらずユリアはそれに気をとられずニコニコとしていた。
「……誰が会うものですか、こちらがせいせいしてよ」
 差し出されたままの手を握るのではなく叩きつけた。一瞬驚いた顔をしたがすぐに笑みをたたえる。
「判った。では会いに行こう」
「結構! ほら、貴女は早く城にもどりなさいよ! わたくしたちは忙しいんですの!」
 何を言っても堪えない相手は苦手だ。結局ユリアとは最初から最後までこんな感じで終わった気がする。
「すいません手間取りました!」
 一人の兵が考え込んでいるところに飛び込んできた。
「君が監視役かい?」
「はっ! お二人の行き先を確認せよと」
「判った。では、道中長くなるだろうがよろしくお願いする」
 リシャールが頭を下げ、監視役が恐縮したように手を上げる。ユリアをそこに残し三人は移動を始めた。正門が遠くなりはじめるころふと振り返れば、まだそこに青い軍装を見て取ることが出来た。なぜか、きっと居るだろうと確信していたことに気が付く。
「……フン。せいせいしたわ……」
 呟きを傍らを歩くリシャールが聞いたがカノーネは気が付かない。だから、男が小さく小さく肩を竦めたことにも気が付かなかった。

 リシャールの故郷ルーアンは王都育ちのカノーネにとって珍しい都市だった。町の真中を河が流れているということで多少不便なこともあるが、良く顔をだす雑貨屋で、刻々と品揃えが変わっていくのが楽しくてならない。
 しばらく何もせずただぼんやりと暮らしたが、情報部時代に培ったノウハウを活かしリサーチ会社を立ち上げることにした。もちろん軍の監視がついている彼らのこと、最初は依頼人の守秘義務もほぼ無視されるような状態だった。
 流石のリシャールもこれには怒り、ルーアンの駐屯地に乗り込んでいったことがある。詳しくは知らないが、仕事内容まで立ち入らないことと引き換えに軍の仕事も引き受けるよう条件を出された。
「気に食わないったらもう! ユリアのハヤブサが我が物顔で所長の肩に留まるだなんて!」
「まあそう怒らないでくれないか?」
 ジークが書簡を持って訪れるたびに繰り返されるやり取り。幾度目かのそれにリシャールが漏らした。
「……私がここにいるのは、シュバルツ大尉のおかげなんだよ」
「えっ!?」
 軍法会議にかけられた際、当事者としてユリアも出席していた。あらぬ嫌疑をかけられた親衛隊もれっきとしたリシャールの被害者である。だから最初はもちろん行ったことを淡々と指摘してきた。
「けれど、大尉は最後に私を庇ってくれた。辛い暮らしを強いた私を。愛国心が暴走し、行き場を求めて傷つけた相手を庇ってくれた。……それが私の減刑の、最大の理由だ。他にもこんな私に、嘆願書も来ていたそうだ……」
「……そんな……ユリア……」
 確かにおかしいのだ。あれほどのことをしでかして、確かに個人にしては莫大な賠償金は課せられているが、半年の王都追放や監視つきの生活などで許される罪ではないのだ。
「……大尉は会議が終わった後で言っていたよ。カノーネ君がつらいだろうから、と」
「!」
 馬鹿だ。あの女は絶対馬鹿だ。何故自分に対してそこまでできる? 考えても判らない。
「とりあえずこの書類を片付けてしまおうか。明日には依頼人がとりに来るはずだからね」
「……」
 ジークにご褒美をやっている様子を見てため息をそっと一つ。自分ばかりが肩肘を張っているのが馬鹿らしくなってきた。
「……何故肩肘など張ってしまっていたのかしら」
 あのいやみなほどの真っ直ぐさに意味のない反発をしていたのかもしれない。
「でも、売られた恩は返しに行かなくては」
 リシャールが減刑されたのは正直なところたまらなく嬉しい。そのお陰で現在があるのだから。だがそれはそれ、これはこれ。勝手に恩を売ってきたのだから、勝手に返しに行ってもいいだろう。
「ふふふ……どう慌てさせてやろうかしらね」
「何か言ったかい?」
「いいえ、なんでもありませんわ。ところで所長、今度一回休暇を頂けませんか」
 リシャールに微笑み返す。
「休暇? 構わないよ。いつだい?」
「そうですわね……もう少し、先になりますけれどね」
「?」
 怪訝な顔をする男に更に微笑みかける。そのまま、手にもっていた書類を奪い取った。
「ああやはり。ここ、収支計算が間違っていますわ。あとこちらの分析も少し意味が通りにくいかと」
 ここのところずっとかかりきりでまとめていた書類で、手を入れると他のところも全て手直ししかねない。それを判っているリシャールはカノーネの指摘に笑いが引きつってくる。
「相変わらずそういう点には容赦がないね。ははは……もう一回推敲しなおしか」
「大丈夫です。わたくしも精一杯、お手伝いいたしますわ……閣下」
 懐かしい呼称に目を上げてくる。応じて、片目を閉じた。


End.


 リクエストその9、SC後のリシャカノ。リシャカノというよりもユリア&カノーネ→リシャールが正しいかもしれません。なんだこの図式は。いかにして彼らは釈放されたのか。あれだけ軍を乱したんだから通常極刑でもおかしくないんですけどね。英伝の世界は優しいな。ただ、文章のみで表現しようとすると非常に難儀します、捏造に(笑)。この辺割り切るべきなのか大事に持っておくべきなのか。
 カノーネさんは、平時の状況分析に長けてるイメージで。有事の瞬発力はない感じです。だから情報部配属かなーと。直接武器を取って戦うことが少なそうですしね。
 それでは、リクエストしていただいてありがとうございました―。

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