「ちょいとたずねるが、うちの艦長しらねぇか?」
 エントランスで哨戒中の警備兵は突然作業員風の男に声をかけられ、不審そうな目を向ける。
「艦長と言われても」
 言いながら男の様子を眺める。いかにもといった職人技術者で、青いつなぎを着ている。その腕にはリベールの紋章と、自分より上の階級を示す線が入っていた。
「その紋章はアルセイユ……ああ、艦長って、シュバルツ大尉殿のことですね」
「そうだ。どこにいる?」
「今は詰め所に居られるかと。案内いたします」
「ありがてぇ」
 いまや全軍一の人気部署がアルセイユだ。そこの人間にもいろいろなんだな、と声を出さずに警備兵は歩き出した。

 コールは目的の人物が書類に埋もれているのを見て取るとまっすぐそこへ向かう。積まれている書類に腕を乗せ、笑いかけた。
「なんだ、機関長か。何かあったか?」
 ユリアも慣れたもので笑いながら声をかけてくる。
「大有りだ。試験飛行にまにあわねぇ」
「何?」
「博士だよ、博士。前より強いエンジン載せるってのは大賛成だが、火がつき過ぎちまっていじっていじってだ。この間博士が仮眠取ってる間にエンジン見たけど、俺らじゃわからん機構が付け足されてたよ。流石にそれは困るから外してもらったがな」
「仮眠……って、博士はアルセイユに寝泊りしているのか?」
「ああ。焼きつく一歩手前で降りてきたあの日から家に帰ってねぇよ。医務室を勝手に仮眠室にして。今は息子夫婦が戻ってるから、留守にしても構わんのだとさ」
 本人はいいかもしれないが、ラッセルがいると落ち着いて別の用事ができないのだ。かなり荒い人使いを思い出し、大げさにため息をついてみせる。
「……博士を説得しろ、と?」
「もう一つ。こっちもかなり深刻なんだが、とにかく人手が足りない」
「基地の他の兵や中央工房からは?」
「工房連中はあちこちでこわれちまったものを直したりしてる。特に、エア=レッテン取水口がぶっ壊れたとかで、ツァイスの一般兵どもまでもそっちにいっちまったんだ」
 ペンをもてあそびながらユリアは何事か考える。長考か、と思ったがすぐにコールに顔を向けた。
「よし、王城にいる部下をそちらへ回そう」
「ありがたい。何人ぐらい動かせる?」
「絶対に動かせないのが常に10人は欲しいが、他は動かせる。とりあえず30人ほどはすぐ連れて行ける」
 近くにいた部下を呼びその旨を伝える。
「自分も追ってレイストンへ行こう。それを片付けないと動けないのでな」
 ペンでコールが寄りかかっている書類を指す。
「そらーいつこっちに来られるかわかんねぇな。ま、せいぜい俺らで説得してみるさ」
 成功の保証はないがな、と笑いながら。

 にわかにドッグの入り口が騒がしくなった。騒いでいるということは手が止まっているということである。
「このクソ忙しいときに何してやがるんだ」
 装甲板を溶接していたコールは防護マスクを剥ぎ取りその場に投げ捨てた。周りの技術者たちはコールがかなり怒っていることにビクビクしている。こういうときは下手に手を出さない方がいい。本気でレンチで殴られることもしばしばだ。普段はそれなりだが、事が仕事の話になるととんでもなく厳しくなるのだ。
 簡易通路の鉄板がガンガンと音を立てている。外れて足でも踏み外しかねない勢いでコールは入り口に向かった。
「貴様ら! 手ぇ休めんじゃねぇ!!」
 コールの大声に蜘蛛の子を散らすように各々作業に戻っていった。フン、と鼻を鳴らしながらその様子を眺めていたが、動かない一団もいる。
「さっさとテメェの持ち場にもどれって言ってるだろうが!」
 これだけ言ってもわからない人間が部下にいるとは。頭に一発叩き込んでやろうか、と近寄ってみれば。
「相変わらずだな機関長。二等兵時代の訓練を思い出したよ」
「なんだ、艦長か」
 髪をかきあげにやりと笑ってくる。平気な顔をしているのはユリア一人で、近くに立っていたリオンは頭を振っているし、ユリアが王都から新たにつれてきた親衛隊士たちは半歩引いてしまった。
「いつもの調子で怒鳴り飛ばしちまった。すまねえ」
 言うほどすまないとは思っていないようで、落ちてきていた袖を捲り上げた。軍人といっても差し支えないようなたくましい腕と油の匂い。
「こっち来るって言ってくれりゃあよかったのに。そしたら迎えに出たんだがな」
「そんな暇など無いだろう? 一応基地には連絡は入れたのだが、機関長のところまで届くことはなかったようだな」
 アルセイユを見上げる。コールもつられて見上げた。
「艦長の部下結構役に立つぜ。潰しが利くのがいい。怒鳴られ慣れてるみたいだしな」
「その辺は想像に任せよう。役に立ってよかった」
「ついでに俺の部下も鍛えてくれ。その間借りるから」
 コールの言葉に付近の作業員たちが顔を見合わせる。ニヤニヤしながら作業を再開したのを見咎めた機関長は、やれやれと肩を回し、拳骨をそれぞれに喰らわせた。無言で仕事をしろ、の圧力を加えてまたユリアのところに戻ってくる。
「俺の目の前で手を休めるとはいい度胸だ」
「それでは見えないところで休んでいれば構わんように聞こえるが」
「背中に目はねぇから、そこまでは言いやしねぇよ。ただ、期限までに仕事が終わってなかったときには酷い目に会うのは知ってるはずだ」
 機関長の言うとおりだろう、彼の死角にいる位置の作業員も必死で働いている。
「そりゃアレだけの様子見せられたらなぁ……」
 ボソリとリオンがつぶやいたのを聞きつけ睨みつける。艦長お先に、と肩を竦めて持ち場に戻っていく様子が笑いを誘うが、ここで笑っては普段怒鳴り飛ばしている自分の立場が無い。かろうじて唇の端が震えるだけで済ませる。
「珍しいな、普段の軍装じゃないなんて」
「一応作業服ぐらい持っている。諸君と比べればまったく使われていない、新人そのものだが」
 ユリアはアルセイユ技術者が着ているようなつなぎを身に付けていた。言うとおり、解れも汚れもない綺麗なつなぎだ。けれども他の面々と違うのが肩章とその下にある紋章。肩章は大尉を示し、紋章は通常のアルセイユ章とは違う。
「初めてみた、艦長章」
「自分も見せるのは初めてだ。もっと気にかけておかないとならんな」
「まったくだ」
 付近の現場担当につれてこられた隊士の面倒を見るように指示を出し、ラッセルの作業場へ。
 外も大騒ぎだったが、機関室の中も大変なことになっている。鉄くずや工具、よくわからないコーティングのされた細かいチューブが足の踏み場も無いほどに散乱していた。ラッセル自身はエンジンに熱中しており周りのことをまったく気にかけていないようで、その実下手に一歩踏み出すと「そこには必要なものを置いている!」と飛んでくる。近寄ろうにも近寄れない。
「これは……一大事だ」
「だろ? ずっとコレだ。よくあの年で体力持つよ」
 部屋の入り口で二人腕組みをし考え込む。しばらくしてラッセルが一息ついたところを逃さず声をかけた。
「おお、ユリア大尉か。なにやら久しぶりじゃのう」
「ご無沙汰しております、博士。少し休憩されては?」
「……まあいいじゃろ」
 エンジンに未練があるのは声の調子だけでもわかる。ラッセルは振り返りつつ、上手く床のものを避けて入り口までやってきた。
「で、どのような状況です?」
「現在は艦長席で緊急発進可能な装置を付けておる」
「ほう……」
「操舵士のところには元からその装置はあるが、操舵士が動けない場合も往々にして考えられるからな。そういうものが分散してある方がいいだろう」
「冗談じゃない。機関士全滅状態ってことだろ? そいつが必要な時ってのは」
 コールが憮然とした顔で下唇を突き出す。
「そうとも限らんじゃろ? あって損のない話だと思うが」
「確かに」
「えっ」
 ユリアが頷いている。ちょっとまて、話が違うとコールは血の気が引いていく。口をぱくぱくさせている間にユリアとラッセルの話はどんどんと進み、艦内のラウンジにたどり着いたころにはユリアが完全に乗り気になってしまった。
 席につきながら改めてエンジンの状態を聞く。実験期間を入れればもう本当に日は無い。
「大体いけるじゃろ。艦長席と繋ぐ方法さえ見つければすぐだ」
「てこたぁ壁ぶち抜いて配線か? ちょっと待ってくれ博士。どれだけ時間かかると思ってるんだ」
「そうだな。もう日はない。起動装置をつけてくれるのはありがたいのだが、一旦作業を置いて今あるものを完成させる方がいいと思う」
「艦長……よかったよ、今すぐそこまでやれって言うのかと思ったぜ」
 肩を落としてほっと息を吐いた。
「残念じゃのう……途中で置いてたりしたら、本起動したときそこから焼きつきかねないんだが」
 付け加えられた言葉にユリアは飲み物を噴出しコールはカウンターに頭を打ち付けた。
「げほっ! いったい、こほっ! どういう……」
「どんな付け方なんだよ!?」
 頭を掻き毟りながら機関長が怒鳴る。にやりとラッセルが笑い、次いで説明が流れてきた。門外漢のユリアはともかく、コールにもわからないところが多々。発想が常人とは違っている。
「あー……つまりなんだ、温度調整用の冷却タンクを取っ払って起動装置つけてるってことだな?」
「簡単に言うとそうなる。必然的にタンクを小型化しなけりゃならんのだが、そのためにはエンジン自体の熱効率をよくしてやらんとならんから、そのあたりから始めたらすっかり時間を取られてしまったわい」
 呵々大笑を絵に描いたような様子で上機嫌なラッセルと、対照的にどんよりと暗いユリアとコール。
「エンジンの効率上昇は終わっとるからそうそう心配はいらんが、加工を頼んだタンクがまだできとらん。今日中とは言うておったが……」
「それを取り付けて一旦作業終了にすることはできんのか?」
「タンクとエンジンの配管の兼ね合いで起動装置をつけたいから、できれば同時に作業してやりたいんじゃがのう……で、せっかく装置がつくなら、艦長席までの配線もやりたいんじゃが……」
「……結局じいさんの我侭かよ」
 頭が痛い。けれど頑固なのは嫌というほど知っている。配線をやりたいといったらやりたいのだ。しばらく精一杯の説得を試みたものの、結局すべて徒労に終わってしまった。
「……配線か……」
「配線だ……」
「……配線なんじゃよなぁ」
 艦橋と機関室の距離を考えると気が滅入る。三人で頭を寄せ合い悩んでいると、外からコールに呼び出しがかかった。壁にある伝声管でなにやら指示を出す様をみて、ユリアがつぶやいた。
「……艦内放送は有線だったはず。この間の騒ぎであちこち断線したのだから」
「そうじゃが」
「それは直っているのですか?」
 コールが戻ってきて最初に直したと答える。どうせならそのとき壁を外していたのだから、と嘆いた。
「艦長席には機関室直通の回線がある。それを流用することは?」
「……出来ないことは無いな」
「導力伝達も、専用線じゃないから多少伝損するだろうが、それなりに通るのでは?」
「結局音声も操作も、導力信号には変わりないからのう。その案はいけるかもしれんの」
「だがよ、通信ができねえじゃねえか。艦長殿の美声が聞こえてこねぇのは機関室の士気に関わるぞ」
「冗談ばかり」
 少し頬を染める。それをみて、この人が艦長でよかったと突然強く思ってしまう。
「その辺はどうにかなるじゃろ。何も起動装置は常に使うもんじゃない。常は伝声、非常時に起動、それでいいんじゃないかね?」
 それくらいの改良ならすぐに終わる、とラッセルが片目を閉じた。
「決まり、だな」
「よかったよ、どうにかめどがつきそうで。……とかいいつつ、そのうち言い出すんだろ、それぞれ専用回線にしたいって」
 博士に向かって非難のまなざしを向けるコールだが当の本人は気がついていない。しばらく続けたが無駄だと悟った。
「……艦長? ああ、将軍閣下より通信が」
 エコーがユリアを探しに来た。それを受け、席を立ちながらラッセルとコールを見まわす。
「今より二日だ。やれるな?」
「ふ、ふ、ふ、二日ぁ!?」
「ユリア大尉、もう少し年寄りは労わってくれ……」
 不平不満の二人を後に、任せるとだけ言って出て行ってしまう。冗談じゃない。本気で冗談じゃないが艦長命令だ。
「船の状態をよく見てるし、わかってらっしゃるよ……確かに二日だ。確かにこの人数でなら二日で仕上がるが……」
 元々のコールの部下と、アルセイユ搭乗組と、最初にユリアに頼んだ増員と、今つれてきてもらった増員。レイストンのドッグは人と鉄くずで他の飛空艇の入る余地すらなく、外の訓練場に置く始末。
「中佐殿からもどけてくれないと訓練ができないとぼやかれてたしな。しゃーない、博士、やるか」
「そうじゃの」
 仕方ない、と気合を入れなおす様子を見ながら、一番怖いのはユリアだとしみじみ思うエコー。
「……あの艦長には、何者も勝てないのかもね」
 現に、不可能だと思えることを可能にし、尚且つ一瞬で気合を入れなおしてしまった。自分もたたき起こされたような気分だ、と持ち場に戻っていった。

End.


 リクエストその7、アルセイユ組の日常を、とのことでした。かなり最後の方まで書いた段階で、艦橋組がほとんどいないことにふと気がつきました(大笑)。何気に主人公はコール機関長です。……すいません、オリキャラ主人公に立てるほうが書きやすいんです……。
 魔法も、怪物も、その他不思議なことなんか全く起こらなくて、大事件らしい大事件も起こらなくて、連綿と続く軽い浮き沈みな、そんな日常を書くのが好きなのですが、そういう方が私には難しいです。もっと精進ですね。もっと上手い人は、大事件なくても引き込むような日常をえがけるわけで……タメイキ。今回はSC後のアルセイユ大修理ですが、普段もこんな感じで。ユリアさん怖すぎる(笑)。
 それでは、リクエストしていただいてありがとうございました―。

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