寝付けないまま朝まで。原因ははっきりしている。最近この拠点にやってきた倭文の一行。どうしても過去を思い出してしまう。
 考え込んでいても仕方がないのでベッドからでて港にやってきた。あまり水の音は好きではないが不思議と波の音だけは聞いていて落ち着く。漁にでている船がもうすぐ戻り出す夜明け前。
「……潮風、か」
 もともと山里の出、初めて海の町に流れ着いてこの匂いをかいだときは衝撃だった。
「あ……」
 桟橋の端に壮年の男が立っている。
「……ウツギさん」
 水平線の向こうをにらむようにじっと眺めている。少し考えてステラは彼に近寄った。
「……こんばんは。ウツギさん」
「……?」
 一瞬誰かわからなかったようで怪訝そうな顔をしたがすぐ得心がいった。
「ああ、あなたはクロトキをぎるどまで案内してくださった……」
「ステラ、といいます」
「そうステラさん。どうかしましたか?」
「……いきなりで申し訳ないんですが、エンゼイのゲンカイ師匠はご存じですか?」
「エンゼイ……?」
 顎に手を当てて考える。ややあって軽くうなづいた。
「ああ、高名な槍の名手」
「ご存じなのですか。……お元気かはどうですか?」
「私もあまりお会いしたことはないですが、五年ほど前都で会いました。なんでも住んでいた里がなくなったとかで」
「……なくなった……? やはり氾濫で……」
 いつかあの川にすべて押し流されるんじゃないかと恐々として暮らしていた里の人々。ステラを村八分にして必死になって己を守っていた、小さな里。
 それでもステラが生まれた里。
 どう表現していいのかわからない感情が心を支配する。そんな様子を見ていたウツギだが、遠慮がちに声をかけた。
『貴女は倭文人なのか?』
 倭文語だ。女の体が目に見えて崩れそうになったがウツギが手を出すより先に立ち直る。
『はい。出自は、倭文です』
 使わなくなって久しい、さび付いた倭文語でたどたどしく応じる。「倭文人」と言われたらきっと語弊がある。父は倭文、だが母は今となっては本当にどこの国の人間かわからない。少なくとも倭文ではない、それだけだ。それは自分の容姿を見れば一番わかる。
『そうなのか。このようなところで我々以外の倭文人にあうとは思わなかった』
 一端言葉を切り辺りを見回して苦笑。
「いや、倭文語はやめておきましょう。きっとあそこの御仁には気が気ではないでしょうから」
「えっ?」
 ほほえみながらウツギが指した先に、なぜか果物を頭と両手に載せたエミリオが立っている。
「え、エミリオさん?」
「あ、え、ぼ、僕は、その、今朝早くにつく船に、親父さんが頼んでた鉱石が、来るから取ってこいと言われて、あの、別に、聞き耳をたてようと言うわけでもなく、気を取られて、歩いてたら、果物の箱にけつまずいて、ひっくり返りそうになっていただけですはい」
「……そうですか」
 ご丁寧にどうも、とステラが思わず会釈をし、それにうっかりエミリオも引きずられて会釈をする。
「いや、それにしてもここでゲンカイ先生の名前を聞くとは思わなかった。では貴女は槍術を?」
「はい、中途半端に終わってしまいましたが……」
「……ゲンカイ先生がおっしゃっていました。とても筋のいい弟子がいたそうで。女の弟子だったのでよく覚えていると。けれど、里の争いに巻き込まれてしまっていなくなった、と」
「……あ」
 悔恨の表情のステラ。エミリオは二人の表情をおろおろと見ていたが、
「あ、あの、僕っ、おじゃまみたいなので……」
 けれどステラは動いてしまう前に男の服の端を掴んだ。どうか行かないで。一人でこの話を聞く勇気がやっぱりないから。
 つたわったのか、不安そうな気配を出しながらもエミリオはその場にとどまった。
「……」
「そのお弟子さんのことはともかく……ステラさん、貴女もゲンカイ先生仕込みの槍をお使いになるのですか? 携えているのは片手の剣のようですが」
「あ、はい……どうもあのころの癖で。槍を使うときは、"とりにいく”時だけだ、ということにしてます」
 "とりにいく"が"殺りに行く"ことだと若干の間をおいてエミリオは理解した。そして以前、アレッティオに売り言葉に買い言葉で槍術を披露してくれた時のことを思い出す。
「……たしかにあれは、明らかに」
 死地の表情だった。後がない、命と命の駆け引きの。
「ゲンカイ先生の矜持ですね。命のやりとりの場以外では自分の教える技を使うな、と」
「まぁここだと必ずニコイチで動かないといけないから、あの技使えないんですよ。あれじゃ守れないから」
 自分自身は守れるが自分のそばにいる相棒を守れない技だ。拠点の掟に従う以上その技を使うことはないだろう。
「でもそのおかげでいい心構えができました。遠く離れたここでも守っていきたいって思います」
 ステラが笑う。
「槍だと楽しく戦えないんですよ」
「ほう」
「私はどうも剣は才能ないみたいですが、それでもとても楽しい。だれかを守るために戦えるってすごくうれしいですよ」
 自虐めいて笑うステラ。けれど、常に、むしろほぼ強引に奪い取るような形で彼女の武器を手入れするエミリオとしては違う意見だった。
「僕はそうは思わないですよ。ステラさんは多分剣に関しては遅咲きなんです。その証拠に、剣を直してると少しずつゆがみが少なくなってきているんですよ」
「そうなんですか?」
 驚いた、とエミリオの顔をみる女。なので男はにっこりと笑っておいた。
「剣を、直す?」
 ウツギが問いかけた。それに末席ではあるが一応刀匠を名乗っていると応じる。
「倭文で通用する刀を打てるほどの腕はないですが」
「いやいや、その若さですばらしい」
 しばらく剣や刀談義に花が咲いた。

 改めて居住まいを正し、ステラがウツギに聞く。
「ウツギさん。倭文は、変わるのですか?」
「……そうありたいと思って、自分はここまできました。どこまでいけるかわかりませんが」
「そうですか……」
「そうありたし。変えなければならぬ。その信念さえあればやっていけると、自分は思っております」
「……もう私は倭文語を忘れて久しいし、そもそもこんな容姿ですからかの地では忌み子扱いでした。そして書くことも話すこともできませんが、ウツギさんたちにあったとき、やはり自分にも倭文の血が流れているのだと痛感しました。なので、かの国が変わる、良くなるかもしれないと思うとうれしい。不思議ですね」
「倭文に戻るつもりは……?」
 女は横に頭を振った。
「さっき言ってましたよ、あの里はもうないと。なら私に帰るところはありません」
「それは……失言をした」
「いえいえ」
「失礼ついでに……もう一つ聞いてもいいですかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「ステラというその名。それは大陸の名だ。真名は捨てましたか?」
 ウツギの言葉に一瞬眼を丸くして、次の瞬間には軽く微笑んだ。
「……捨てきれず、その名を名乗ったというのが正しいです」
「……あ、僕はもう……」
「いいですよ、エミリオさんなら」
 いたたまれなくなってその場を辞そうとしたエミリオの服の端をまたつかんで戻す。
「……「すばる」。母のくれた名だそうです。母は残念ながら記憶の片隅にも残っていませんが」
「すばる……昴星か……」
「……昴星の、倭文の名前、ですか」
 倭文名はわからないが、大陸東方の呼び名は知っていたエミリオの問いにウツギが頷く。
 空の彼方の、星々。ああ、だからステラはステラと名乗ったのか。絞り出すように語る女の後ろ姿が遠い。
 忌み子、という言葉がどういうことなのかエミリオにはわからない。けれど前子どもたちに語った、昔話風のステラの過去を思えば、明らかに良い意味ではないはず。
「よいお名前だ。真名も、今の名も。ここからでもみえますか?」
「季節が変わればよく見えますね、協定国あたりでも」
 ステラの代わりにエミリオが応じた。
「ならば、私も昴星が見えるときには貴女を思い出すことにしよう」
「えっ、いやそんな。恥ずかしいじゃないですか」
「私はうれしいのです。この異国の地で懐かしい名をきき、同郷の人間に出会えたことが。片隅の国でしかない倭文だけれども、それでもこうやって縁のある人がいることが」
「……縁」
 懐かしい響き。忘れていたけれど、ステラ自身もその意味は頭ではなく体で理解している。
「おお、そろそろ時間のようだ。私はこれが見たくて夜明け前からここにいたのだった」
「はい?」
「お二方も余裕があれば見て行かれるといい。空と、海に別れる様を」
 ゆっくりと水平線に線が広がっていく。それが光の線だと気づくのは少し経ってから。線は空と海をきっちりと分け、そして辺りは朝を迎える。
「船旅が長かったもので。いつしかこの夜明けを見るのが習慣になった」
「……水は怖いけれど、綺麗ですね」
 水平線の端に漁にでていた船が見えた。そろそろ港が目覚める。
「では私はこれにて」
「はい、お声かけてしまってすいませんでした」
 いやいや、とウツギは手を振って去った。残された二人はその背を見送る。
「……そろそろ、僕が待ってる船も来るかな……って、えっ!」
 振り返って海をみているその背中にステラは身を寄せた。この人ならきっと許してくれる。
「えと、あの、ステラさん?」
「……ごめんなさい。少しだけ、背中貸してください」
 震える声。
「すぐ、すぐ落ち着くと思いますから。けど……見られたくないから」
「……どうぞ。僕の背中でよかったら」
 いつでも、いくらでも。小さくそんな言葉も聞こえたような気がするが、それより先に感情の渦に巻き込まれていく。
「……先生……覚えてて…………お父さん……」
 ゲンカイは覚えていてくれた。父は、一緒に流されたか? 最期に、少しぐらい自分のことを思ってくれたか? もしそうなら、それだけで本望だ。
 様々な思いが体を駆けめぐる。もう戻る場はない。けれど、それはどこにだって行けること。さあこれから、どこまでいこうか?

 何かをこらえるような嗚咽の合間にぽつりぽつりと聞こえる単語。それらが真実、なにを意味するのかエミリオにはわからない。ただ、人はなんて多くのものを、その身に持っているのだろうと。そんなことを思うのだった。
 やがて。
「……よし」
 と、声がして背中の温もりがなくなる。寂しい。
「ああ……」
「ん?」
 寂しさが声にでてしまった。怪訝そうなステラに苦笑い。
「背中、貸してくれてありがとうございました。もう大丈夫です」
「いえ、ステラさんがよければ背中でも胸でもいつでも……って、なに言ってるんだ僕は」
「お詫びといってはなんなんですが、荷物運びお手伝いします」
「え? いやいやいいですよ。鉱石、かなり重いですよ?」
「でも……」
「大丈夫ですよ。僕はこれでも毎日運んでますし。あなたと一緒に依頼を受けて、それなりに体力もあります」
「……じゃあ」
 しばらく考えてステラがにっこりとした。
「荷物を見て、私に運べそうなものがあれば運ばせてください。なかったら……また考えます」
「はい、わかりました」
 エミリオも笑顔で応じた。

 港に朝一番の船が入る。合図の鐘が鳴り響く。拠点に、新しい朝がきたのだった。


END


 これもまたお話書く前に書き飛ばした設定に走り書きされてたもの。やっと出自がはっきりしたな、この子。……リオさんは倭文人に好かれる何かがあるんだろーか……(意味不)。
 師匠の名前を「リクドウ」さんもしくは「ヒュウガ」さんにしたくてたまらなかったのは秘密。
2013.9.18

 

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