4.方舟

 

 天の方舟。たまに天使界にやってきていた、金色に輝く乗り物。箱に車輪がついていて、それを三つぐらいくっつけた不思議な形をしていた。後で調べてみると、昔むかしあった汽車というものを模しているとか。
 まさかここでその名を聞くことになるとは。サンディと名乗った女の子はそれの運転士見習いだったと言うけれど。
「じゃ、じゃあ……帰れる……」
 ちらりとトーヤのことが頭をかすめる。
『あー。でもさ、今ダメなのよ。何してもムダ』
「えっ?」
『がんばってみたんだけどサ、アタシ程度じゃどうしても動かせないの』
 しばらく考えてラーズはサンディに問い返す。
「方舟ってどうやって動いてるの?」
『……しらない』
「……見てみないとわかんない、か……。今どこに?」
 サンディが指さす方向はウォルロの方角。今と全く違う方向だ。どうしたものだかと考える。が、そろそろ見張りの交代の時間がきていることに気づいた。
「ごめんねサンディ。とりあえず今は見張り交代する。そして、北の町に寄ってからでかまわないかな?」
『えええぇ? それまでアタシどうしてろってのよ!』
「え……ええと……。動かす方法を、探す、とか?」
『もうめんどくさいー』
「……」
 こちらが考えるのが面倒になってきた。とたんに眠りがおそってくる。
「私もう寝る……トーヤさんと代わって……」
『あ、ちょっと! どうして天使が眠気感じるのよ』
「だって眠いものは仕方がない」
 本質的には天使だがどうも必要以上に疲れが来ているような気がする。ただ、眠れば朝は快適なのでほとんど気にしてはいない。
『そりゃそう言われたらそうだケド……』
 ぶつぶつ言いながらサンディもついてきた。
「ちょっと……トーヤさんに見られても構わないの?」
『ふつーの人間にはアタシのことは見えないのよ』
「ふうん」
 ならいいか、と洞窟に戻った。浅い息をたてているトーヤを揺すればすぐに目覚める。
「交代か? 何か変わったことは?」
「魔物の気配はなし。天候変化もなさそうです」
「ならいいか……」
 男はあたりを見回し、サンディがいるあたりで視線を止めた。
「……小さきもの」
『あーっ! あのときの!』
 トーヤとサンディは互いに顔を見合わせて驚いている。それ以上にラーズが驚いた。
「え? え? 二人知り合いなの? じゃあトーヤさんも天使なの?」
「天使? 何の話だ?」
『ラーズ、同行ってこの男のことだったんだ……』
 それぞれがそれぞれに話しさっぱり訳が分からなくなった頃、とりあえず火の周りででも話さないかとトーヤが提案した。
「あー、なんだ。ラーズは天使で、小さきものサンディは天の方舟とやらの動かす者で、二人は空に帰る方法を探してる、と?」
 かいつまんだラーズの説明を繰り返す男。その表情にはありありと疑惑が浮かんでいる。
「信じていただけなくてもいいです……」
 次第にラーズの声が小さくなっていく。
「うーん……そりゃいきなり天使だのなんだのと言われてもな……あんたには翼もなにもない……ん?」
 トーヤはしばらく考え込んではっと顔を上げた。
「あんた、確かウォルロで地震にあったって言ってたよな?」
「はい……」
「なら……おれ見た。あんたの翼と、輪っか」
「えっ?」
「自分で言うのもなんだから言わなかったが、あそこであんた助けたのはおれだ」
「そ、そうだったんですか! ありがとうございます!」
 立ち上がって礼を言うラーズに照れくさそうに手を振ってみせるトーヤ。
「言いたいこともないでもないけど、自分自身の目で見たからなぁ。あんたたちの言うこと信じるよ」
『……単純』
 サンディがボソリとつぶやいた一言は幸いにしてトーヤの耳には届かなかった。
「……それで、どうしたいんだ?」
「ええと、サンディ、方舟はどこにあるんだっけ……正確に」
『こないだ地震で峠通れなかったでしょ? あのへん』
「……ああ、あれか」
 またもトーヤが渋い顔をしている。聞けば光る箱はあったが、今まで見たことがないもので、何もないのに光っていることもあってあまり近寄らないようにして通ったのだという。 『方舟まで見えるんだから、やっぱあんたって天使とかじゃネ?』
「それは知らん。前にも小さき者には言ったが、おれは天使でもエルフでもない」
『そんなの忘れたー』
「……言ったんだ。どこかでそんな風な血は混じったかもしれんが……」
 男が黙って弓を構える。一歩遅れてラーズが剣を取った。
「サンディ、空にでも逃げてて。トーヤさんの弓が届かないあたりに」
『言われなくても!』
 言葉通り、ラーズが声をかけたときには空の高みにいる。少しうらやましい。が、そんなことも言ってられない。
 耳障りなきしみ音が大きくなる。金属と金属が嫌な感じで擦れあう、極めて不快な音。
「!」
 唐突に真上に来たその音は一気に二人に向かって落ちてくる。トーヤがとっさに弓を放つも外れ、多くの枝を折り目を抉りに来た。その姿は子どもが持つからくり仕掛けの鳥のおもちゃのよう。
「鳥!? おもちゃ!?」
「知らん! が、この手のは基本的に脅しは効かないはず!」
 トーヤの言うとおり、得物を構えた二人の様子にも、それどころか体中に刺さる枝や葉すら頓着していないようだ。ただ明らかに作り物の、汚れた目がこちらを見ている。
 いったい全体誰がこのからくりで遊ぶのだろう。天使ですら理解することの叶わない存在が、面白半分に放っているのかもしれない。
 考えは脇に置け。今はこれをどうにかしなければならないのだ。
「生半可な攻撃は弾かれる……」
 枝から受ける衝撃もかなりあるだろうのに全く意に介していない。だがもしかすると。
「トーヤさん!」
 寄ってきた森人に耳打ちをする。言われ、男がからくりに目を向け、軽く頷いた。そして二人は森の中を走る。からくりは逃してなるものかと後を追いかけてくる。わざと張り出しの多いところを選んでいるにも関わらず。
 ラーズに肉薄しようとしたそのとき、太い枝にぶつかり何かの部品が落ちたか、羽の片方が外れた。途端に地に落ち動くこともままならなくなる。
「読み通りだったな。あまり頭がよくなくて何よりだ」
 トーヤが枝を伝って戻ってくる。ラーズも立ち上がりほっと息をはいた。
「こいつ自身がぶつかる勢いが一番強かったんで……。罠とか張れたらなおよかったんでしょうけど、そこまで余裕はなかったです」
「結果良ければ問題はないだろ。とりあえずもう片方の羽も落としておくか。そうすれば、何を動力にしてるか知らんが動けないだろう」
 少し苦労しつつももう片方をはずす。
「へえ……こいつ、袋持ってる。多分餌をここに入れてどこかに運ぶんだろうな」
 その「餌」が何を示すのかはラーズは敢えて聞かなかった。
「「餌」を必要とする何かが、このあたり近辺には居るってことなんでしょうか」
「かもしれない。まあ考えても仕方がない、元の洞窟に戻ろうぜ」
 あたりを警戒しながら洞窟に戻るとサンディがこれ見よがしに光粉をまき散らしながら仁王立ちならぬ仁王跳びをしていた。
『おそい! いつまでアタシを待たせるつもり!?』
「……」
 トーヤが頭を振ってラーズの肩に手をぽんぽんと置いた。そしてそのまま洞窟に入り、消えかかっている焚き火に枝を継ぎ足す。「もうおれには無理だ」とその動きが物語っていた。  それを受けてラーズがサンディに向き直る。
「ごめんサンディ。どこまで話してたっけ」
『えーっ! 覚えてないの!? もう……覚えときなさいよそれくらい』
「……」
 返事をする気力がないので頷くだけにした。サンディの肩越しにトーヤが心配そうに見ている。
『アッチの峠に方舟があるってハナシよ』
「……そうだった。じゃあ、とりあえずそっちに回った方がいいかな……」
「おれは構わない。話の種だ、むしろついて行ってみたい」
『じゃあけってーい! さっさとこんなところから移動よ移動』
 今にも飛び出しそうなサンディの足をとっさにつかんだラーズ。何すんのよ、と激昂する前に天使の女はきっぱりと言い切る。
「お願いだから眠らせて」
『ちょ……あんた目が据わってる……』
「眠いの!」
 慣れない森の道、慣れない野営、慣れない旅の仲間。空への道は手がかりが見つかれど案内役は一癖も二癖もある。おまけに先ほどの戦闘だ。疲れ知らずの天使は本来の力を出し切ることができずヒトと同じように眠りを欲していた。
『わ、わかりました……』
 さすがのサンディも、単純に言い切られておとなしくするしかなかった。


 以前ここを通ったのはいつだったか、リッカとルイーダを伴っていた。彼女たちを守ることに専念していたのと、あまりきちんと道が開通していなかったので今の道は通ったことがないはずだ。でなければこんな輝く箱、見落とす方がおかしい。
「……全部の車両はあるんだね」
 数えながら手を触れる。
『そーなのよ。ただどうしても動かないの。あ、入って入って』
 サンディが戸を率先して開き中へ。ラーズ、そしておっかなびっくりトーヤの順に方舟の内部に入る。と。
「今……動かなかったか?」
「ええはい……」
『うん、うん動いた! 天使が乗ったからかな? でも……』
 なにやら見慣れないからくりの前でサンディがうなっている。
『動かせるほどじゃないみたい……』
 残念そうにうなだれる。
『天使つれてくる、って発想は間違ってないヨネ、ラーズ、あんたもっと力だしなさい』
「って言われても」
『ほら、あるでしょ、ソレ。星のオーラ』
 いいながらラーズの荷物を指す。ヒトを幸せにすると生み出される力の固まり。天使はそれを集めては空に持ち帰っていた。
 こんな状況になる前に自分が従事していた仕事だが、遠い昔のような気がしている。
『それもっと集めたらいいんじゃない? 知らないけど』
「……実は、星のオーラ、見えるときと見えないときがあるのよ。今持ってるのはとても強い願いが叶ったから、オーラもすごく強くて」
 リッカの父が残したオーラ。死してなお、娘を見守り、己の宿のことを思い。魂だけとなってやっと出会えたラーズに助けを求め、思い悩む娘を導いた父の、心根そのままがオーラとなった。
 しかし、宿屋の手伝いをしてヒトの手助けをしてもほとんどオーラは得られなかった。今までの経験上でているはずなのにどうしても見えない。ハイロゥ、翼に続いてその力も失ってしまったのかと嘆いた夜もあった。
『……信じらんない。天使が星のオーラ見えないって、聞いたことない』
「私も自分が初めてだよ……」
 あきれた顔のサンディに力なく笑うラーズ。さすがのサンディもそれ以上軽口をたたけなくなってしまった。しばらく奇妙な沈黙が場を支配する。ややあってサンディが考えながら口を開いた。
『……ま、まあとにかくよ。アタシには見えてるから、どっかで人助けしたらアタシがオーラ集めたげる。そんでたくさん集めてまたここに戻ってくればいいのよ』
「そう、ね……」
「方針は決まったか?」
 箱船に乗って以来ずっと黙っていたトーヤがおもむろに口を開く。
「あ、はい。星のオーラを集めれば、きっとこの方舟も動くだろうと」
「その星のオーラってのは?」
「天使がヒトの願いを叶えて感謝してもらうと、その心がそのまま力になるんです。それを私たちは星のオーラと呼んでいます」
「ふーん。そんなものがあるのか……で、どこに行くんだ?」
『ヒトが多いとこ。だけどあのでっかい街は今のところそれほど困ってないみたいだからさ、やっぱ景気よくドカーンと稼げるところがいいジャン』
「……ということなので、当初の目的通り北の地の街へ行ってみようかと……やっぱり本も気になりますし」
 空に帰る方法はわかったが失われたものを取り戻す方法もほしい。少しでも調べておければ自分の心の安静につながるのだ。
「トーヤさんは……どうしますか?」
 天使だ、精霊だ、方舟だと突然わからないことばかりが降ってわいて、顔には出していないが一番混乱しているのは彼だとラーズは思う。これ以上ややこしい事態に巻き込んでしまわないうちに別れた方がいいのかもしれない。
「そうさな……少なくともおれも北には行きたいんだ。この辺はもう歩き慣れたし。だから北の街にあんたが行くってんなら、おれも一緒にいかせてもらうよ。あんなからくり仕掛けの魔物が多いのなら確かに一人では物騒だ」
「そうですね……ではお願いします」
 頭を下げて礼を言う。大したことじゃない、とぶっきらぼうに言う男にラーズは少し微笑んだ。


TO BE CONTINUED


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