「……ここは」
「どこ、なんでしょうね……」
 つい先ほどまでは極寒の地だった。じっとしていれば寒さで身が切れるソンツァルナ。ボリアスの民ですら近付かない、隠された墓のような静かが在る場所。
 それが今やどうだ、この蒼穹は。空気も、拠点などに比べれば冷たいのであろうが先ほどまでいた場所に比べれば格段に暖かい。
 なにより、場所全体に漂う異なるもの。見知ったようでいて違う。これこそ「誰も知らなかった」もの。
「……とりあえず、帰りませんかエミリオさん。多分、今まで戦ってたとか、そういう何かの片手間にどうこうなるような規模じゃないような気がしてます」
「そう、ですね……でも、ここは。きっと、もしかしたら」
 ステラは呆然としつつも辺りを見回すエミリオの後をとる。
「ええ、きっと、いわゆる「理想郷」なんでしょうね……」


「……流れはわかった。引き続き調査は頼む。しかし……」
 ガーディアンからの報告を聞き、ギルド長は頭を掻きながら複雑な表情をする。
 かつて英雄が求め、今なお人々が求めてこの島にやってきたその原動力。これが見つかったということで拠点は蜂の巣をつついたような騒ぎである。
 ただ、その「発見」者であるステラとエミリオはそれほど喧噪に巻き込まれることはなく日々の用事をそれぞれしながら暮らしている。
「きっとギルドが守ってくれてる」
 忙しく立ち働くギルド長やガーディアンたちを見ながらステラはそんなことを思う。きっと、開拓者が見つけた事は知られていても、その個人名までは知られていないのだろう。騒がれるのは苦手なのでありがたいと心底から思う。
「ギルド長、何かわかりましたか?」
「いや……とにかく文献などを各部族に当たってもらっているがまだこれといった情報は出てこない」
 そういいながらギルド長はじっとステラをみた。
「……構わないか?」
「いいですよ」
 問いかけに即答したステラに軽く目を見張る。ステラの方は、近くに買い物にでも行くような態度を崩さない。
「……聞かないのか」
「必要なんかないと思いましたから」
「ふっ」
「多分エミリオさんも二つ返事だと思いますよ。あそこに言って土を調べたいって鼻息荒かったですから。調査が終わった後にギルドに依頼を出そうかって言ってましたもの。もちろん自分で取るらしいですが」
「そうか。まあ、あいつはそうだろうな」
 以前伝説の武器絡みで普段とは違う一面を見せたことを思い出す。
「黙っていたら穏やかそうなんだが。こと武器が絡むと本当に人が変わるな」
「そうですねー。でも慣れちゃいました。なんだか気も合いますし」
「それはわかる。でなければそこまで長い間相棒では居られん」
 あいつの方は相棒だけではないようだがな、と笑うがステラはその笑みの意図には気づかない。賭が長引けばそれはそれでおもしろいが、たまにエミリオがかわいそうになるときはないでもない。同じ男として。
「とにかくここまで来たらおまえに任せるステラ。誰を相棒に連れていくかも含めておまえの裁量次第だ」
「はいはーい。じゃ、いつでも声かけてくださいね」
 何の気負いもない、少々間の抜けた返事がギルド長にはありがたい。ともすれば考え込みそうになる自分の思考をすくい上げてくれる気すらする。
「……帰ってくるのか。帰ってきてくれるのか」
 ステラがギルドから出て行くのを見守り、小さく口の中でつぶやく。おそらく居るだろう。赤の英雄も、青の英雄も。あの日いつものように見送った背が鮮やかによみがえる。
『行ってくるぜ!』
『では行ってくる』
 それぞれに拠点から……当時はここまで広くなかったこの場からありったけの薬と食料をもって行ってしまった二人。あくなき探求心と無限の好奇心を併せて。
「「行ってきます」と言ったなら帰ってくるのが筋だ」
 と言ったのは誰か。確かおまえだぞーーー。今や一握りの者しか覚えていない、彼らの個人名を呼ぶ。
「ふっ。戻ってきたらどう言うだろうな。「英雄」に祭り上げられ、立派な銅像まで建っている今の拠点を。壊せなんて言うなよ? 若い奴らの目標なんだからな」
 英雄になる気はなかったと言うだろう。二人とも。自分たちができることをしただけだから、と。入植を開始したときの争いを仲裁したときもそうだった。
『完全に分かり合おうとは思わない。ただそのための努力はやめたくない』
 血を流すことに膿み始めた頃、騒ぎをしった二人がそう諭しながらコフォルの民と本国との間に入った。そしてダンデスとギルド長にこう言った。
『緩衝役が必要だ』 
 実際そうだろうな、と思っていた。このままおいておけばまた必ず、それも間を置かずにもう一度争いは発生する。
 それから話し合った。今まででこれほど話し合ったことはない、というほどに。争いはなるべく避けたい。どうしようもないほどこじれるまでは。
 結局、ダンデスとギルド長がこの場に残ることになった。本国からの干渉をすべて受け止め、コフォルの民の思い語るために。
『おまえらのが俺よりは少なくとも向いてると思うぜ』
 青い英雄はそんなことを言って笑ったか。
『確かにそうだな』
 と同意したら、自分がはじめに言ったのになんだと、と怒り出したか。
『気ままに旅をしていた頃とは違う厳しさに君たちを晒してしまうこと、申し訳なく思う。本国の実家からできるだけの援助はさせてもらう』
 赤い英雄が申し訳なさそうに頭を下げるのを制し、ギルド長はいつものようにふっと笑ったことははっきり覚えている。
 道は違えど志したものは同じ。言わなくても理解する。
「それから、俺たちは壁であろうとした」
 内からの意志を届けながら、外からの害意を退ける。内からの衝動を抑えながら、外からの厚意を伝える。誰も省みない役割を担ってきた。時折戻ってくる英雄たちと、拠点ができた頃から苦楽をともにしてきた一握りの人間がねぎらってくれる、それだけでやってきた。
「まだ、若かったな。今同じ事をやれと言われても無理だ」
 あのころだからできたのだろう。
「おっと、こんな事を考え出すとはな。俺もヤキが回ってきたか」
 これではいけない。きっと帰って来るであろう二人の親友に笑われる。


「やっぱりそうだ。ここの土は、コフォルのものとは違うんだ……」
 エミリオが嬉々として土と格闘をしているのを横目に入れつつ辺りを見回す。
「不思議なところ」
 一言で言えばそうなる。不思議としか言いようがないこの場。遠くに見える建造物らしきものは自分が渡ってきた大陸、コフォル含めてどこにも見たことがない雰囲気を醸し出している。
 かつてアストラム中毒で心がよく分からないところをさまよった。あの時みた光景に近い。
「……アストラムさん。忘れると言ってたけど、私覚えてるよ……綺麗で、悲しかったあの街並みを」
「?」
 相棒が怪訝そうな顔をするので曖昧に頷いておく。
「ちょっと、ここの来歴とか考えてしまって。まあそういうことはこれからきっと学者さんたちが調べていく事なんでしょう。私たちはここのどこかにいる英雄たちを探して、つれて帰る事が目的です」
「そうですね。僕実はもう用事が終わったような気がしてました」
「あはは、これからですよ」
 ステラはそう言って携えている剣の柄に手をかける。
「……そうですね」
 先ほどと同じ言葉を今度は重く。彼も事の重大さは理解している。何が起こるか分からない不安が表情ににじむ。だからステラは笑い返した。二人揃って不安な顔をしていても仕方がないのだから。

「……普通の場所ではみないモンスターばかりですね。いわゆる、魔法生物だとは思うんですが」
 スライムは他の地域でも多少見かけたのだが。
「これとか……完全に鉱物ですよ。でもこんな鉱物知らないから、きっと何かからの精製物なんでしょうけど」
 エミリオが持つ何かの破片を見ながらステラも考える。
「……ここに至る門って、ソンツァルナ以外でも見かけましたよね。巨大な水晶……」
「ええ、はい」
「火山も、廟も、神殿も。こいつ、居ましたね。門から湧き出てきたように」
 拠点……オルタスから離れれば離れるほど誰かの手が入った魔物が徘徊をしていた。おそらく、そういうことなのだろうと思う。
「でも、一番おそれられていて、地元の人たちも近寄らなかったのって拠点なんですよね……」
「そういえばそんな話でした」
 なぜだろう。やはり疑問が彼女の頭を去らない。けれど。
「そんな話をしている場合じゃないようです。なにか、来ました」
「えっ」
 あわててエミリオがボウガンを構える。すでに剣を抜いていたステラがとっさに掲げあげればそこに細長い何かが巻き付いた。
「……尾!?」
 一瞬でも遅ければ自分の体がからめ取られていただろう。柄を握る手をそのままに次はどうするかと考えを巡らす。
 ステラが体を止めたその隙にエミリオは尾の出所を見つけた。
「あれか!」
 四足の動物のようにも見えるが、もう一つのった頭と巨大な飛膜翼がそうではないことを嫌でも警告。それに従い数本立て続けに短矢を撃ち出す。
「エミリオさんありがとう!」
 少し離れているため効いたのか判別できなかったがステラが隣に走ってきたことで効いたのだなと思う。まだ少し、腕には自信がない。
「かなり大物、来ましたね」
「あれは、物語の中でみる事がある……合成魔獣……」
「案外、物語はこいつを見てかかれたのかもしれませんよ」
 エミリオがまじめにそんなことを言うので思わず笑う。
「笑ってる場合じゃないですよステラさん!」
「わかってますよ、でも気を抜いた方がいいです、多分。その方が自由に動けそうです」
 軽く剣を振って駆けだした。最初、あまりにも剣の扱いが下手で悩んでいた頃とはもう違う。一緒に彼女と戦い、癖を見ながら少しずつ直してきた剣と、彼女自身の鍛錬でここまで来た。
「いや、僕の役割は大したことはないんだ。ステラさんが頑張ったからなんだ……」
 自分が最初見込んだとおりの最高の使い手だった。今まだ伸び代を残しているような気すらする。
「僕もついていけるようにしないと」
 せめてその背を守れるように。
「エミリオさん、行きました!」
 ステラの声が思考を裂く。即時に切り替えて追い立てられてきた魔獣を睨む。
 威嚇するように獣の頭が巨大な牙を見せつける。そこに容赦なく矢をたたき込みながらその場を離脱。間を置かずにステラが上から頭から体まで一気に袈裟切りに。
「浅かったか!」
 そういいながら返す刃で反対方向へ切り上げる。思わぬ動作に魔獣がひるんだのが見えた。
「大丈夫、続けていきましょう!」
「はい!」
 手を止めるな。ただひたすらに流れるように動き続けろ。決して止まるな。翻弄し、小さくても確実に削り取れ。
 それだけを頭にいれて二人は動く。
 魔獣は低いうなり声をあげては彼らを振り払い生の魔力を放出する。猛禽の頭がくちばしを開くごとにあらぬ方向へ飛び、避けたところへ獣の頭が噛み砕こうと迫る。
「どっちか沈黙させられたらいいんですけど!」
 相棒がそう叫ぶのにステラは応じられない。これでは完全に押し切られてしまう。
 が。
 視界の端に何かが映った。
「建物!?」
 ここに来たとき、遠くにみた建物だろうか。いやそんなことはどうでもいい。
「あそこに!」
 それだけ声をかけ、生臭い口を吐き気を我慢しながら押し返して離脱。足の先をぽかりとあいた穴に向けて跳躍。たたらを踏みつつも数歩で飛び込んだ。ややあってエミリオが逃げ込み、その後に魔獣も入り込もうとその獣の鼻先をつっこんできた。そのまま動けなくなる。
「大きさ、考えなさい!」
 鼻しか見えなくなった魔獣に言い捨ててそのまま建物の奥へ。エミリオも後を追ってくる。
「……いいんですか、あのままで」
「いいんじゃないでしょうか? あくまで調査……ですし」
「それもそうですね」
 もう一声くるかと身構えていたがすんなり引き下がったので少し拍子抜けをする。
「いや、そんなこと考えてる場合じゃないや、ここは何なんだろう。すごく大きい建物みたいだけど……」
 警戒しながら歩めば所々、自然光とは違う光が灯っている。
「……アストラム」
 独特の鈴の音が大きく響く。ここのものは建物の中に設置されているせいか、コフォルの各所で見かけたほど劣化はしていないようだ。
「……綺麗なんですよね、これ本当に」
「……あまり近寄らない方がいいですよ」
「ああはい……」
 エミリオは以前同僚がアストラム中毒になったのを見たと言っていた。だから嫌なのだろうな、と素直に離れる。それにほっとする男。確かにアストラム中毒は嫌だが、それは同僚ではなくステラが倒れたからだ、という事に本人は意識が至っていない。
「ここのアストラムは……完全に動力源として使われていますね。例えばそこの明かりとか。よく見るとずっとつながっている」
 男の指さす先を見ればかすかに細く光る道が灯りに続いていた。
「これは、今の技術では無理だ……恒常的にアストラムから動力を引っ張り出すのは」
「そうなんですね……」
 ここは何もかもが違うのだ。きっと、そのあり方からして。
 こうやって、英雄たちも歩いたのだろうか。この回廊を。どういう気持ちで歩いたのだろう。今の自分のように好奇心が抑えられず、あちこちを見回しながら歩いたのだろうか。それとも、何もかも違う事に畏怖を覚えながら歩いたのだろうか。
「それは想像するしかない」
 自分は英雄にはなれないのだ。行く先をのぞき込み、浮遊する魔法生物たちの様子を伺いながら考える。
「……特定のパターンがあるのか……抜けられそう」
「走りますか?」
「はい。これだけを相手にするとちょっと多分さっき以上に体が持たない気がします」
「僕も同感です」
 自分にできることなど限られている。もしかしたらこの先、何かがあるかもしれない。英雄が戻ってこなかった、その理由が。なればこそ、すべてを潰していくことなどできない。
「私は臆病者だから。英雄のように、高潔でもなければ力もない」
 行きましょう、と小さく声をかけて走り出す。見ていて分かったのは、特定の哨戒範囲を持っているらしく、そこから外れさえすれば後は追ってこない。
「そういうあたりは普通の魔物たちと一緒なんですね。縄張り意識というか」
「そうですね。模したのかもしれません」
 エミリオの言葉に応じつつ魔法生物たちが集まる部屋を抜ける。
「ふうっ」
「あー……ほっとしました」
「あれだけとやり合ったらほんと、黒こげになるかカチンカチンにされるか……」
「なにせ四属性全部が集まってますものね。さすがと言おうか……僕としてはどういう風に動いているのか調べてみたいんですがね」
「……止めはしませんが」
 こんな時でも変わらない相棒に力が抜ける。それで初めて力が入っていたことに気づく。
「だめだね」
 ステラは頬を軽く叩いてから体を伸ばした。

 そこは巨大な空間。自分自身の矮小さを嫌でも意識させられる、そこはかとなく聖域のような気配があるところ。
 かつては綺麗な球形を保っていたと思われるドーム状の天井は所々崩れておりそこに巨木の枝が巻き付いている。どんなに人工物が発展しても、それを突き抜けて木々は生きるのだと見せつけるように。
「……」
「……」
 そんな中で、二人は何もいえなかった。巨大な空間。その中央に、今までとは一線を画した、威圧感しか感じない存在。
「……あ」
 ようやく吐息とともに小さく声が出た。巨大な存在の胸のあたりに、剣が一振り突き刺さっている。
「もしかして」
 エミリオも立ち直ってきたようだ。
「多分……これが、英雄たちが帰れない理由なんでしょう」
「親父さんがレプリカを作っていたことがあって、それを見せてもらったんですが……きっと、英雄が使っていた武器……」
「でもどうして? ……封印?」
 たった一本だけの両手剣。だが見れば見るほど正確に急所を貫いている。
「これは……触れない」
 この存在が未だに「生きて」いるとは考えにくいが、決してさわってはいけない。見えぬ気配がそう告げている。
「ステラさん、ここに何か碑文が」
 剣を気にしつつもエミリオの方へ行くと確かに壊れかかった石盤に何か文字らしきものが刻まれている。
「……『アストラム……神』……繰り返し出てきてるのがこの単語ですか」
「ステラさん読めるんですか!?」
「これだけしか分からないです。ちょっとだけこういうの教えてもらって事があって」
 明らかに人の手が入った神。ここに存在していた人々は一体何を思ってこれを作り上げたのか。その答えの一片は碑文に書かれているのだろうけれど。
「とりあえず……だいたい起こったことは把握できましたね」
「ええ。……僕は、この剣は抜かない方がいいと思います」
「私もそう思ってます」
 "アストラムの神"が静かに佇むのを眺める。その存在感の大きさに呆気にとられていて、少々背後に注意が向いていなかった。
 そこへ。
 強烈な衝撃。油断したと思う間もなく膝から崩れ落ちる。
「……エミリオ、さん……」
 視界の端で同じように倒れ込む男の事だけが、気がかりだった。

 衝撃波にも似た咆哮が響く。もはや本能としか言いようがないタイミングで意識を戻しあたりを確認する前にその場から飛び退いた。直後に崩れ落ちてきた瓦礫に背筋が寒くなる。
「何がどうなってるの!?」
 見回せば近くで今気づいたとばかりに頭を振るエミリオの姿。
「いたた……」
「エミリオさん! 気をつけて!」
 ステラのとばした声にあわてて周囲を見回す男。彼女の姿を認めたのか、落ち着きなく近くまでやってきた。
「な、何があったんです?」
「分かりません、私も今気づいたばかりで……」
 ただ、"アストラムの神"が動き出している。
「……生きていたんですね」
 問いかけとも確認ともつかないつぶやきにステラも軽く頷くだけしかできない。
「けれどなぜ」
 動き出す気配などなかったはず。周囲を探りながら考えるが分からない。ならばおそらく空白の間に何かがあったのだ。
「ステラさん、あれ!」
 声の方を向けば巨体に刺さっていた英雄の剣が抜け落ちている。
「なぜあんなところに」
 記憶にある限り"アストラムの神"のすぐ近くにあったはずなのに、出入り口に近いところに落ちている。
「考えてる場合じゃないです! なにか来ます!」
「!」
 片手を大きく振り上げ虚空から礫を大量につかみ出した、としか言いようがない。それを一気にこちらに向かって投げつけてくる。咄嗟に崩壊しかかっている壁の裏側に隠れたものの幾つかは体を貫かんばかりに当たった。
「っくー! なんて攻撃してくるのよ……」
「大丈夫ですか? 薬は」
「まだいりません。あいつがどう出てくるか把握するまでは」
「……分かりました」
 苦い顔で道具袋に手を突っ込んでいたが軽く頷いて壁から様子を伺う。
「英雄たちが差し違えた神に対して、私は何ができるだろう」
 それでも何かをしなければ。私には、帰らねばならない理由がある。
「ちょっと私、軽く切れるかやってみます。あの体、ぱっと見で硬さが想像つかない」
「僕もですが……いや、打ち合わせないと硬さは確かに分かりませんが」
「行かないと。でなきゃ私たち、いつまで経っても帰れません。……私は帰りたいです」
「死ぬ気じゃないってことですか?」
 あまりに直球な問いに思わず苦笑い。
「そんなつもりはありません。ひとつも。信じてください」
「分かりました。ただ、その役は僕にやらせてください。一度打ち合えばだいたい把握できますから」
 眼鏡の奥のその瞳は長い間鉱石やそこからできる素材を扱ってきた職人そのものだ。なのでステラは何もいわず頷いた。自分がやるより正確なはずだ。
 礫の数は少なくなってきたが手の動きがまた同じ事を繰り返そうとしている。動くなら今とばかりに二人は別の方向へ飛び出した。
「こっちを見なさい!」
 わざと大仰に動いて注意を誘う。小さく守りの魔法を自分に掛けながらステラは常に"神"の視線の先に居るように。守りが効いている間は少々礫弾を受けても問題ないはず。
 しばらく翻弄を続けていたがエミリオが"神"の背後で護身用の短剣を振り上げたのを見て自分も足を止めた。"神"は小さく声を上げてステラにつかみかかる。わざと逃げずに捕まれ。
「くうっ」
 息をすることもできないほど強く握りしめられ、高く高く持ち上げられてから床に向かって一気に叩きつけられた。
「……っは!」
 無理矢理止められていた息を吐き出せば同時に体の底から痛みが這いだしてきた。守りは効いているはずなのだがその圧倒的な力に軽く足が震える。
「でもきっと」
 今の間に彼は確かめただろう。身を癒す魔法をつぶやいて多少痛みを緩和させる。
「ステラさん!」
 ほら、来てくれた。
「大丈夫です! それより」
「ええ! 相当に硬いです。おそらく、金剛石並かそれ以上に! そのものじゃなくても、それに近い性質かと!」
 だいたい想像していたとおりだ。金剛石より硬いとは、と心でため息をつくがふと思い直した。
「……肌理はどうでしたか?」
 ステラの問いに一瞬考えるがすぐに納得したように頷くエミリオ。
「とても、とても綺麗に揃っていました……!」
「それってきっと」
「はい、きっと劈開があります!」
 それなら何とかなる。英雄たちが止めたのだ、絶対に何とかなる。
「じゃ、その方向探りにいろいろやってみましょうか!」
 ステラは立ち上がり"神"を見据える。
「ステラさん、一つ問題が」
「なんでしょう」
「地肌部分は、緩急ありましたが薄く防壁に守られています。まずはそれをどうにかしないと」
「それはそうですよね。元素材の性質だけはどうにもならないものですし、それをどうにかする対策はしてあるはずですから。でも緩急……」
 きっと、それが英雄たちが後世に残してくれた足がかりの一つだ。英雄の剣が刺さっていたところを重点的に狙ってみようと駆けだした。
「はいっ!」
 エミリオの気合いが後ろから短矢とともに飛んでくる。ステラの露払いをするように。"神"はその巨体のせいで、露払いもあいまって本気で走り出したステラをつかむことができない。
 かろうじて腹の下に潜り込んだステラは英雄の剣が突き刺さっていた痕に自分の剣を突き立てる。
「!!!」
 古傷を改めて傷つけられるのはさすがに嫌だったのか言葉にならない音を口あたりから吐き出す。それはそのまま衝撃波となってあたりを崩していった。
 エミリオが吹き飛ばされかかっているのが見えるがステラも手が放せない。だが彼の近くにあった瓦礫の山が吹き飛ばされたそこに。
「……盾……戦盾!!」
 美しい盾だ、と一目見て思った。そして強い力を秘めているとも。エミリオもそれに気づいたようでそれを文字通り盾にして身を守っている。
「いい加減にして!!」
 剣を差し入れる手にさらに力を込める。もうこれ以上は無理だというその位置まで。
 それが功を奏したのかどうかはわからない。ただ、"神"を取り巻く薄い防壁が多少薄らいだ気がする。
「ううん、多少じゃない! やっぱりここだったんだ!」
 最後にもう一突き。柄すら体内に押し込む勢いで入れてから剣をそのままにステラは腹の下から這いだしてきた。自由に動けるようになるとすぐに英雄が使っていた両手剣の元へ走る。
「……使わせてください、青の英雄!」
 好きにしろ、手伝う。そんな声が聞こえた気すらする。
 ありがとうございます。
 礼を言いながら"神"の元へ三度。最初こそ重いと思ったが振り上げるとそれほどでもないなと思う。問題は、自分はほとんど両手剣を使ってこなかったということだ。
 それでもステラは英雄の剣を振るった。衝撃を与え続け、様々な方向に飛びすさりながら。エミリオはエミリオで戦盾を使いながらボウガンで関節を狙っていた。
「このおっ!」
 斬撃や打撃を繰り返していく内に巨体の動きはさすがに鈍くなってきたようだ。魔法も、最初は一声で発動していたのが今はほとんど撃ってこない。
「何か……何か一打がほしい!」
 けれど自分ではこの剣の真価を発揮しきれない。ならば。
「エミリオさん!」
 少し離れた彼のところへ駆け寄る。
「交換してください!」
「えっ!?」
 唐突な申し出にボウガンを取り落としそうになる。それと戦盾をまとめて取り上げ、代わりに英雄の剣を差し出した。
「私より、あなたの方が絶対に使えるはずです!」
「でも!」
「信じてます! お願いします!」
「……分かりました」
 神妙に頷く男に微笑みステラは彼を守るように前にでる。
 
 ここに、まだいますよね、英雄たち。
 どうか守りを。
 あなた方を皆の元に帰したいから。
 至らない私に、力を貸してください!

 盾が動いた。薄く赤に色づいたそれがすべてを守るように広がる。思わずエミリオを見れば、そちらはそちらで剣が蒼く包まれていた。
「これは……いや、考えるのは後にしましょう……いきますよ!」
「分かりました!」
 やはり打ち合わせなどない。けれど、エミリオを乗せるように赤い盾を投げ上げ。"神"すら越えてあがったその位置から、蒼い剣を真下に向けて相棒が飛び降りる。そこには"神"の頸部。通常戦っていれば一番届きにくい場所。
「これで! 終われ!」
 盾はそのままステラの元へ。エミリオは彼らしからぬ大声で首へ突き立てた。

 最初は小さな剥落。
 やがてそれは少しずつ大きくなって。
 結晶の響きを奏でながら崩れ落ちる。
 主要部を通っていた魔力はとっくに光を失った。

「くっ……」
 天井の隙間から崩れる結晶を照らすように光が射し込む。強い輝きが当たり一面に広がり、思わず目を閉じていたら誰かに肩を抱かれた。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい……」
 目を開けば結晶の山と、その中に墓標のように立つ蒼の剣。
「ありましたね、劈開性……お陰で一撃で終わってくれましたけど」
「本当に……一か八かで私言ってみたんです」
「ちょっとステラさん、そんな博打打ちみたいな発言やめてくださいよ……結果的には良かったですけど」
 苦笑いをする様子がいつもの様子で、ステラもつられて笑う。そして二人で今は光を失った青の英雄の剣を抜いた。
「……何があったんでしょうね、ここで」
「さあ。ただわかるのは、これで英雄たちも帰れるってことです」
 結晶のかけらを払いながらステラはつぶやく。

 ありがとうございます。

 そして自分の剣を拾い上げてきびすを返したところに。
「……か、勝っちまったかよ……」
「へへっ……オレたちも命拾いしたぜ」
 明らかに正規開拓者ではない。
「……なるほど分かりました」
 この男たちのせいなのだろう。"神"が突如動き出したのは。そう思うと体が勝手に動いていた。
「うわああぁぁぁ!」
「何しやがる!!」
 動きざま護身剣を抜いて次の瞬間には男の喉元に突きつけていた。
「"神"は眠っていた。眠りを妨げた罰は相応に必要」
 冷たい声で言い放つステラ。その苛烈さに止めることができないエミリオ。
「わ、悪かった! だからな? それ、仕舞ってくれねーかねーちゃん……」
「謝るから。ついでに、オレたちもつれて帰ってくれたら……」
「代償は相応に」
 冷酷ささえ感じる声音にもはや男たちは何もいえない。
「……」
「……ステラさん」
 やっと氷の束縛から解けたエミリオがその背に声を掛ける。
「帰りましょう。ここから」
「で、でもこの人たちは」
「自分で帰れるでしょう。子どもじゃないのだから」
「……はい。帰りましょう」
 戦盾を大事に抱えステラは歩み出す。その後をやや遅れてエミリオが、英雄の剣を携えてついて行く。
 やっと、終わったのだと実感しながら。


 拠点中がひっくり返りそうな大騒ぎだった。気色ばんだガーディアンが人の集まるギルドに飛び込み、そこから一気に話が拡散したためだ。
「……すごいことになっちゃいました」
「それだけのことをおまえたちはしたんだ。……それか」
 ギルド長ですらねぎらいの言葉もそこそこに、二人が抱える装備品に目が奪われてしまっている。
「……帰還の手伝いを、してきました」
「ああ……分かった。すまないが」
「はい、分かってます。お返し、しますね」
 きっとそうだろうと思っていた。今はおとなしく退散するに限る。エミリオに頷いて英雄の剣と英雄の守護をカウンターに置きギルドを後にした。

 二人が出て行ってから、改めてカウンターの裏に置いた二人の装備品……遺品を眺める。
「……」
 創生期を知るものたちの心に、知らず知らずの内に刺さっていた英雄という名の棘。やっと、抜けるときが来た。ギルド長は心からどこか、痛いものが墜ちていくのを感じた。
「これを見れば分かる。おまえたちは悔いなく笑っていたんだろう。棘にしてすまなかったな。俺たちが弱かった」
 そんなもんに勝手にするなと言われているような気もする。ふっと笑い、おもむろにつぶやく。
「……お帰り」
 ただいまと、どこかから響いた気がした。

 一息ついてから酒場にでもと思ったが、どうやらダンデスたち古株組が英雄たちとともに飲んでいるようで、とてもではないが中にはいることはできなかった。
「ダンデスさんが、あんな顔してる……」
 怒っているのか泣いているのか、一瞬では判別できない。それでも喜んでいてくれるのだと信じたい。
 しばらく待っていたが一向に騒ぎが収まりそうにないのでエミリオと二人、広場まで戻ってくる。
「……酒場、入れませんでしたね」
「今日は無理でしょう。彼らの帰還に勝る者はないです」
 英雄像を見上げながらステラはつぶやく。それもそうか、と傍でエミリオが納得していた。
「それでも十年あそこに吹きさらしになっていた装備なのに、僕たちが持ってるものと全く遜色なかったのはさすがとしか」
「……多分、使い手が、いた。そんな気がします。その力がなければ多分私はあそこで倒れていた、と」
「……」
「それにしても今夜はどこもかしこも賑やかですね。私たちにまでみんな声をかけるんですから」
「それはそうだと思いますが。英雄たちをつれて帰ってきたんですから」
「……うーん……落ち着けるところ、どこかないかな。座りたい」
 自宅前に何人かが居るのを見て息を吐く。そんなステラの様子を見てエミリオは意を決して誘ってみることにした。
「……街道にでも、出てみますか?」
「あ、それ良いですね!」
「は、はい!」
 自分の決意は何だったのだろうと言うほどにあっけなく承諾されて気が抜けかかったが軽く頭を振る。
「一応ギルドには一声掛けておいた方がいいですかね?」
「うーん……ギルド長も居ないし、拠点が見える位置くらいで良いと思いますよ。それくらいならいいんじゃないでしょうか」
 そうかな、と少し及び腰なエミリオを引っ張って街道へ。端によって見ていると、英雄帰還の報を聞いた開拓者がいま、まだひっきりなしに拠点へ向かっている。
「……さすがすごいですね、英雄効果というのは」
「そうですね……」
「どうかしましたか、ステラさん」
「……いや、英雄たちは、今何を思ってるのかな……ってちょっと考えてしまって」
「英雄たちが?」
 ステラは月を見ながら頷く。
「姿を消してしまったから英雄になってしまったのか。戻ってきたかっただろうな……」
「……」
「むしろ、あのまま現実は伝えない方がよかったのかな、って。ダンデスさんとかの顔を見ていたらそんなことも思って」
「……そうですか」
 月を見続ける横顔を眺め、エミリオは優しい表情になった。
「大丈夫、だと僕は思いますよ。あなたがしたことは間違っていないって」
「そう、ですか?」
 怪訝そうにこちらを向くステラになお笑いかける。
「あのマスターの表情、みましたよね?」
「……」
 思い出す。いつものひょうひょうとした雰囲気の中にあった強い喪失と、同じほど強い情を。そう、あれは確かに親愛なる友への情だ。
「……良かったんですね」
「ええ、そう思います。多分、そうなることをマスターもダンデスさんも知ってたに違いない。でもそういうのって……認めたくないものですものね」
 確かにそうなのだろう。あの泣き笑いの意味はそれだ。やっと帰ってきた盟友と言葉を交わしながら。


 見えていますか?
 聞こえていますか?
 あなた方の帰還を喜ぶ声を。
 あなた方の足跡を受け入れる声を。
 あれがあなた方のあしあとです。
 私たちは、その後を追い、やがて追い抜いていくでしょう。
 だから見守っていてください。
 迷い、踏み外し、それでも前を行こうとする私たちを叱咤してください。

 オルタスの月は柔らかく、二人を照らしていた。


END


 無印エンディング。英雄に対するギルマスの心境とか、結構気になるのでこんな感じに。
2013.12.14

 

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