父は優しかった。後々で聞けば王都警備隊で、鬼の副隊長と呼ばれていたと聞くが、ユリアの前では全然そんなそぶりは見せず、ただ優しかった。

 素敵な女性になるんだぞ

 父はよくユリアの頭に大きな手を乗せ、つぶやいた。その大きな手は好きだったが、つぶやきは嫌いだった。

 母さんのように

 母のことは知らない。もともと体はそれほど強いほうではなかったらしく、ユリアを生んでから体調を崩して二年後に亡くなった。母の声も、母の顔も、母の性格も覚えていない。ただ一つ覚えているのがぬくもり。自分に残る記憶をたどると必ず行き着く暖かさがある。父とは違うそれをもっと幼いときに探し求めて、わんわん泣いたこともあった。
「お母さん、どんな人なんだろう」
 簡単な朝食を済ませて、そのままテーブルに頬杖をつく。雇われているハウスキーパーが食器を下げにやってきた。
「お母さんかい? それはそれはたおやかで、おしとやかな方だったよ」
 母の親類になるというこの中年女は、母が死んでから午前と夕方に顔を出す。まだ子どものユリアには家のことは無理だろうと、父がお願いしたらしい。
「ギゼラさん、もっと聞かせて」
「かまわないよ。でもね、このお皿を片付けてからね」

 ギゼラに掃除をするからといわれ、いつものように外に出た。薄曇の今日は少しだけ肌寒く感じる。家の前の階段に腰をおろして、ギゼラから聞いたことを思い返す。
 総合すれば、母はしとやかな、けれど一本芯の通った人だ、ということになる。芯が通った、というのがどういうことを指すのかはよくわからないが。
「……私とは、全然違う」
 近くの悪ガキたちのいたずらを懲らしめること数度。もっとずっと年上の、性質の悪いごろつきたちに一人で立ち向かっていったこと。そのときにはすぐに大人がきてくれたので、大して酷いことにはならなかった。湖に落ちた友達のブローチを、まだ寒いのにもぐって探しに行ったこともあった。
 そんな武勇伝が数多くあるユリアは近所でかなり有名だった。時には見回りにきた父の部下たちにまで揶揄される始末。考えるより先に体が動く。それに、動いていけるだけの体力があった。そして、自分は、おとなしいとか、たおやかとか、そういった形容詞には無縁であることはわかっている。
「お父さんに言われても、ね……」
 頬を膨らませては息を吐くことを繰り返していたら、近所の友人が誘いにきた。
「どうしたの?」
「わすれちゃった? 大通りで、パレードがあるって言ってたの、ユリアだよ」
「あ!」
 そうだった、と急いで立ち上がる。父親から聞いたのだ。王都にいる兵がパレードをするのだとか。リベール軍創立何年とか言っていたが、そこまでは覚えていない。先程まで考えて込んでいたことを忘れて、パレードルートまでの道を駆け出した。

 もう通りは人が集まってきていた。一番いい場所はとっくに取られている。
「ごめん、もうちょっと早く出ればよかったね」
「どんなに早く出ても、きっといっぱいだったと思うよ。あ、あそこもぐりこめるかも!」
 走る間に合流した仲間たちと、もぐりこめそうな隙間を見つけてははじき出されることを繰り返して、ようやく最前列を陣取ることに成功した。
「ふー、いつ頃はじまるのかな」
「十時の鐘にあわせてお城からスタートって聞いたよ。あ、すごい、あんなとこから見てる人がいる」
 言われるままに上を見上げると、街灯に数人がよじ登っているではないか。周りを見ると、あちらこちらの街灯に人がしがみついている。建物の窓からも、下手をしたら落ちるんじゃないかと思うほど身を乗り出している人たちが居た。
「危ないね。あれ」
 ユリアがつぶやくと、隣にいた少女もそうだね、と同意する。と、思っていたら、兵隊たちがやってきた。なんとなくそれを見ていると、街灯に登っている人間に降りるように言っているようだ。
「……あ……お父さん……」
 何回か、仕事中の父の姿を見たことはあるが、厳しい声を出しているのを見たのは初めてだ。父のもう一つの姿を見たような気がしてなんとなく胸が痛い。
 浮かれていた気分が飛び、家の前で考えていたことを思い出す。遠くで楽隊の音。観客たちが浮き足立つ中、友人に袖を引かれるまで足元の石畳を眺めていた。
「ほらもうユリア! しっかりしなよ!」
「あ、うん……」
 先頭には旗を持った兵がいる。大きな大きな旗で、小さな子どもだと包めてしまいそうだ。リベールの紋章が刺繍され、風になびいている。それが地面につかないようにと旗手は半ば反り返るようにして歩く。
 ルートとしては、王城から出てから西へ曲がり、大聖堂、港を経て中央通へ。そこから今度は東街区へ行き、アリーナで一旦終点となる。アリーナで式典を行ってから、帝国大使館前をまたパレードして王城まで戻って終わり。そしてユリアたちは共和国大使館前にいた。
「うわぁ……」
 旗手の後には銃をまっすぐとささげ持つ兵が四人、並んで歩いている。一般的な王国兵の軍装で、その後も同じような兵が続いていた。集団が行き過ぎて、しばらく待つと次の集団が見える。今度は白いセーラーの集団。
「港にいる兵隊さんだねぇ」
 ユリアの隣に立っていた女が漏らす。確かに、と頷きながら通り過ぎていく海兵たちを眺めた。父親はいい顔はしないが、港でよく行き交う船を見ているのだ。自然、海兵たちとも顔なじみになる。見知った兵を見つけてなんとなくうれしくなった。
 その集団も見送り、ふと正面のデパートの様子を見る。セールの横断幕が垂れ下がっていた。誰が掛けたのか知らないが、今にも取れそうな楔が気になった。
「……」
 もちろんその下にはたくさんの観客がいる。声をあげてみても、周りの音が大きくて届かない。近くの友人ですら単に歓声を上げているだけだと思っているようだ。渡ろうにも目の前は兵たちが行進している。
「どれくらいで終わるかわかんないけど……もう大分終わったよね」
 このまま何事もなく過ぎていけば問題は無い。そう言い聞かせてパレードに集中しようとするが、どうしても視線がそこへ向かっていってしまう。
「ねえ、どこ見てるの?」
「うん……あれが……」
「ん? 見えないよ。それよりもパレード見ようよ!」
「……うん」
 服の端を引かれても生返事。そんなユリアにあきれたか、友人はすぐさまにぎやかな楽隊が通り過ぎていく様に見入ってしまう。とにかく、何事もなければいいと思うばかりだ。
「!」
 けれど、そんな望みもはかなく、強い風が吹いた。先程からぐらぐらしている楔を強く揺らしている。
「早く止んで……」
 その願いむなしく風は強く吹き荒れ、あたりがちょっとした混乱状態になった。流石に行進中の兵たちは隊列を崩さないようにしているが、表情は少し不安であったり砂が入ったか片目を閉じていたりする。ユリアは髪が逆立つのもほうっておいて、立ち入らないように張られているロープを握り締め、飛び出しそうな勢いで身を乗り出した。と。
「あれ、気になるよね」
 と少女に向けられた視線と共に声が聞こえた。あたりを見回せば、一番近い位置の兵が頷いた。かと思えば、そのまま列から離れて、気になっていた楔の下へ行ってしまう。行進は止まり、あたりもその兵の行動を注視した。
「……危ないのでこのあたりから少しはなれて……そう」
 人を誘導し、楔の真下に小さな空間を作り上げてしまう。その直後に、楔が横断幕と共に落下してきた。ざわめきが走り、居なくてよかったという声があちこちから聞こえてきた。
「これでよし。じゃあね」
 止まったままだった隊列に戻ってきて、ユリアに手を振って、同僚に後ろからどやしつけられながら行ってしまった。
「あのひと、よくあんなのに気が付いたよねー」
「ほんとほんと。でもさ、怒られるんじゃない? パレード止まっちゃったし」
「でも、みんな怪我しなくてよかったね……」
 ユリアのつぶやきにそうだね、と同意をし、また仲間たちはパレードの続きを眺める。ユリアは行ってしまった兵の方をずっと眺めていた。


「ねえお父さん。この間のパレードの時、ちょっと止まってなかった? 最後のほう」
 数日後、家に戻ってきた父親に聞いてみる。あのときの兵がどうなったのか。
「なんだ、来ていたのか。そういえば一時止まっていたな……なんだっけか、横断幕が落ちたんだな、確か」
「兵隊さんが気が付いた、って聞いたけど……」
「ああ。相当に目ざといヤツなんだろうな。あとで酷く怒られたらしいが」
「……怒られちゃったの?」
「そりゃそうだ」
 柔軟体操をしていた父親は立ち上がり、椅子に座っているユリアの頭をなでる。
「軍っていうのはそういうもんだよユリア。特に、あの兵は親衛隊だったからな。将軍の大目玉はもちろん、親衛隊大隊長からも譴責を喰らったとか喰らわないとか」
「……親衛隊?」
「気が付かなかったか? 青かっただろう、軍装」
「あ……」
 そういえば、見慣れている緑の軍装ではなかった。
「父さんも一時はあの青い軍装にあこがれたんだが、女王陛下やそのご家族の周りをお守りする重責には耐えられそうにないからあきらめた」
 肩をすくめて手を引っ込める。だがユリアはそれが嘘だということを知っている。父であれば耐えられたはずなのだ。昨年亡くなった祖父も期待していたらしい。けれど父は出向の話を断り、王都警備の任を選んだ。親衛隊に入ってしまうと家に戻れる回数は激減する。王都警備であれば、家には戻れなくとも、巡回ルートに病弱な妻のいる家、今は一人娘がいる家を選べる。亡くなる直前に祖父がそっと教えてくれた事実。
「そうなんだ……」
「そういうこと。そろそろ寝るか。明日はどこかへ行くか?」
「……うん!」

 ユリアが士官学校への入学を決めたのはそれからしばらくたってからのことである。母のようにはなれない。なれないなら別の道を歩こう。父に士官学校に合格したことを伝えると、ただ黙って微笑み、そして娘の頭をなでた。
「父さん……」
「俺は下士官だからな。今のうちにおまえの頭を精一杯なでておくよ」
 そして続けられた言葉に目を見開く。
「実は母さんも、士官学校に合格した人だったんだ。血は争えないものなんだな」
「えっ!」
「合格直後に体を悪くして、療養することになったんだ。実は、まあ、その試験の時に会場をたまたま見回りをしていたのが俺で、母さんと知り合ったんだが……」
「でもギゼラさんが……」
「士官学校を受けたことは家族には秘密だったそうだよ。だから、後から母さんの家族に会ったときに、みんな口をそろえておしとやかだというからね。真実を言おうとしたらこっそり足を踏まれるし。まあ、そういう母さんだったからよかったんだが」
 照れて頬を掻く様子がまるで少年のようだ。
「とにかく、入ったからには弱音を吐くなよ。おまえが思っているよりも厳しいぞ、軍隊は」
「うん……うん、わかった。がんばる」
 そうやって、父の手はユリアの頭から離れていったのだった。

End


 リクエストその2、子どものころのユリアさんのお話。毎度毎度捏造大好きです(待て)。お母さんが早世したというのは……どこかに出してたっけか? いや、某年齢制限ページでは出してたのは覚えありですが、年齢無制限のところで。ずいぶん昔から父親は百日戦役で、母親は早世というのがユリアさんのご両親のイメージです。
 私の書くユリアさんはやたらに少佐に不意打ちを掛ける人ですが、お母さんが人を驚かせるのが好きだった模様です、どうやら(笑)。意図的に書いたわけじゃなくてそうなってしまっただけなんですが……。それでは、リクエストしていただいてありがとうございました!

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