Rani Rate

 

「……この森も、以前はもっと広く、自然豊かだったと記憶している。あまり俺は俺の地から離れることはなかったが……」
「そうなんだ」
 ラニ・ラトが巨木の合間を歩きながら唇を引き結んでいる。
「ねぇ、単純に疑問なんだけどね?」
「なんだ」
「疲れない?」
「……何?」
「いや……昔そういう人いたからさ……」
 ステラとしては心底心配しているのだが案の定というべきか、この若長は非常に苛立った表情を隠していない。
「よけいなお世話だ!」
「うんそうだね……そんな風な気はしてた」
 ぷいと森の奥を向いてしまったその背を眺め、女は肩をすくめる。
「これいったらきっと怒るだろうけど、若いなぁ……」
 夜光蝶が緩やかに飛ぶ様子を眺めながら何となく思う。自身、大した事をしてきたわけではないが、ラニ・ラトを見ているとそうとしか言いようがない。
「私があれくらいの頃ってどうだっけ……」
 どこかで仕事をしていたのは確かだがどこだったかと考え込む。それぐらい程度に時間は過ぎている。
「ま、怒ってないで行こう。目的地はもうすぐだから」
「……」
 怒りは消えていないがステラの後につく。明らかに、仕事だから仕方ないといった様相だ。
「……ほんと、疲れると思うんだけど」
 きっとじいやさんも苦労しているんだろうな、と肩をすくめて彼の侍従を思った。

「あれ、今日は先客がいるんだ。こんばんは」
「ん? あんたらも開拓者かい?」
「はい。夜の畑見回りで」
「そうか。俺たちはぜんぜん別件だったんだが……」
 聞けば、彼らはこの森にある素材を収集にきたのだそうだ。だが途中で魔物におそわれ居住地に逃げ込んだのだという。
「そしたらさ、ここでも襲撃があったみたいでなぁ」
「えっ? 大丈夫なんですか?」
「おうよ、協力して返り討ちにしてやった」
「そもそも最初も奇襲みたいなもんだったしな。体制整えさえしてりゃ問題のない相手だったんだ。それにエウロスの奴らがすげー強くて」
 この開拓者たちとエウロスの偉丈夫が力を合わせて魔物を追い払った、そんな話を聞いてステラは満足そうに頷いた。が、ラニ・ラトは微妙な表情をしている。開拓者たちは幸いにもその表情には気づかず上機嫌で話す。
「そしたらよ? 追い払ったのはよかったが畑壊しちまってなぁ」
「えっ? 作物とかは……」
「それが本当に僥倖で、今朝収穫したばかりってところで。まぁ、エウロスの人たちがそこに誘導した可能性も高いけどな」
「へーえ……よかったですね」
 ステラの言葉に開拓者たちも頷く。
「それで畑を直しているわけですね。こんなに夜遅くまでってことはかなりひどく壊れちゃったんですね……」
「ああ、違う違う。壊れた畑はすぐ直ったんだ。けどもういっそついでだと思ってな。ほかの、ちょっと調子悪そうなところ直してたってわけだ。俺ら受け入れてくれたし一緒に戦ってくれたし、その礼になりゃ良いかと思って」
 そこへ、ステラの見知ったエウロスの男が戻ってきた。手には酒と簡単な食事を持っている。
「お、あんたはいつものあんたか」
「ああ、こんばんは。はい、いつもの私です」
 愛想良い男にステラも笑って返す。名は知らない。向こうもステラの名は知らない。けれど、だいたいいつも顔を合わせるので知ってしまった。
「残念だけどこいつはこっちのにいちゃんたちのもんなんだ。悪いな」
「いえいえ、私たちは気にしてないですよ。どうぞこちらに」
 と、一歩下がるとすまんな、と開拓者たちの方に向く。
「あんたらも悪いな、こんな事までしてもらって」
「気にしないでくれよ。いつも助かってるしな」
「いつも?」
 基本的に居住地の人間と開拓者はあまり接点はない。それは四つの部族それぞれに差はあれど共通したことで、密かにギルドを悩ませている点でもあるのだが。
「水とかな、今みたいな簡単な食い物とか。時には薬草を俺らにくれるんだ。ほんとすげーありがてーよ」
「……そういえば確かに」
 ステラが思うに、このピースーのエウロス集落の人はかなり友好的なのだろう。自身も敵愾心をむき出しにされたことはないことを思い出した。
 単純に嬉しいと思う。いろんな人がいて、当然気にくわないこともあって、それでもそんな中でこういう交流を見るとなにか心が温かくなる。
 が。
「……いったいどういうつもりなんだそれは?」
 ステラの背後から低い声が聞こえる。
「は?」
「おや……あんたは、ノトスの人かい?」
 エウロスの中年男が目を細めた。
「ほうほう、若いんだね」
「若いことが何か不満か?」
「いや? 俺にも若いときがあったなと、思っただけさ」
 ラニ・ラトは明らかに不機嫌になっているが中年男は一向に気にしていないようだ。
「なぜだ?」
「何が」
 若い長の問いに、何のことだかとばかりに頬を掻く中年男。
「なぜ……開拓者たちによくするのだ?」
「単純だよ、よくしてくれてるからだ。それ以外何もないぜ?」
「……」
 あまりにすんなり答えられてしまったせいか二の句が告げないでいる。最前から話をしていた開拓者たちは少しだけ不機嫌そうな顔をしつつも、話の成り行きを見守っているようだ。ステラとしてもこれは見守るしかできない。
 ラニ・ラトはしばらく何事かを考えていたがやがて眉をひそめる。
「開拓者が……なにをしてくれるのだ?」
「いろいろだ」
 たとえば、ステラが受けている依頼のように、夜の畑の見回り。たとえば、いま開拓者たちがやっているように壊れた畑の修繕。ほかにもたくさん、助けてもらっている、それならばこちらとしても返すのが筋だ、と。
「それは我らを安心させて内部から崩壊させる為かも知れないではないか!」
「なんだと!?」
 開拓者が色めき立つがステラが申し訳ないと顔の前で手を合わせる。怒りを露わにした開拓者の相棒も、ノトスだから、と耳打ちをしていた。
「……なぁノトスの若い人よ」
 そんな緊張した場を割って、ペースを崩さない中年男の声が入り込む。
「一つ聞きたいんだが、答えてくれるか?」
「なんだ」
「あんたたちは……まだあの争いをしたいのかい?」
「なっ……!?」
 問いかけに完全に固まってしまったラニ・ラト。それほどまでに、「考えたことがない」事なのだろうとステラは思う。ここまで中年男の言葉が影響をするとは思っていなかった。
「俺は……あのころ若くてよ。もちろん……協定国の奴らとやりあったさ。この集落からちょっといったあたりに前線立ててよ? 毎日毎日戦った。倒れる奴もいたし死んじまった奴もいた。それが争いってもんだからな、仕方ない。けど……疲れるんだ。本当に」
 今は遠い過去。ステラや、ほかの開拓者たちには話に聞く程度の、現地民と協定国の争い。
 けれどこのエウロス族には遠くないのかも知れない。未だくすぶり続ける種なのかも知れない。そんなことを思う。
「で……少なくともここの集落に関しては、あの英雄たちの申し入れを受けることにしたんだ。もう戦わなくて良いってんで大騒ぎだったぜ。それほどまでに疲れてたんだな。聞けばエウロスだと、エンファンもトゥルルトゥも似たような反応だったらしいが。まぁ俺たちらしいっちゃらしいな」
 軽く笑って周りを見回してきた。
「何かを憎み続けるってよ、疲れるぜ。だから本当に嬉しかった。ありがとよ英雄たち! って気分だった。こないだ拠点に行ってゼフィラスの奴らと話したんだけど、あっちも似たようなモンだったってよ」
 まさか同じとはなぁ、と声に出して笑う。緊張しかかっていた空気が少し弛緩した。
「そんな感じなんだ、俺らや……たぶんゼフィラスは。北は話してねぇから知らんが……」
 頭を掻いて、それからラニ・ラトに向かいあう。
「そんで……余計にあんたたちはまだ戦いたいのかなってな。ちょっと疑問に思った」
「……」
「俺らはもういいわ。戦うなら魔物相手に、集落守る方がいくらか気が楽だ」
「……」
 ラニ・ラトは黙って、ただ地面を眺めているだけだった。

 月が傾いだ。中年男は集落に戻り、開拓者たちも修繕を終えてもうすでに拠点に戻ってしまっている。
 ステラとラニ・ラトは二人、エウロス族が作っている畑を見回る。会話はない。ステラが何を言おうとたぶん今は何も返ってこないだろう。
「私じゃ言えないことだから」
 ステラはこの地の歴史を体験したわけではない。彼の堅さをほぐすのは彼女ではできなかった。
「だから連れ出してたってのはあるんだけど」
 いろいろと連れ出すことでなにか変わればと思っていた部分はある。今のように、ほかの部族の人と話ができれば、と。今までなかなかそういう機会には恵まれなかったが、今日は天啓のような気分だ。ラニ・ラトはそれどころではないだろうけれども。
「……おい。俺は……」
「どうしたの?」
 後ろで黙って付いてきていた男がステラに声をかけるが、それ以上は何も出てこないようだ。それでいい。悩むだろう。今まで基盤にしていたものが根底からひっくり返された。悩むといいのだ。まだ賽は投げられていないのだから。
「……どうすれば、いいんだ……」
「信じてみたら? いろんなこと。信じてみないとなーんにも始まらないから」
 今まで疑って嘘だと決めつけていたこと。自分の認識だけが正しくてほかは間違っていると思っていたこと。もう一度、見直してみたらいい。その果てに彼の道はきっと見えてくるだろう、そんなことすら思う。
「……信じる?」
「そう。それからまず始める、私は、だけど」
「……」
 難しいのかも知れない。それでもそうしなければならないときは必ずくる。それが、先ほどのエウロス族の話だったというだけ。
「良い方に行くと、いいな。やっぱり知り合ったからには、みんな元気で幸せになって欲しいもの」
 心の中で切に願う。ラニ・ラトが戦争を始め、誰かを殺めるところなど見たくない。戦争であればもしかしたら敵対してしまう可能性だってある。
「それは嫌」
 戦争にはもう関わりたくない。過去、戦場で何が起きてきたかは嫌と言うほど知っている。
「……信じる……か」
 そう、それってたぶん大切だよ。心の中でつぶやきながら、あたりに意識を戻していった。


END


 ラニ・ラト編。彼の考えを変える一端になるには、やっぱり経験者の声って必要だと思うんだ。
2013.10.6

 

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