細い体が宙を舞う。一呼吸置いて、端に積み上げられていた土嚢の上に落ちた。袋が破れ、中から細かな土がもうもうと湧き出す。ゲホゲホと咳き込みながら土ぼこりから這い出してきたのはエステル。普段は綺麗にツインテールにしている髪はひとつに束ねられ、邪魔にならないようにまとめられている。
「あーっ、もうっ!!」
 埃のこないところまで這い、そこでおもむろに仰向けになった。つぶれて邪魔なまとめ髪を解きつつ。
「負け、負け! ほんとに気持ちよく負けちゃった!!」
 顔だけを先程自分が立っていたところに向ける。そこには動きやすい姿のミュラーが立っていた。
「しかし身のこなしは流石だ。今も、俺の打ち込みを流すほうに飛んだだろう」
「勢い余ってつっこんじゃったけど。あとで直しておくね」
「構わん、部下にさせる」
 エステルが全身で息を整えているのに対し、ミュラーのほうはさほど息があがったようには見えない。
「父さんには四回に一回くらいは打ち込めるのに、ミュラーさんには全然打ち込めなかったよ……もしかして父さんより上なんじゃないの?」
「まさか」
 肩を鳴らしながら男が続ける。
「君は多少なりとも彼の癖を知っているだろう。こういうときには右によけるといったような。頭で理解しなくても体は覚える。おそらくそういうことだ」
「そうかなぁ」
 疑問系のエステルに苦笑する男。
「それはそうだろう。俺は君と手合わせするのは初めてだからな。もちろん君の動きに驚かされる場面もあった」
「でもそれを全部受けられたんだから意味がないよ。ううう、悔しい!」
 悔しいとは言うものの、気分はすっきりしている。ここまで完敗したのも久しぶりだ。
「俺では剣聖には適わない。せめて一筋の傷でもつけられれば、といったところだ」
「そこまでミュラーさんが言うならそうなのかもしれないけど……そうなるともしかしたら父さん手加減してたのかもしれない! 今度会ったらとっちめてやる」
 憤慨していると視界が暗くなった。見回すとヨシュアが立っている。
「ほらエステル、あっちで横になりなよ。マット貸してもらったから」
 微笑まれて手を出してくる。おとなしくマットのところへ行くとオリビエがニコニコしている。大抵ニコニコしているのだが、エステルはこの笑みを見るといつも不安にさせられた。
「なによ」
「なんでもないさ。ほほえましいなぁってだけ」
「アンタの場合それだけじゃない感じもするんだけど」
 そんな二人を置いてヨシュアは練武場に向かう。
「ミュラーさん、次は僕の相手をしてください」
「……連戦、か。それもまた悪くないな」
 いつの間にやら戦闘雰囲気漂う練武場。じゃれあっていたエステルとオリビエはそのひんやりした空気に止まる。
「……ヨシュア」
「ヨシュア君……」
 間髪おかずに始まる金属音。そこかしこで鳴るがエステルにはその残像を捕らえるのみ。残像も、あるときはヨシュアが優勢であり、あるときはミュラーが追い詰めて、と一つとして同じものは無かった。
「なんなのよこの状態は……」
 わけわかんないじゃない、とぶつぶつ言っていると、オリビエが肩をつついてくる。
「何」
「ええと……ボクには彼らがどこにどう移動しているのかわからないんだが、何事なんだね」
「あたしに聞かないでよ。よくわからないんだから。やっぱり違うなあ」
「……エステル君は、人を斬ったことがあるかい?」
 唐突な質問に振り向く。
「斬る……って……要は、本気で得物を人に向けたことがあるか、ってこと?」
「そうだね」
「そりゃあるわよ。というか、あんただって一緒にいたじゃない」
「……じゃ、も一つ質問。人を殺すために、得物を向けたことは?」
「えっ」
 言葉が詰まる。考えてみれば、人を叩きのめしたことは幾度もあるが、「殺した」となれば。
「……ない」
「ああ、じゃあ、きっとそれなんだ」
「そう……なんだろね」
 自分とヨシュアの決定的な違いはそれだ。とはいえ今後も殺したいなどとは微塵も思わない。
「ん? てことはミュラーさんは……」
「エステル君、彼をなんだと思っているんだい? 年中どこかで戦争をしてる帝国軍の兵だよ。あの腕は常軌を逸した戦場を通り抜けてきたのと、ボクのおかげで培われたんだ」
「あんまり余計なこと言ってるとまた怒られるわよ」
 あきれてエステルが頭を振ったときに決着はついた。ヨシュアの持つ模擬剣は普段得物として使う双剣。利き手に握られていたはずのそれは少しはなれたところに落ちている。が、逆の手で相手の胴に刃を当てていた。ミュラーはミュラーで自分の模擬剣をヨシュア首筋に置いている。今にも袈裟切りにしかねない。
「……俺も年を取ったか」
 ニヤリとして剣を引く。
「本気だったのに……」
 薄く口元に笑みを浮かべて落ちていた片割れの剣を取る。そんな二人にオリビエとエステルは惜しみない拍手を送った。

 帝都から出た街道筋に小さな宿がある。ホテルというほど大きくはなく、家族でやっているような小さい宿。そこに二人は宿を求めた。
「よかったね、部屋があって。帝都のホテル、いっぱいなんて思わなかった」
「今は商人たちが多くなるんだ。北のほうからの特産品が流れ出すから。それを買い付けにくるんだね」
「ふぅん。どういうもの?」
「果物。ラヴェンナに匹敵するかな」
「ちょっと興味湧いてきちゃった。余裕があったら買おうっと」
 にこりと笑うエステルにつられて笑う少年。けれど、その表情がすぐなくなる。帝都に長居はしたくなかったしね、という小さな小さな呟きは聞こえなかったことにした。
「……そんなにお客さんが多い時期なのにこの宿、ほとんど帝都から離れてない割にガラガラだったね」
 ヨシュアの無表情に気がつかない振りをしてつぶやく。
「ここ、結構わかりにくいところだからじゃないかな。聞いてみたけど、宣伝もほとんどしてないって」
「それでよくやっていけるわね……」
 のびをしつつ、ベッドに勢いよく倒れ込む。
「結構自給自足でいってるみたいだし。裏に畑が見えたよ」
 ゆれが収まったころにヨシュアが端に腰掛けた。しばらくどちらも無言だったが、やがてエステルが起き上がる。そっとベッドの上を移動し、ヨシュアと背中合わせで座った。ヨシュアは少し驚いたようだが何も言わない。また、静寂。
 窓から入る光が少し奥まで届くようになったころ、エステルがぽつりとつぶやいた。
「あたし……もっと強くならなくちゃ、だね」
「どうしたの?」
「んー。今日さ、ヨシュアとミュラーさんが練武してるの見て、ちょっと反省」
「……」
 窓から見える空に視線を送りつつため息を一つ。と、背中からも大きなため息が聞こえてきた。
「あのさ、エステル」
 若干の険しさが乗っていることに気が付く。
「みんながみんな、同じにならなくていいんだ。君には君の、僕には僕の戦い方がある。僕としてはそのままでいてくれた方がいいんだけど」
「そ、そう?」
 ヨシュアの言葉に顔が熱くなるのがわかる。
「うん。きっとオリビエさんに何か言われたんだろうけど、エステルはエステルのままでいて。僕はそれでいいから」
 ヨシュアの言葉に、うれしいやら恥ずかしいやらで複雑な気分だ。
「エステルの戦い方は見ていて気持ちがいいよ。そうだね……スポーツみたいな感じかな。ミュラーさんと手合わせしてるのをみて、つくづくそう思ったし。戦うことを楽しんでる」
 確かにそうかもしれないと思う。勝ち負けはどうでもいいときが多い。もちろん負けられないものを背負っているときはあるが。
「僕はもちろん、多分ミュラーさんもオリビエさんも、そういう戦い方はできないんだ。往々にしてそういう戦い方は、相手をより深く傷つけるときが多い」
 顔は見えないが、声の調子が少しつらそうだ。そっと少女は頭を動かし、少年の背中にそれを預けた。
「本当は今日、僕は手合わせしてもらうつもりじゃなかったんだ。けどね、エステルがとても気持ちよく戦ってるから、僕にもやれるかな、と思った部分があって。結局、そこからは抜けられなかったんだけど。得物を持つことがつらいときもある」
「ヨシュア……」
 ほんのわずかに震えている肩に手を置く。と、ヨシュアが軽く笑った。
「だからこそ、君は今のままでいいんだ。僕が変わるためのきっかけだから」
 瞬間的に頭に血が上るエステル。気がつかれないように細く長く息を吐いて、必要以上に明るく言った。
「け、けどさ、やっぱり強くなりたいじゃない? 純粋に二人が戦ってるのを見て、格好いいって思ったもん」
「そうかな。僕はいつもと同じようにしてただけなんだけど」
「だからぁ!」
 急に立ち上がったのでヨシュアがバランスを崩す。あっけに取られ、視線を送ってくる様子を視界の端で見ながらベッドの上で仁王立ちをする。
「……ヨシュアばっかり格好よくなって、あたし置いてけぼりになっちゃう……」
 そっぽを向き、短くつぶやく。しばらく中途半端な態勢のまま黙って少女を見上げていたヨシュア。
「もう置いていかないよ。あんなのはこりごりだ」
 まっすぐ起き上がってエステルを見つめてくる。その金色の目には悔恨が見えた。
「……ん」
 急に力が抜け、その場に座り込んでしまう。
「まったく……絶対自分が何を言ってるか、わかってないでしょ……」
 前々からその傾向があったのは知っている。むしろ、わかっていてここぞという場面で言っているのかと疑ったこともある。が、恐ろしいことにこれが素なのだ。毎回、エステルが何も言い返せなくなって、口の中でもごもごと文句をつぶやいて終わりになるのが常で、今回もそういうところに落ち着いてしまった。
「ところで、散歩に行ってみない? 外が気持ちよさそうだ。日暮れにはまだ余裕があるし、そんなに人もいないんじゃないかな。それに先に言ってた果物、見つかるかも知れないよ」
「あ、うん! 賛成!」
 二人で額をつけ、笑うのだった。


End


 リクエストその1、その後のヨシュエス。個人的に初ヨシュエスで、なんかもうキャラきっと変わってる(笑)。『Never say Good-bye』と微妙なリンクがあったり無かったり。というか甘くないし。彼らの未来というか、やっぱり二人で切磋琢磨しながら旅を続けているイメージが一番強いんですね。その過程で子を成したりするのかもしれませんが、現状ではこれが、私のイメージする彼らの未来です。リクエストしてくださったのと大幅に違うかもしれませんが(苦笑)。その割に部屋は一つなあたりが(以下略)。
 少大もあっていいですよー、というとてもありがたいお言葉も一緒にいただいたのですが、まず間違いなくそっちにウェイト行きそうだったのでやめました(苦笑)。こんなものしか書けませんでしたが、ひと時でも楽しんでいただければ幸いです。リクエスト、ありがとうございました!

戻るです